第16話 嵐は突然に

「ただいま」


 暗くなった玄関で響いた声に返事はない。今の時間帯だ。晴明はとうの昔に仕事へと向かってバーテンダーをしていることだろう。今日のこともあり、無性に会いたくなってしまう。ちょっとぐらい会いに行ってもいいのではないかと、作ってくれた晩御飯を食べながら考えた。お客としてならば良いだろう。思い立ったら吉と思い、再び出かける準備をしバーレインへと早足で向かって行った。


「いらっしゃいませ」


「あー! 翔平くんじゃん」


 雨霧の来店に晴明は驚いたような顔をしたがすぐ様にお店の顔へと戻る。そしてカウンターの真ん中に座っている出雲を見ると身体が固まりかけたが、手招きされているから無視するわけにもいかない。小さく笑いながら雨霧は出雲に近づいていき、隣の席に座る。


「ひっさしぶりじゃーん。家に引きこもっていたの?」


「昼は出歩いている。夜は大体寝るだけにしたいから」


「ふーん、そうなんだ。じゃあ、今日は珍しく外に出たんだね」


「あぁ、そうだ。たまには飲みたくなるから」


「拓哉に会いに来たわけじゃないんだね」


 自分の心を見抜くような真っすぐな水色の瞳に雨霧は目を逸らしたくなった。晴明に会いに来たのだが、それを言うと心に秘めた想いすらバレてしまいそうで怖い。今のまま過ごせるだけ過ごして、甘い時間を噛み締めた後一人で歩んでいくんだ。そうしなければ晴明に迷惑をかけてしまうから。


「晴明にというよりは飲める場所を探したら、ここだっただけだよ。前から通っているのは知っているだろ」


「確かにそうだったね」


 雨霧が当たり障りない返事をすれば、出雲は納得したのか目を合わせるのを辞めた。それに対して内心安堵をする雨霧だったが、次の発言に狼狽えることになる。


「よかったー。流石に元とはいえ、恋人だった人と奪い合うなんて嫌だもんね」


「……はっ?」


「僕ねー、拓哉くんのこと好きなんだ。だから、奪われたくないんだよねー」


 出雲が言っていることが雨霧には理解できなかった。出雲には革靴の男がいたはずだ。あの日のことは未だ忘れられない。もしや別れたのか。だとしても、何故晴明なのかと雨霧は理由を探していたが、答えは出雲から打ち明けてられた。


「拓哉くん優しいじゃん?それに話してて楽しいし、顔もいいし、いいところしか見せてないかもだけどいいなーって」


「……革靴の人は?」


「んっ? あぁ、彼? 彼はただのセフレだよ。彼氏としてはちょっとね」


 雨霧は沸き立つ黒い感情を飲み込み震える声で尋ねると、悪気もなく出雲は答えた。きっと出雲からしたらあの光景はいつものことなのかもしれない。だが、雨霧は傷ついた。悲しかった。出雲からすればとるに足らない出来事でも、恋人だと信じていたし、愛し合っていると思っていた。だが、出雲からしたらセフレと変わらないのかもしれない。そんな人間に晴明を渡せるかといえば、渡せない。


 会話を聞いているだろう晴明を見ると何事もないように仕事を続けている。友達でしかない自分が止める権利があるのと悩む。なにより言葉が出てこなかった。


「とりあえず邪魔はしないでよね。翔平でも許さないから」


 そこからは話すことはないとばかりに出雲は晴明の方へと身体を向けて会話をし始めた。雨霧はやるせない気持ちを抱えたまま、ブランデー・クラスタを一杯飲んでその場を後にする。その姿を晴明は静かに見ていた。

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