死筆者

mamalica

第1話 予兆

「あたし、小説の投稿を始めようと思ってるんだ」

 優香子は、首を傾げて笑った。


「飯島先生が、あたしのだけ取り置いてたでしょ。それで、ちょっと自信ついた」

「ああ、『伊豆の踊り子』の続編を書くって宿題か」


 俺はバス亭の時刻表を見上げ、目を細めた。

 優香子の書いた作品を気に入った教師が、特別に取り置いて他の国語教師たちに見せたらしい。

 

 

 ――幼なじみの優香子は、小学生の頃から国語が得意だった。

 入試では国語がほぼ満点で、社会も高得点を出したと聞いた。


 俺たちが入学した高校の一年一組は、入試で高得点を叩き出した生徒が集められるとの噂だった。

 優香子は国語と社会で高評価を得たのか、一組に入った。

 俺は二組だった。


 でも、二年生になったら進路別のクラスに進級する。

 まあ、優香子とは別のクラスになるだろうと想像はしていた。



「で、投稿ってどこに?」

 俺は何の気なしに訊ねると、優香子は微笑んだ。

「ネットの小説投稿サイトだよ。軌道に乗ったら、ショウくんにも教えるね」


 優香子は風になびく髪を押さえ、木陰を飛ぶモンシロチョウを目で追った。



 


 けれど、二学期の始業式の日の午前中――

 優香子は、市の中心部から離れた山道で倒れている所を発見された。


 冬服のセーラー服にカーディガン姿で、手ぶらだった。

 郊外の停留所でバスから降り、それを運転手が不審に思ったらしい。

 運転手は勤務先に連絡し、警察にも通報された。


 だが、優香子を発見したのは、温泉旅館の送迎車だった。

 救急搬送された優香子は――その夜に息を引き取った。

 熱中症による多臓器不全だった。


 



 優香子の葬儀は、自宅マンション近くの葬儀場で行われた。

 白い花に囲まれた優香子の遺影は、桜柄の着物を着て、結い上げた髪にかんざしを挿していた。

 今年の正月に撮った写真だった。

 

 俺は、人目もはばからずに泣いた。

 マンションの隣室の住人で、幼稚園からの幼なじみだった優香子。

 いつしか……生涯を共にするのかも、と思っていた優香子。

 

 あの日――優香子は夏風邪で休むと言って、ドアを閉じた。

 それが――優香子の声を聞いた最後だった。

 その夜、すべては奈落に消えた。



 

 俺が登校したのは、葬儀から一週間を過ぎてから。

 友人たちは、温かく俺を迎えてくれた。

 腫れ物に触れるように、とも言うのだろうけれど。

 

 

 その日の昼休みの後。

 俺は『面談室』に呼ばれた。

 担任と保健医とスクールカウンセラー、そして母も同席した。

 優香子のことには直接触れず、体調や不安の有無に付いて聞かれた。

 その形式ばった質問は、虚しいだけに思えたが。


 二十分余りの質疑応答の後、俺は午後の授業を欠席して、母と学校を出た。

 母も優香子のことには心を痛めているが、俺に気を使って明るく話しかけてくる。


 

 買い物をしてから帰宅すると――隣の家から、スーツ姿の男女が出て来た。

 おそらく、私服警官だろう。

 今も、事件性がないかを探っているのだろうか。


 学校では、いじめについてのアンケートを取ったらしいが、結果は未公表だ。

 だが、優香子がクラスで除け者にされていたようには見えなかった。

 クラスの仲の良い女子とは、たまにアニメショップに行っていたし。



「……あきら

 母がささやいた。

 隣の玄関ドアは半開きのままで――優香子の母親がこちらを見ている。

 

 母はレジ袋を置き、挨拶に向かった。

 俺はそれを玄関に入れ、母に続く。


 優香子の母親は、灰色の七分袖のトップスと黒いスカートを履いていた。

 もともと痩せていた人だったが、さらに細くなった。

 一人娘を亡くし、食事も喉を通らないのだろう。

 

 俺は母の後ろに立ち、黙って二人の会話を聞いていた。

 父親は、今日から出社しているらしい。


 母親たちは、涙ながらに優香子の思い出を語り合う。

 だが俺は――立ち去るべく、後ろに下がった。

 話を聞いていると、また号泣しそうだったから。


 けれど俺を引き留めるように、優香子の母親が言った。

「あの……あきらくん。『ものがたる』って知ってる?」


「え?」

 俺は足を止めた。

 俺はそれを知っている。


「小説投稿サイトの……『モノ語る!』ですか?」

「そう。そうなの」


 優香子の母親は、目を拭う。

「警察が、優香子のスマホやパソコンを調べて……今、それらが返されたの。事件に結び付くような痕跡は無かったそうだけど……ただ……」


「ただ……?」


「優香子は、最近は一日に数十回も、そこにアクセスしていたらしいの。でも、そこの小説を読んだり投稿した形跡は無かったって……」


「アクセスしたのに?」


「トップページは見たかも知れないけど、それ以外はたぶん……」

 優香子の母親は顔を伏せた。



 

『あたし、小説の投稿を始めようと思ってるんだ』


 優香子の手が、耳に触れたように感じた。

 俺の背は――その冷たさにピクリと震えた。

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