第35話 命令と軍人
「中尉殿……」
二等兵の声は残酷さに震えていた。
周りには重傷者がほとんどの負傷者が約30名。無傷なのはこの小隊を率いる中尉と二等兵二人、そして一人の軍医だけ。
「中尉殿、降伏しましょう」
軍医は二等兵が言えなかったことを言った。もう負傷者の集団と化したこの部隊に戦うだけの力など無い。
「軍医、その発言は……」
ギロリと鋭い眼光で中尉は軍医を見据える。痩せこけた頬も相まり異様な迫力がある。
「中尉殿、医者としての立場から意見を述べさせて頂きます。もう彼ら負傷者に戦う力など残されていません。どころか早急な医療が必要な状態です。お願いです。彼らだけでも降伏の許可を!」
軍医の嘆願にも変わらず冷徹な目をしている中尉はゆっくり口を開く。
「軍医、我々の任務はなんだ?」
「……死ぬまで戦い友軍の撤退を援護することです」
この時点で軍医の顔は相当強張っていた。この命令を言わせる時点でこの人は文字通り死ぬまで戦わせる気なのだ。
「しかし……」
苦渋の表情を浮かべる軍医。この中尉は狂ってなどいない。元より義務感の強い真面目な軍人だ。だからこそ与えられた命令を忠実過ぎるくらい忠実に実行しようとしているのだ。
言葉を発したのは二等兵だった。
「中尉殿!負傷者と共に戦って何になるんです!もう彼らは戦えないんですよ!?」
ギラリと射竦める目で中尉は二等兵の方を見た。必要があれば命令不服従で今すぐ射殺する。そんな強固な意志に満ちた目だった。その視線に怯まず二等兵は続ける。
「そもそもどうやって戦わせるんですか!移動はおろか銃を握ることすらできない奴が大半なんですよ!?仮に戦闘になったとして何もできずに殺されるだけです!そんなのただの虐殺ですよ!」
中尉はしばらく黙っていた。ヒリヒリとした空気が周囲を覆う。軍医は二等兵が撃たれるのではと気が気ではなかった。二等兵は撃たれる覚悟をしていた。
「なら……、そうしろ」
力無く中尉はそう言った。そうしろ、というのは軍医と二等兵が主張した通りにしろ、との意味だ。
中尉は気付いた。二等兵二人を始めとして重傷者以外の負傷者も戦意を喪失し軍人としての責務から逃げたがっていた。
中尉は失望した。戦友のために死ぬこともできないなんて。
もう彼らを率いても意味は無い。
「降伏したいならしろ」
そう言い残すと安堵の表情を見せる部下達を背に一人密林へと消えていった。
××××××××
「二時方向!ここだ!」
戦車兵クルツはキューポラから顔を出し、車長用機銃の曳航弾で目標位置を示す。木が鬱蒼としげる斜面のどこを指すか、言葉だけでは伝えづらい。
砲手はその緑の曳光弾の着弾位置に三角形の上端を重ね照準をつけた。
砲弾は撃ち出されると目標位置で炸裂した。すかさず歩兵が進み敵の塹壕を火炎放射器を用いて掃討する。もう砲撃で帝国兵は死んでいたのか悲鳴は聞こえてこなかった。正直、何度聞いても燃える人間の悲鳴など聞きたくないから助かった。
皮肉にも、スリン島における帝国軍防御陣地で最も有効なのは個人や分隊、小隊レベルで用いられる塹壕やタコツボであった。大規模な陣地の場合、位置が露呈しやすく、一度露呈したならば航空攻撃や艦砲射撃に襲われる。だが小規模な陣地なら発見されづらい。
さらに帝国軍は必中を期すために国防軍が十分接近してきた後に攻撃を開始する。このため交戦時は敵味方相互の位置が近過ぎ、航空攻撃や艦砲射撃を封じらるケースが多かった。
帝国兵は粘り強い。それがクルツの偽らざる感想だった。降伏する敵兵はいない。唯一、敵の軍医が重傷者と共に降伏したくらいだ。救命を望んでのことだったが味方の軍医曰く、「彼らに必要なのは薬でなく弾丸」とのことだった。
さらに国防軍を困らせているのが普通ではあり得ない位置から攻撃してくる敵兵の存在だった。待ち伏せをする時、基本は後退路も考えて待ち伏せ位置を決める。しかし死兵となった帝国兵は攻撃さえ出来れば良いからしばしば想定の範囲外から攻撃してくる。先日も人一人が隠れられるタコツボの中からバズーカによる攻撃があり、射手は後方爆風(バックブラスト)で死亡していた。腹部に銃創があり、もう長くない命だからこそとった戦法であることが
国防軍は帝国軍の対戦車火器の不足を利用して、戦車を先頭にして進み、歩兵の損害を抑えようとしているが上手く働いているとは言い難かった。
加えて帝国軍艦隊の接近に対処するため、国防陸軍は艦砲による支援を受けられなくなった。また、航空支援も飛行場が叩かれてしまったため機能していない。
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