第25話 少女慇懃

「……さん」


 誰かの声……。


「……るみ……な……さん」


 声……これは、デイジーの声……俺を呼んでいるのか……目覚めなくては……。


「起きてくださいませ、鳴海さん」


 体が揺れる。デイジーにしては遠慮がちな揺すり方だ……。


 ……ん? 『ませ』?


「鳴海さん、お目覚めの時間でございますよ?」


「だっ、誰だっ!?」


 違和感に跳ね起きた。声の主と、反射的に距離を取る。


「あらあら……起きて急に動くのは、良くありませんよ、鳴海さん」


「お、お前……」


 そこで気が付いた。こいつは……。


「はい。私、昨日あなた様に助けていただいた者ですわ」


「う~ん……ナルミ~ン☆ なにかあったのぉ~?」


 俺の声に覚醒したのか、デイジーがぼんやりと目を擦る。こんな時でも呑気な奴……。


「あら、おはようございます、お姉さま」


「うん~☆ おはよぉ~☆ って、ええええええ!!」


「うわっ! うるせえ!」


 デイジーの声が、目覚め切らない俺の頭にガンガンと響く。


「うふふ、お二人とも朝からお元気ですね」


 騒動の中心は、和やかに笑う。こうしていると、驚いている俺たちが馬鹿みたいだった。


「改めて、おはようございます。私、鳴海さんに助けていただいた者で、オトギ、と申します。ご挨拶が遅れまして、申し訳ございません」


「ああいや……俺は鳴海……鳴海ツカサだ。いや、そんなことより、お前、もう動けるのか? 俺が見つけた時は、身動き一つしなかったが……」


「ええ、その節はありがとうございました。長谷川さんでしたか? 良く診てくださったようで、お陰様で回復いたしましたの」


「そ、そうか……」


「詳しいことは、後程お話いたしますわ。お二人とも、お目覚めになったばかりで、色々と準備がおありでしょう? 長谷川さんも、お二人のことをお待ちですわ。私、先にCブロックでお待ちしておりますわね。それでは」


 流れるような所作で一礼すると、少女――本人によればオトギ――は出て行った。俺とデイジーは顔を見合わせる。


「『お姉さま』、だってよ。お前、姉妹いたんだな」


「びっくり……☆」


「……とりあえず、行ってみるか?」


「うん……」


 最低限の準備だけをし、俺たちはCブロックへ向かった。




「あら、お早いですわね。もう少しゆっくりいらしてくださっても結構でしたのに」


「相手を待たせるのは性に合わない」


 Cブロックに着くと、オトギはしゃんと背筋を伸ばして待っていた。


「鳴海さんは真面目でいらっしゃいますのね」


「ナオミは?」


「直にいらっしゃいますわ」


 そこに、ちょうどナオミが戻って来た。


「よう、鳴海」


「ナオミ、こいつは……」


「ああ。私も驚いたよ。デイジーと違って、割合すぐに目覚めたんだ。それに、自分のこともしっかり覚えてるらしい」


「長谷川さんの仰る通りですわ。私、自分のことを覚えていますの」


「それじゃあ……デイジーのことも知っているのか?」


「ええ、存じております。お姉さまは私よりも先に製造された、お手伝いロボット。私はその後継に当たります」


「お手伝いロボット?」


「ええ、人間の皆さんをお支えするのが私たちの仕事ですの」


 オトギはにっこりと笑った。予め組み込まれた動作だとしても、それは人間と遜色ない、自然な笑顔に見えた。


「へ~☆ わたし、お手伝いロボットだったんだ~☆」


「そうですわ」


「その割にポンコツだな、こいつ」


「が~ん……」


 ショック音を自分で表現するデイジー。出来の良い妹に対して、姉がこれでは……。


「仕方がありませんわ。お姉さまは所謂、プロトタイプですもの。それを踏まえて私は製造されたのですから、性能の差はどうしてもございます」


「そうか。にしても、ポンコツ過ぎる気がするがなあ」


「が~ん、が~ん、が~ん……」


 俺の言葉に、先ほどよりもショックを隠せないデイジー。こういう所がポンコツっぽいのだが、当人は気が付いていないらしい。


「……か」


「ん?」


「ナルミンの……ばかあ!!」


「あっ」


 耐え兼ねたのか、デイジーは出て行ってしまった。


「あーあーあー、泣かせたな『ナルミン』くん?」


「ちっ」


「まあ、後で謝っておけ。それよりも今はこの子……オトギのことだ」


「ああ……」


「この子のお陰で、少しだけ事情がわかった。主にデイジーについて、な。デイジーは、先の大戦の初期に製造されたロボットの一体で、初めて実用化された機体だそうだ。人間の介助を目的としていたらしい。……まあ、詳しいところはわからないが、主に実用性や製造コストの面からバッシングを受けて、計画自体が凍結されたそうだ」


