撤退せよ!! 

@yositomi-seirin

プロローグ

 密林の木々の下で若き帝国兵は頭に拳銃を突き付けた。


 「嫌だ……。もう嫌だ……」


 もちろん薬室内に実弾は装填済み。後はハンマーを起こして引き金を引くだけでこの苦痛から解放される。


 栄光ある帝国軍。自分もその一員であり輝かしい勝利へ勇ましく前進する。そう思ってた。


 しかしスリン島での現実は真逆だった。補給が途絶えた事により武器弾薬を始めとして食糧、医薬品も払底している。


 出撃前、あれだけ鍛え精悍だった自分の体は肋骨が浮き出るまでに痩せ衰え今や死人と見分けがつかない。


 食事も貧相そのもので、木の実や雑草まで食べる有様だ。


 海上輸送が途絶えたことによる絶えることのない飢餓、そしてもう生きては帰れないだろうという絶望。


 銃弾飛び交う戦場での戦死なら輝かしいものとして誇りに思えた。だがスリン島では餓死と病死が死因のほとんどだ。


 死にたくない。また愛する人に会いたい。愛する人の料理や故郷や母親の懐かしい味が恋しい。


 ……でも、でももう嫌だ。こんな虫と飢えに冒される環境でなんて生きていたくない。


 最後に見る恋人が白黒写真だなんて惨めで仕方ないがそれでも生き地獄よりはマシだ。


 ハンマーを倒し引き金を引いた。バンと銃声が響くと45口径の拳銃弾がこの帝国兵の頭を撃ち抜き亡き者にした。


 「おい、どうした!」


 いきなりの銃声に周囲の帝国兵が驚き国防軍の攻撃かと戦闘態勢に入った。しかし響いた銃声が帝国軍の拳銃のもので一発だけであったからまさかと思いつつ銃声のした方へ寄った。


 「クソ!自殺だ!」


 彼を発見した帝国兵は渋面でそう言った。


 悲しむ者などいない。この島で死ぬことはもはや慈悲だ。それに悲しむだけの余裕なんてあるわけがない。ただ飢餓と病魔に襲われて涙を流すこともできない。だから全員がただ淡白に心中で別れを述べた。

 


 ×××××××



 地獄とは何か?と聞かれれば答えは人によって異なるだろう。仕事や学業、或いは日常生活に関する何某か。軍人であれば訓練や営内生活、シゴキなんて答えるだろう。はすに構えた人間であればまず地獄の定義は?なんて聞いてくるかもしれない。


 しかし帝国兵、或いは戦史家であれば皆口を一様に揃えてこう言う。


 『それはスリン島である。飢餓と絶望渦巻くスリン島でしかあり得ない』と。



総歴1942年 7月上旬 帝国領内


 良く晴れた日の午後、一台の軍用車が石造りの帝国軍総合参謀本部の建物前に乗りつけた。降りてきた大将の階級章を付けた将軍に衛兵はささつつで迎える。


 衛兵は左肩にになつつの状態から体の前面で保持するひかつつに、45°に傾いている銃を地面に対し90°の垂直に。最後に銃の下側が正面に向くようにすれば帝国軍の捧げ銃だ。


 将軍は捧げ銃に挙手の敬礼で極めて機械的に応え建物内へ入って行った。銃剣のきらめきの中に将軍の無機質な表情が写っていた。


 将軍の心は憂鬱や若干の失望が占めていた。機械的に応えたのもその心を下の者に出さないようにである。


 なぜそんなにも下向きな気持ちになっているのか。理由は今日の会議で決定されるであろう結論にある。いや、結論自体は前から暗黙の内にではあるが出ていた。ただいきなりそれを認めることが誰にもできず、最善のために議論を尽くすという建前のもと、今日まで引き延されていた。それもあらゆる選択肢が吟味された今、今日に至りとうとう結論が出されるだろう。


 スリン島からの撤退。それしかない。


 開戦以来、莫大な石油を生み出すスリン島は1年近く激戦を繰り広げていたが今や30km四方に押し込まれていた。(もともとスリン島は準大陸と言っても特に差し支えないほど大きい。)


 損失も大きい。輸送中も含めて約20万人が土に還り、波間に消えていった。およそ300両の戦車を失い、倍近くの装甲車、トラックも失った。航空機の損失も1,000を越えている。海軍も、正規空母3隻が撃沈され、3隻がドック入りし内一隻はスクラップが決定、戦艦も同じくらいの損失を負っている。巡洋艦、駆逐艦は当然それよりもっと多いし、輸送艦に至っては100隻を優に越えている。


 何も撤退することは嫌なことではない。撤退の重要性は良く認識している。軍事行動でも撤退は重要な作戦行動だ。ただ東部戦線では開戦以来完敗を喫しているからまた撤退することは非常に憂鬱だ。


 なぜ我が軍はここまで弱い?


