第23話 少女検診
「ん。経過も問題なし、と。もう起きていいぞ」
私は横たわっていたデイジーに促す。今日は朝からデイジーの経過観察を行っていた。総じて異常はないようで、ひとまず安堵する。
「おしまい?」
「ああ、終わりだよ。なんだ? 物足りないなら太い注射でも打ってやろうか?」
「や~~~! やめてえ!」
「な、ナオミ、先輩。あんまり、驚かす、のは」
「わかってる。冗談だ、デイジー」
「う~~~~☆」
隅の方に身を寄せ、プルプルしている様は、小動物を思わせる。可愛らしい、と思って、情が移り始めている自分に気が付いた。
「鳴海に説教できる立場じゃないか……」
デイジーを見送ってから呟くと、河合が私に心配そうな目を向ける。
「どうしたん、です?」
「いや、何でもないよ。河合、この後の予定はどうだったかな」
「ええと……午後からは、発掘物に係る、作業が……。それまでは、少し、休憩、できそう、です」
「そうか、ありがとう。どれ、コーヒーでも飲もうか。といっても代用品だが」
「は、はい」
沸かした湯で茶器を温めてから、淹れた代用コーヒーを啜っていると、河合が口を開いた。
「あの、ナオミ先輩、って、どんな子供、だったんです、か」
「なんだ、藪から棒に。ん~そうだな……。今も昔も変わらずキュートだったぞ」
河合の意外な質問を、適当にはぐらかす。
「きゅ、キュート、です、か」
「なんだその反応は」
「い、いえ、違います。ナオミ先輩、は、サバサバしてるイメージ、だった、ので。ちょっと意外、です」
私はやはりそういうイメージなのだなあ、と思う。実際、そう見せているのだから、河合の評は間違っていない。
「だが、どうして急にそんなことを? 昔の私が気になるのか?」
「あ、あの、聞いちゃダメ……でした、か?」
「いや。そんなことはないよ。まあ、真面目に答えるなら、“いい子”かな」
「いい子、ですか?」
「ああ。そうしている方が都合がよかったからな」
私は、かつての自分を思い返してみる。
長谷川ナオミ。私の名前。しかし、周囲にとって重要なのは長谷川という部分だけ。下にはナオミでもなんでも、好きな名前を代入していい。その程度の認識。
『この家に生まれたお前には責任がある』
それが両親の口癖だった。私の家は、様々なグループ企業の総元締め。父は社長で、母も重役。代々の親族経営。私もそこに含まれるはずだった。
両親とまともに顔を合わせるのは、年に数回。二人はいつも多忙で、私は一人の時間をよく過ごした。
お陰で、暇のつぶし方というものはよく覚えた。金だけはあったから、時間のあるのに任せて、家で色々なことをした。しかし、どこかにいつも孤独があった。
ある日、両親が家に客を呼んだ。男性一人と男の子が一人。二人は親子だった。
私は十二歳だった。その日がちょうど私の誕生日だったが、朝からおめでとうの一言もない。
しかし、余計な小言を聞きたくない私は黙りこくっていた。それが二人には“よい子”に見えたのか、朝から珍しく二人は上機嫌だった。
お手伝いさんがお茶を出して、静かに下がると、父は私にこう言った。
「お前はあの子と結婚するんだ」
私の意見など抜きに、突然そう言われた。急すぎて感情が追い付かず、私は助けを求めるように両親を見た。
しかし、二人は客の男との話に花を咲かせており、私のことなど見ていない。
仕方なく私はちょこんと座っていたが、悔しかった。いつも私は言うことを聞くだけ。“いい子”なんてやめてしまいたい。そう思った。
そのうち、両親と客は連れ立って庭に出てしまった。後には私と、男の子だけが取り残される。そこで初めて私は、その相手の顔を見た。
歳は私と同じくらい。普通、平凡、ありきたり……そんな形容が浮かぶような感じだった。とりたてて不快な要素もないが、快を与える要素もない。総じて、没個性という言葉がよく似合う男の子だ。
「ごめん」
突然男の子が話しかけてきた。
「何がごめん、なんだ」
「君、辛そうにしてたから」
「なんでお前が謝るんだ」
「誰も、君に悪いと思ってなさそうだから」
「余計なお世話だ」
「ごめん……」
男の子の眉のあたりがしゅん、となった。それを見てますます苛立つ。私が悪いことをしたみたいじゃないか。
「また謝る。ごめんって言えばいいと思ってるんじゃないのか」
「そうかもしれない。ごめん」
「お前な……」
