王選推薦人no.100(2)~嫌われ者のレッドカーペット~
巻貝雫
プロローグ
誰が何と言おうと、何が正しかろうと、俺はこいつを支持する。
これは俺が決めたことで、俺は俺のためだけにこいつを王の座につけるのだ。
大陸を貫く中央街道の北端を馬車がのろのろと進んでいく。馬車の中には少年が一人乗っていた。まだ若いが幼くはない。騎士や冒険者にしては体が出来ておらず、魔法士のよく着る防御魔法と魔法適性を高める付与のついた黒いローブを纏っている。駆け出しの魔法士といったところだろうか。御者が振り返り確かめた。
「あんた、ここから先はライオネルだよ。本当に行くのかい?」
「ああ、……難しいか?」
「……そりゃあねえ、行かなくてすむもんなら誰だって行きたくはねえさ。悪魔の土地だ。」
「……悪魔の土地、か。でも領主様が来てから良くなってるって話だぜ」
「そうは言ってもよぉ。今の領主様なんか不気味な森の中の崩れかけの城に住んでるって話だ。悪魔の血でも引いてるんじゃないかって……何でも、昼間は決して出歩かないんだとよ。」
御者が声を潜める。
「ライオネルに行ったことのある商人の話によると、今の領主さまは中央委員会に任命された領主様とは血の関わりもないそうなんだよ。ライオネルで出会った優秀な人材をみずから任命なさった、とは言うがいくら優秀な騎士様だったとしても、悪魔に魅入られないとは限らんだろ?それにだな、今の領主様は悪魔の力を使えるし、容赦なく人を殺すそうなんだ」
「……そうか」
「しかもだな……」
雨粒がぽつぽつと馬車の天井を叩き始める。御者は空を見遣って顔をしかめた。
「一雨来る前に送り届けられるといいんだがねぇ」
しばらくの間馬車はゆるやかに街道を進んだ。ライオネルが近づくにつれ、その荒野に数百か所作られたと言われる集団墓地が至るところに見られるようになった。人気のない荒野にカラスの鳴き声が不気味に響く。御者はそのたびに不気味そうに肩を揺らし、もの言いたげに少年を振り返った。振っては止んでを繰り返した空はあっという間に雲の色を変え、雨脚を強める。空が真っ白に光、雷鳴があたり一面に響く。
馬が怯えだす。犬がうなり声をあげ、馬がおののき、馬車が揺れる。
「あ、あ、あんた、悪いがあたしゃあここで勘弁だ、帰らせてもらうよ。こりゃあ歓迎されてないんだ、そうに決まってんのさ」
やれやれと息をつき、代金を入れた袋を取り出そうとした少年は恐怖に怯えた表情の御者に無理やり馬車から引きずりだされた。
「ちょっと待て。お代は……」
「い、いらん!」
少年の後ろでまた空が爆音とともに白く光った。
走り去る馬車を見送った少年はローブのフードを被ると、先に広がるライオネルの土地を見遣った。
「こりゃあ確かに不気味だな……」
彼の前方には街道のすぐ両端にまで墓地が広がっていた。墓地の木が繁殖してあたり一面を覆っているため、森の入り口のようにも見える。そのためこの一帯は「死者の森」と呼ばれている。街道はその暗い森の中に誘い込むように続いていた。
「日本にいたころじゃここに入るなんて死んでも無理だったろうな」
少年は木の下に駆け込むとローブの袖から丸い水晶を取り出した。水晶は赤く光っている。
「やっぱり、導きの水晶の輝きが増してる……この森を抜けるには一日はかかるとしても……、行くしかない、よな」
少年は水晶をしまい込むと、指先に光を灯し、暗い森の中を進み始めた。
夜が深まるにつれて、雨が強まり、嵐のごとく木々が揺れ騒いだ。
夜明け前、一際稲光が光り、垂直に森へと落ちた。
大陸最北の地、ライオネルはかつて悪魔が領主を務めたとも、領主一族が悪魔と契約しているとも噂される土地である。これはもう数百年も前から伝わる伝承であり、ライオネルの地を代々領有してきた領主一族の血縁が絶え、戦火と大飢饉に見舞われて領民が激減、大規模な墓地が至る所に建てられ、管理するもののいなくなった土地は荒れ果てた。森や墓地の木が繁殖してそのように見える範囲は暗く土地を覆い、野生生物や魔物が繁殖するようになり、かつての人々の生活の場は手つかずのまま残され、廃村になっている。しかし五十年ほど前、中央連合委員会が土地の有効活用と大陸の安全保障の観念から辺境伯ルーフェル領にこの地の復興命令を下した。ルーフェル伯爵は老騎士であり、王家からも委員会からも信頼が厚い。彼の亡き後、その家族が業務を引き継いだと言われている。しかし、古くからの伝承の影響か、ライオネル領と呼ばれる広大な土地には未だ活気が戻らず、おそれ怖がられている。その上、老ルーフェル伯爵は晩年耄碌したと言われており、その後継者としてライオネルで見出した土地の人間を指導し、指名した。後継者は古いかつての領主一族が使用していた廃墟に近い城を領主館とし、滅多に人前に出ない。彼は城の地下牢で生贄の生き血を啜っているとも、悪魔と契約したとも言われている。
城はライオネルでも最北の地、世界の果てのライオネル山脈の麓の森の中に位置している。ライオネル山脈を越えた人間は未だかつていないとされ、その山肌の森は伝説の生き物と呼ばれて久しい少数民族の故郷とも、魔界への入り口が存在するとも言われている。ただ一つ、山脈の向こうには海が広がることが知られている。
雷鳴が轟き、城が稲光に包まれる。かっとあたりを照らした光が城の姿をつまびらかにした。
それは確かに廃城だった。あちらこちらで積み上げられた石が崩れ、城門の外郭は跡形もなく、内郭と宮殿がむき出しになっている。宮殿は複数の塔から構成されているもののその多くは崩れ、吹き曝しになっていた。夜が深まるにつれて激しさを増した風雨は容赦なく城を襲った。夜明け前になると雲が晴れ上がりうっすら東の空が明るんできた。優しい風に吹かれる夜明けの城の中、倒壊を免れた主塔の地下階段を貴族の正装を身にまとったまだ幼い少年が一人、下りていく。
その地下に位置する地下牢では固い石畳の上で今正に黒いローブの少年が目覚めようとしていた。
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