ノイジー・アフター
巫夏希
第一章
第1話 出会い
西暦二〇二五年八月二十八日は、人類にとって大きな転換点とも言える日だった。
午前十一時三十七分、その日人類は突如として十億人が亡くなった。
世界人口の、およそ十パーセントだ。
何故死んでしまったのかは、最初は分からなかった。元気だった人間がいきなり亡くなったからということで、心臓麻痺を疑ったこともあったらしい。
けれども、実際には違った。
数時間後に発表された原因は、何とも理解し難い話だったからだ。
——十億人もの人間が一挙にして亡くなった理由は、『ノイズ』が原因である。
それを聞いて、どれだけの人間が納得したのかは分からない。話を最初に聞いたときは、科学者は十億人もの死者を聞いて狂ってしまったのではないか、などと思う人も少なくなかった。
しかし、現に十億人が突如として死亡し、その理由は判明していない——ともなれば、そんな突拍子もない意見を疑うのはお門違いかもしれなかった。
いずれにせよ、政府はそれを容認し、その日をこう呼ぶこととした。
ノイジー・デイ、と。
◇◇◇
行基市は、人口十万人の地方都市である。
ノイジー・デイが起きてからも、人々は普通に生活をしている。地下鉄では、大量の学生とサラリーマンが寿司詰め状態で乗り込んでいるし、商店街には沢山の人が買い物を楽しんでいる。駅前には世界の破滅の予言を届けようとする人間だって居る。
そう、世界は、あんなことがあったにも関わらず、いつも通りの日常を送っている。
行基駅の駅前には、巨大なビルがある。硝子張りの建物の中層部には、モニターが設置されており、様々な映像を配信している。
今日流れているのは、昨夜世界中に配信されたと言われている、世界で一番有名なアイドルのプロモーションビデオらしい。
何故仮定ばかりを並べ立てるのかと言われれば、ぼくがそれに興味を持っていないから。
興味がないことを、知るはずもないだろう?
ふと映像を見ると、青を基調としたドレスを身に纏って、ピンク色の世界で踊っていた。
何とも不可思議、かつ奇妙な映像だ。
アイドルのファンからしてみれば、垂涎物なのかもしれないけれど。
ノイジー・デイを迎えても、世界から人々が多数消え去ったとしても、世界は回り続ける。
歯車が、止まることはない。
◇◇◇
ノイジー・デイ以降、精神科に通う患者は増えているらしい。
元々現代社会のストレスに耐えきれない人たちが通っていたのだけれど、ノイジー・デイ以降は別の悩みに悩まされる人も多くここに通っているのだ。
曰く、当たり障りのない不安。
曰く、ぬるま湯を塗りたくられているような不快感。
曰く、何もやる気にならない感覚。
「……結城一樹さん、どうぞ」
いつものように名前を呼ばれて、ぼくは診察室をノックする。
引き戸を開けると、少し小太りの白衣を着た男性が、恭しく会釈する。
ぼくは、彼を先生と呼ぶ。
名前なんて、覚えなくたって良い。
名前は、個人を特定するための材料に過ぎず——それ以上でもそれ以下でもないからだ。
「どうでしたか、様子は」
「……ええ、まあ。何も変わりませんね。今日も、あの日のことを思っていました」
「もう忘れるべきです……とは言えませんね。ノイジー・デイは、最早世界の歴史に刻まれた一日と言えます。未だ半年しか経過していませんし、やっと半年と言えるかもしれません」
「先生は、ノイジー・デイをどう思っていますか?」
「どう、とは?」
「その、客観的に見て」
客観的と言える程、昔の話ではないことは分かっているけれど。
「ええ、そうですね……。ノイジー・デイは、何を原因として起こったのでしょうか。わたしは研究者でもありますから、そこばかりが気になりますね」
「原因……」
最初の方はマスメディアも取り上げていたような気がするけれど、気付かないうちに誰も取り上げなくなっていた——ノイジー・デイの原因。
「原因は、何だと思いますか?」
「ノイズが生まれた原因、ですか?」
質問を質問で返されてしまったけれど——まあ、そういうことだ。
何故、ノイズは生まれたのか。
ただのノイズではなく——十億人もの人間を殺戮した、殺人ノイズが。
「そんなことが直ぐに分かれば……、苦労しませんよ。とっくにわたしはノーベル賞を取れているかもしれませんね」
はっはっは、と笑いながらモニターを眺める。
「……では、お薬は同じで構いませんね?」
「ええ」
何度飲んでも、あんまり効果はない。
きっと永遠に、この薬を飲み続けるのだろうけれど——それを先生に言うつもりはない。
悪いのは、あのノイズなのだから。
◇◇◇
帰り道は、退屈だ。
バスで帰っても良かったのだけれど、珍しく歩きたくなったから、歩いている。
普段の様子は全く気にならないのだから、別に薬なんてもらわなくても良いのかもしれないし、飲まなくても良いのかもしれないけれど、一応、先生からもらっているのだから、飲んでいる。
それが、もしかしたら偽薬かもしれないけれど。
まあ、仮にそうであったとしても——先生なりの優しさなのだろう、多分。
そう思いながら、ぼくは路地を曲がった——その時だった。
視界に、何かが映り込んだ。
住宅街だから、映り込むのはせいぜい電柱ぐらいのはずなのだが、そこには、黒い靄があった。
靄は、実体化しているように見える。
蠢いているようにも見える。
目や足、手はない——ただ雲や靄に近いそれは、道路の真ん中に陣取っていた。
「……え?」
呆気ない声を出してしまった——と我ながら思った。
それと同時に、声を出してしまったことを酷く後悔した。
相手に気付かれてしまう懸念があるのを、すっかり忘れていたから。
けれども、ぼくは幸運だった。きっと、テレビの占いが三位ぐらいだったのかもしれない。
靄は気付くことなく、そこに佇んでいる。
ぼくの横を自動車が通る。自動車の運転手は靄に気付いていないのか、そのままスピードを緩めることなく——突っ込んでいく。
「あ、危ない……!」
叫んだところで、車が止まる訳はない。
けれども、車はそんなものなどなかったかのように、平然と走り去っていく。
いや、それだけではない。向こうからやって来るママチャリだって、小学生だって、犬だって、猫だって、カラスだって……靄を無視している。
見えているのは、ぼくだけなのか?
とうとう、おかしくなっちまったか。
ぼくは深い溜息を吐いた——。
「……見えるのかい、アレが」
声がした。
凜とした、声だった。
背後から、その声はした。
振り返ると——そこに立っていたのは、パーカーを着た少年だった。
グレーのパーカーで、帽子を被っている。深く被っているから目までは窺い知れないけれども、幼い様子は分かる。幼いと言っても、ぼくと変わらないぐらいだろうか。
少年は笑みを浮かべて、再度問いかける。
「見えるのかい?」
確認するように。
慎重に——そいでいて、丁寧に。
ぼくは、嘘を吐けないと悟った。
だから、正直に——正直に頷いた。
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