守輪の姫君

小西オサム

姫の出会い

第一話、面影

 ゆかりは鏡の前で笑顔を作る。一度は奥ゆかしく上品な笑みを、二度目は思いっきり笑ってみる。それからちょっとだけはにかんだ。

 ゆかりは、掃除を終えた部屋を見回す。石の床を拭き、家具の上も鏡も寝具も品の良い赤色の柱さえも丁寧に拭いた。ゆいかの花の髪飾りはさらに大切に磨いた。大切なゆいかの部屋だからこそ。

 ゆかりとゆいかは世界の守り人としてこの世界に強引に招かれた。あの時戸惑い泣いたゆかりに私がいるよと言ってくれたゆいかは何よりも大切な存在だ。だからゆいかがいなくなってもなお、ゆかりはゆいかの部屋を自分の部屋以上に丁寧に毎日掃除する。

 「守り人ゆかりさま、朝食の用意ができております」

 そうお付きに言われ、ゆかりは分かったわと頷き、清流のような柳染色の髪が揺れる。ゆかりは晴れやかな朱色をした模様つきのスカートを、上衣にはボタンのない輝かんばかりの白の服を着ている。体の細いゆかりがこの服を着ると守り人というより、姫という言葉がよく似合う。ゆかりは守り人と呼ばれるには若すぎる。初めて会った者は、まだ二十にも満たない彼女が世界の守り人であることを知って目を疑うことだろう。

 濃い柚葉色の瞳に少しの寂しさを浮かべ、ゆかりは名残惜しそうにゆいかの部屋を後にする。ゆいかは世界のために死んでしまった。この世界の人々の脅威であるアクタの国、大機械帝国「栄界」を滅ぼす代償としてゆいかは身を捧げたという。ゆかりはゆいかの最期に立ち会えなかった。あれだけ前を歩き続けたゆいかが死んで、後ろを歩いていたゆかりだけが残った。

 「私がきっと、大丈夫にするよ」

 ゆいかの言葉を、残されたゆかりは忘れられない。ゆいかの薄花色の髪は穏やかでまっすぐな金青色の瞳によく似合っていた。ゆいかの声は、その底に強さがあり、どうしてかきっと大丈夫だとゆかりは安心できた。だからこそ、今度はゆかりが残されたたった一人の世界の守り人として前を向きたいと思っている。

 世界の守り人だけが使える能力、それは造円術と呼ばれている。ゆかりは造円術の「絶縁」を、今は亡きゆいかは「創縁」を使う。かつては二人で立ち向かえた敵に、これからはゆかり一人で立ち向かわなければならない。それがどれだけ難しいことか、ゆかりには分かっていた。それ以上に、今まで同じ世界から来て一緒に生きてきたゆいかがいなくなった穴が、彼女の心にずっと空いていて、気を抜くと寂しさがこみあげてしまう。だから彼女は笑顔でいたかった。

 「もう私しかいない。私がやらなきゃ」

 ゆかりはそう自分に言い聞かせて、食事の間へと歩いていく。彼女にはその若さにあまりに不釣り合いな世界の重みがのしかかっていた。小鳥の鳴き声で、笑顔、笑顔と繰り返していたゆかりはふっと廊下の外を眺める。彼女の気持ちが一瞬ゆるんだ。彼女の住まい、守輪宮の朝がいつもと変わらず穏やかに進んでいく。

 「ゆかりさま。おはようございます。こちらへ」

 食事の間に行くと、白地の料理服を着た料理長がうやうやしく頭を下げていつもの席へ案内する。食事の間には音楽からくりが置いてあって、上品な音楽を奏でている。ゆかりが席に座ると、目の前にはひかえめによそわれているが品数の多い朝食があった。

 「料理長。今日もありがとう」

 「はい。私ども世界中の国家が集まる輪球会議から任されたお役目、しっかりとこなしてまいります。今日は喪に服されてお疲れの守り人ゆかり様に少しでも心休めていただきたく、紅葉国の名物料理、猪の三度焼きも用意しました。量が多すぎるなど、ありましたか?」

 ゆかりは、紅葉国という言葉にはっとする。紅葉国は、もう一人の世界の守り人ゆいかが大機械帝国栄界との戦いで命を落とす前に最後に訪れた国だ。

 「いえ。ありませんわ。って、あなたには気を遣わないでいいんだっけ。うん。量、大丈夫だよ。ねぇ、紅葉国ってどういうところなの?}

 「紅葉国は木造建築が有名です。首都紅貴の赤塗り大路の茶店で軒花饅頭のきはなまんじゅうを食べながら通りを眺めれば、それはそれは風情を感じられるそうです。恋人に紅葉もみじを送りあう風習もあって寺院には……。失礼、恋愛を話題にするのはまずかったですね」

 料理長はゆかりではなく、彼女の後ろで部屋の隅にいる輪球会議の調査官を見た。ゆかりは輪球会議の管理下にある。そのため彼女の結婚も輪球会議が審議する。輪球会議が決定して守り人を召喚したのだから、この世界の人々からすれば守り人を管理することも当然だ。ゆかりはそういう今の待遇にちょっと不自由を感じる。それでもゆいかなら大丈夫にすると言って突き進むとゆかりは思った。笑顔、笑顔とゆかりは心のうちで言う。

 「大丈夫。紅葉国、いつか行ってみたい。じゃあ朝食にするね」

 ゆかりはいただきますを言うため手を合わせた。この世界にいただきますの文化はない。だからゆかりとゆいかが初めて食べたご飯で手を合わせたとき、周りの人々に問い詰められた。今ではもう彼女に誰も何も言わない。今では食べないはずの調査官と料理長もお付きも、ゆかりが手を合わせるのと同時に手を合わせている。静かになった部屋には厳粛な空気が漂い出す。

 「いただきます」

 部屋にいた調査官や料理長、お付きの声がゆかりの軽やかな声と一緒に重々しく響いた。紳士で有能さの垣間見える調査官も、日々腕を磨く職人のような風貌の料理長も、普段からおしとやかに振舞うお付きたちも、皆、ゆかりと一緒に手を合わせていただきますを言う。彼らは部屋の端に立っていてここで何も食べないけれどいつも声を合わせる。ゆかりはそれがおかしいが、面白いのであえて何も言わないでいる。ゆかりは箸を手に取り、彼女に合わせて少なめによそわれたご飯を食べ始める。

 ゆかりが食べ終えると、その前にあるお皿をお付きは片づけていった。それを見計らった調査官がゆかりのそばに立つ。

 「守り人ゆかり様、ゆかり様はゆいか様の死後、喪に服され、現在も休養中となっております。輪球会議では、一人になった守り人の公務について議論が一段落したところです」

 「えぇ。調査官石英さん。話は他の調査官からも聞いているわ。守り人の公務の量を半減するために、重大事案のみを私に任せるそうね」

 「そうです。ゆかり様は我々では対応できない強大なアクタの討伐にのみ当たっていただきます。復職後初の公務の日程と内容がそろそろ決まるのでその報告でした。ところで、ゆかりさんはこの国、陽来国の首都、陽光を久しぶりに見たいという話でしたね。輪球会議とかけ合った結果、本日、護衛帯同でお忍びの調査という形で許可されました」

 「本当!石英さん、ありがとう」

 ゆかりは喜びで柚葉色の瞳に輝きをあふれさせて声を弾ませる。石英は、私だけの力ではありませんよ、他の調査官も頑張りましたと謙遜する。もう一度石英にありがとうと言ったゆかりは久しぶりに守輪宮の外へ出られることが楽しみで仕方なかった。

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