そこに男の子の父親が戻ってきた。私と言い合いになっているのを聞きつけたらしい。
そのまま男の子に歩み寄ってくる。
乾いた、と形容するには重い音が、私と同じ目線で響いた。次の瞬間、男の子は床をなめるような姿勢でうずくまっている。
「仲良くしなさいと言っただろう、イクサ。私の言うことは一度で聞けと、何度言わせるつもりだ」
「う……」
倒れた時に切ったのか、男の子の口からは僅かに血が流れている。
「返事はどうした。もう一度、床と接吻したいか」
「いえ……僕が悪かったです。ごめんなさい、父さん……」
「まったく……出来の悪い子供を持つと苦労する」
それだけ言うと、その子の父親は私のほうを向いた。それまで我が子に向けていたのとは違う柔和な笑みが、私にはかえって恐ろしかった。
「長谷川のお嬢さん。うちのバカが申し訳なかった。この通り反省したようだから、どうか許してやってほしい。ああ、さっきのは気にしなくていい。我が家では、バカと電化製品は殴っても構わないことになっているんだ」
目線を合わせて、私に謝罪する。私はとっさに、「あ……」としか言えなかった。
それから、その子の父親は、庭で私の両親とまた談笑し始めた。まるで、何事もなかったかのように楽しげに。
「……大丈夫か?」
一応声を掛ける。腫れあがった左頬が痛々しかった。
「うん……ごめん」
「なんで謝る」
「君を驚かせちゃったから」
「お前のせいじゃないだろう」
「それでも、ごめん。君に……」
「ナオミ」
「えっ」
「私の名前。長谷川ナオミだ。よろしく。突然だが、私は長谷川という苗字は固い感じがして好きでない。私のことはナオミと呼ぶように」
困惑気味の男の子にずけずけと告げる。両親の前では大人しくしているけれど、この子の前なら素でもいいだろう。
手を差し出してやると、男の子は手を取ってゆっくりと立ち上がり、私の目を見た。
「ああ。よろしく、鳴海イクサだ。奇遇だな、俺の場合は名前で呼ばれるのが嫌いだ」
どうやらこっちが素らしい。親の前で猫をかぶっていたのはお互い様だったようだ。
「では鳴海と呼ぶ」
「それで構わない……」
――とまあ、昔にこんな約束事があったのだが、鳴海の家の人間が亡くなったことで、この話は流れてしまった。私の家も、その後の経営状況の悪化に伴い、以前のような力を失っていたので、ちょうどいいと言えばちょうどよかったが。
それからも、鳴海とはしばらく付き合いが続いた。双方の親には、慎ましく、仲良くしていますといったふりを決め込み、隙を狙って遊びに出掛けた。肩肘張らず付き合えるというのがよかったのだろう。
それから間があって、しばらくぶりに再開した鳴海は以前とは違う目をしていた。表向きは元気を装っているが、違和感がある。しかし、どこまで立ち入っていいものかわからず、その日は別れてしまった。
鳴海の両親と妹が亡くなったと聞いたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
「ま、あいつは覚えているかどうかしらんが」
「ナオミ先輩、あいつ、って、誰、ですか?」
「ん……いや、秘密だ」
「秘密?」
「そう。昔のことだから……」
「へぁっくし!」
部屋でのんびりと過ごしていた俺は唐突にくしゃみをした。
「ナルミン☆ カゼひきさん?」
「違う」
こんな状況で病気などなってはいられないから、体調管理はしっかりしていたつもりだったが、知らず知らずのうちに寝冷えでもしていたのだろうか。
「今なら~☆ ここに湯たんぽがあるんだけどな~☆ 等身大で、抱き心地もよさそうだね~☆ チラッ☆」
「一人で寝る」
「あ~ん☆」
「嫌なこと思い出した……なんであんなこと」
「ナルミン☆ 大丈夫?」
「ああ……昔のことだからな。まあ、まんざら嫌な思い出ばかりでもないか」
「?」
「何でもない。大丈夫だ。そんなに心配そうにするな」
デイジーの頭をクシャッと撫でてやると、デイジーは目を細めた。
「ま、あっちは覚えちゃいないかもしれんが……」
「なんのこと?」
「知らんでよろしい」
「あ~ん☆」
デイジーは無視して、俺はごろりと横になった。脳裏には、在りし日の出来事が浮かんでは消えて行った。
「昔のことだ……」
誰に言うでもなく呟いて、俺は瞼を閉じた。
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