 元々の始まりは連合皇国への軍事力を背景にした領内軍事通行権の要求だった。

 

 1941年6月22日、帝国は赤栄連邦に宣戦布告、地獄の戦争の幕が上がった。各地で激戦が繰り広げられる中、帝国は連邦の後背を突く作戦を思い付く。しかし実行のためにはどうしても連合皇国内を通る必要がある。そこで帝国は連合皇国に対し領土内を帝国軍が通ることを認めるように要求、さらに帝国側に立っての参戦も求めた。


 当然のことではあるが連合皇国はこれを拒否。これにより帝国は露骨に軍事力による脅しを掛け始めた。大人しく軍門に降るか国を焦土と化されるか、どちらか選べというものである。


 この最後通牒も連合皇国は拒否、これにより帝国対連合皇国の戦争が始まった。1、2世代先の技術力と望み得る最高の練度を持つ連合皇国国防軍に帝国軍は無慈悲なほど圧倒的な物量差で殴り掛かった。敵が一騎当千の強者なら二桁多い10万人で相手するだけのことである。


 対赤栄連邦戦線が北部戦線、対連合皇国戦線が東部戦線である。


 ところがすぐに片付くと思われていた対連合皇国は技術と練度に支えられ非常にしぶとく抵抗し、更に呆れるほど連携の取れた空軍と陸軍の反撃により帝国軍は甚大な損害を被り戦線は帝国領内へと移った。


 そして戦線が小康状態になったところで連合皇国国防軍は帝国領スリン島への攻撃を開始した。国防軍による初の戦略的攻勢である。


 数で大いに勝る帝国軍。それがスリン島戦では機能しない。理由は制空権と制海権の喪失により兵隊も物資も戦場に送ることができないからだ。


 国防軍の戦闘機は帝国軍の戦闘機より早く、良く昇り、良く曲がる。つまりほとんど全ての性能で上回っているし、個々のパイロットの練度も比べるまでもなく国防軍の方が上。


 それでも本土での戦闘なら大量の滑走路を作りそこから大量の戦闘機を繰り出すことで戦うことができる。


 だがスリン島は本土から遠く、戦闘機の行動可能範囲外に位置する。


 帝国軍はスリン島に大きな航空基地を有していたが緒戦において国防軍空母六隻から奇襲され早期にその機能を喪失した。そもそもこの奇襲で初めて国防軍スリン島侵攻を知ったのだ。


 その後、制空権を巡っては空母同士の戦闘になった。スリン島に駆け付ける帝国軍とそれを阻止せんとする国防軍の、今時大戦、というか人類史上初の空母機動部隊同士の交戦である。


 合計三度の海戦が生起し、結果から言えば帝国軍の惨敗だった。べ十六隻の帝国軍正規空母が出撃し、そして半数の八隻が撃沈された。


 空母という、どうしても一度に空に上げられる航空機が限られる状況下、帝国軍艦載機部隊は敵の練度と技術力に敗け一方的に撃墜された。そして制空権を奪取され、丸裸となった艦隊上空に敵機が群がり次々と艦船が沈められた。こうして制海権も奪取され、スリン島への一切の補給が断絶した。




 会議室に入り、参謀会議が始まるのを待っていると通信兵が入ってきてスリン島からの報告を渡してきた。


 今度はどんな報告だろう。武器弾薬の不足?医者と医療品?食料?増援の要請か?それとも撤退したい?(現在島の部隊には島を防衛せよ、との命令が下されている。)前はこのままの状態だといざ敵の攻勢が始まった際には”苛酷なる手段”を用いて士気を維持することになる、との報告がきた。さすがにこれは補給の催促のための脅しだろうが。


 ちなみに過酷なる手段、というのは大抵の場合部下に銃口を向け、最悪抗命罪で射殺することを指す。恐怖でもって軍規を守らせるのだ。


 さて、それでは今回の内容は?目を通すと思わず顔をしかめる内容だった。敵が戦力の集積を開始している、つまり攻勢の準備をしているということだ。


 元より我が方の潜水艦からの報告で国防軍の輸送船がより頻繁にスリン島に向かっているのが確認されていた。


 大きなため息を吐くと報告用紙を机に投げ出し天を仰いだ。まあ室内なので目に映るのは質素、というか無機質なコンクリートの天井なわけだが、それでも仰がずにはいられなかった。予想されていたことではある。


 スリン島での戦闘を間接的に援護すべく陸軍は本土で攻勢をかけた。こうすることで国防軍の兵力を本土に吸収し、もってスリン島を援護するのだ。


 本土での戦闘が小休止となっている今、敵はスリン島から我が軍を駆逐することに決めたというわけだ。


 間もなく、参加者が全員集まり会議が始められた。そして出された結論は以下のものである。

 

 撤退、もはやそれしかない。

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