「私、基本設計はお姉さまと同じですわ。ただ、細かい点で修正されておりますから、より上位機種、ということになりますの。マイナーチェンジ……といったところですわ」


「なるほどな」


「これ以上のことはわからん。だが、デイジーについて少しでも手がかりがあっただけでもよかった。製造年代が特定できれば、後々何かの役に立つかもしれん。……まあ、今言えるのはこのくらいだ。話は済んだし、鳴海、さっさとデイジーに謝ってこい」


「ああ、行ってくる」


「私もご一緒してよろしいですか? お姉さまを怒らせてしまった責任の一端は、私にもございます」


「そんなことはないだろ」


「いいえ。お願いいたします、鳴海さん」


 オトギが真っ直ぐな目を俺に向けた。デイジーと瓜二つだが、その印象は全く趣を異にしている。


「わかった。多分俺の部屋にいるから、ついてきてくれ」


「はい、ご一緒いたしますわ。では長谷川さん、また後程お伺いいたします」


「ああ」


「じゃあな、ナオミ」


 Cブロックからとんぼ返りで自室に戻ると、デイジーは案の定、部屋の隅で体育座りをしてむくれていた。


「おい、デイジー」


「な~に~? ナルミン、オトギちゃんの方がいいんでしょ~?」


 めんどくせえ……という言葉をすんでのところで押し殺す。


「悪かったよ。お前にはお前の良いところがあるから。機嫌直せよ」


「……ふぉ~いぐざんぽ~?」


『For example?』と言っているらしい。帰りたいが、ここが俺の部屋なので、こいつの機嫌を直さねばいつまでも居心地が悪いままだ。


「あ~、そうだな……例えば……例えばだなあ……」


「ふぉ~~~~~いぐざんぽ~~~~~??」


 デイジーが圧を掛けてくる。面倒臭さを通り越して、ムカついてきた。だが、ここは辛抱しなければ。安寧を取り戻すためと思って言葉を探す。


「まあ、なんだ。一生懸命だろ、お前。アホっぽいところもあるけど、物覚えが悪いわけじゃない。それに、この前は俺たちのことを助けてくれただろ?」


「……それで?」


「だからまあ、感謝してるんだよ。お前がいるお陰で、嫌でも明るいしな」


「ふ~ん……それでえ、ナルミンは私のこと、どう思ってるの~?」


「どうって……いい奴だと思ってるが」


「それだけ~? キライかスキで言ったらどっち~?」


「嫌いではない」


「あーあー、きこえないなー☆ 私、“ポンコツ“だからなー」


「くっ……。わかったわかった……好きだよ、お前のこと」


「きこえな~~~~い☆」


「ああもう! しつけえな!」


「鳴海、先輩。ナオミ、先輩が、今日の作業割り当てで、相談が、あるって……」


「好きだって言ってんだろ!」


 バサバサッと、音がして、俺は初めて来客があるのに気が付いた。そういえば、ドアを閉めていなかった。


「あ、河合……」


 振り返ると、視線の先でファイルを取り落としていたのは河合だった。


「な、鳴海、先輩……」


「違うぞ? 誤解があるようだから……話せば誤解も解ける。会話というのはだな、人間を人間たらしめる極めて理性的な交流手段だから、まずは落ち着いてだな、理性的対話を試みることが必要で……」


「あ……」


「あ?」


「愛の、カタチ、は、人それぞれ、だと、思います」


「なっ……!」


「お、お邪魔、しま、した!」


「河合、待ってくれ! 誤解なんだ! そういう『好き』じゃない!」


「あらあら、鳴海さんったら情熱的でしたわね」


 黙って俺たちのやり取りを眺めていたオトギが、顔を綻ばせる。


「デイジー、お前なあ!」


「えへへぇ☆ ナルミンはあ、わたしが……ダ・イ・ス・キ……なんだあ☆ もうっ! しょうがないなあ☆」


「話を聞けっ! それと、『大好き』とは言ってない!」


「にへへぇ☆」


 ふにゃふにゃとした表情のデイジー。機嫌はすっかり元通りになり、俺の話など耳に入っていないようだ。


「俺が何をした……」


 増えた誤解を嘆き、俺はガクリと膝を折った。


「鳴海さん、そのうちきっと良いこともございますわ……」


 ぽん、と肩にオトギの手が置かれる。その優しさと同情とが、かえって辛かった……。

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