警視庁生活安全課保安部怪異対策室

第7話

　火がジリジリと先端を焼き、ゆらりと煙が立ち上がる。深く呼吸すれば、肺が紫煙で満たされる。先程まで身に纏わりついていた穢れが全て煙と共に換気扇へと吸い込まれていくような感覚に、嘉内は安堵のため息を吐いた。

「あ〜〜、うまい……」

　心の底からしみじみと漏れ出た一言は。誰の耳にも入らず宙に消えた。

　勢いで二本三本と消費してしまいたいところであったが、麻倉の言葉を思い返し渋々ながらにじっくりと時間をかけて一本を味わうことにした。

「なぁーんで俺があいつの言うこと聞かにゃならんのかね……」

　納得いかないと思いつつも、言い付けを破ることができない自分に呆れる。

　何だかんだ、麻倉にはかなり世話になっている。元々体質的に穢れに当てられやすく、調査をするにしてもスーツに大量の穢れ避けの札を仕込んだり、この特製の浄化用煙草を常に燻（けむ）らせることで気持ち悪さを抱えながらも何とか仕事を続けてきたが、それだけではどうしようもないほどに酷い場所は室長である渡辺の判断で担当から外された。

　それが、麻倉と組む様になってから一気に負担が軽減した。麻倉の側にいるだけで穢れはかなり薄まり、柏手一つ打たせるだけでその場は浄化される。これにより嘉内はかなり仕事がしやすくなったし、穢れが強すぎて担当できなかった事案も麻倉を伴うだけで問題なく対応できるようになった。

　要は嘉内は麻倉に頭が上がらない状態なのだ。先輩なので仕事面では彼に指示はしているが、それ以外の面では彼の指示に従うようにしている。

　今の嘉内にとって麻倉は生命線の様なものだ。彼から見放され、バディを解消されれば今のような仕事は出来ない。昔に逆戻りすることは嘉内にとって出来るだけ避けたいことだった。そのことは双方理解しているため、麻倉は嘉内に生活面で注文をつけるし、嘉内もそれを渋々ながらに応えている。嘉内は麻倉に弱みを握られているようなものだった。

　とはいえ、煙草だけは何度言われても止められない。麻倉も浄化用だし必要ならば、と本数制限で譲歩してくれている。まぁ実際は彼のお陰でもう吸わなくても問題ないのだが、そこは麻倉には言わぬようそっと口を噤んだ。

　そうやって悶々と麻倉のことを考えているうちにいつの間にか一本吸い終わってしまい、嘉内は後悔した。あと一本か、と眉を八の字にしながら箱から取り出し口に咥えたところで、喫煙室のドアが開かれる。

「おっ、居たか」

「美浦（みほ）？　久しぶりだな。こっちに来るなんて珍しい」　

　ドアから覗いたのは嘉内にとって馴染みのある顔だった。美浦はふらりと中に入り、嘉内の向かいに陣取ると、煙草を咥えてニヤリと笑った。

「さっき一課に帰ったら、少し前にお前が本庁に帰って来たって後輩から聞いてな。もしかしたらここにいるかと思ってよ」

　ビンゴだったな、とジッポで火を着けた美浦は満足そうな笑みを浮かべたので、嘉内は怪訝（けげん）そうな顔をした。

「用があったなら連絡入れてくれりゃよかったのに」

「用って程じゃないさ、ただ顔が見たかった程度だしな」

　その言葉にますます意味がわからない、とでも言いたげにした嘉内だったが、まぁいいか、と煙と共にため息を吐いた。

　そんな嘉内の様子にくつくつと喉を鳴らして笑った美浦は、それで？　と話を切り出す。

「最近どうよ、お前んとこの麻倉の坊ちゃんは？」

「……お前、それが聞きたかったんだろ」

「そりゃ一課に配属決まってたのにわざわざ蹴ってそっちに行ったエリート様の動向は知っておきたいしな。で、どうよ？」

「普通だよ普通。よくやってくれてるなって感じ」

　ため息混じりにそんな所感を漏らせば、普通ねぇ、と美浦は含みを持たせた言い方をした。その様子に眉根を寄せた嘉内は、面白くなさそうに口をへの字に曲げる。

「……何が言いたいんだ？」

「いや？　あの坊ちゃん捕まえて普通なんて言うのお前ぐらいだなって」

「ウチの人間なら全員普通だって言うと思うぞ」

「まぁ、お前ら基準ならそうなるか」

　そう自身の言葉をからりと笑い飛ばされ、心底理解できないと言わんばかりに嘉内はむっと唇を尖らせるも、その様子に美浦はさらに笑みを深めるだけだった。