第2話 算術的志向
そんな松下を待っていたのは、部屋に入ってビックリしたのは、仕事場の雰囲気だった。
うるさいくらいの営業部に比べて、システムは、よくも悪くも、陰湿に見えた。
「こんなところで仕事をするのか?」
と思ったほどだった。
しかし、考えてみれば、これは集中していれば当たり前のことであり、学生時代に勉強しようと思い、図書館に行った時、中には、静寂が我慢できないのか、勉強室に道具を広げたまま、表で友達とくっちゃべっている人もいた。
「そんなことするのなら、最初からファミレスにでも行けってんだ」
と苛立ちを覚えたものだが、そんな彼らでも、一応は、
「静寂の中で勉強ができるかも知れない」
と思ったのだろう。
だが、実際にやってみると、
「とてもじゃないが、耐えられない」
と思ったのかも知れない。
勉強というものが、どれほど大変なものなのかということを、
「忍耐力がない」
という意味で、初めて感じたのかも知れない。
それは、実は松下も彼らと同じで、最初は、
「自分に集中力がないからなのか?」
と思ったが、そうではなかった。
「一生懸命になれるものであれば、勉強でなくても、集中力を高めないとできないことだと思うことで、勝手に、静寂と同化するのではないか」
と思えるほどだった。
だから、静寂に慣れることができれば、それは、
「一生懸命に励むために、自分の世界を作る」
ということで、まるで、
「宗教の世界と、通じるものがあるのではないか?」
と感じたのだった。
それを思うと、最初こそ、不気味なほどだったシステム室が、次第に、
「こここそ、自分の居場所なんだ」
と感じるようになった。
その場に馴染んできた、順応してきたと言ってもいいだろう。
そもそも、
「何もないところから、何かを作る」
というのは、嫌いではなかった。
「どこか芸術に似ている。共通点がいっぱいある」
と感じたところから始まったのだ。
あれは、高校時代だっただろうか? 絵を描くのが好きだった。
中学時代までは、絵を描くのが苦手だったのだが、その理由が、
「遠近感とバランスが分からない」
と思ったことだった。
それが、錯覚によるものだということはピンと来ていたのだが、その錯覚がいかに自分を惑わしているのかという細かいところまでは分からなかったのだ。
まず、最初に、キャンバスのとこに筆を落とせばいいのかが分からない。最初は下書きから行うのだが、その下書きをする時に、目の前の光景をそのまま描くと、どこまでが錯覚で、どこまでが、錯覚だと思えないというのかが分からなくなってくる。
これは、将棋が好きな人から聞いた話だが、
「将棋の一番隙のない布陣というのは、最初に並べたあの形なんだって、だから、一手差すごとに、隙が生まれるんだ」
ということだったが、最初に真っ白なキャンバスに筆を落とすのは、真理としては、
「逆のもの」
ではあるが、発想は同じところから始まっているような気がする。
将棋の場合の第一手は、減算法による第一手であり、キャンバスの上の一手は、加算法による一手である。だから、
「前者は、99で、後者は1ということになるのだろうが、進んでいくうちに、いずれ、交差してしまい、今度は、それぞれまた離れていくことになる」
というのだ。
ただ、彼が最後に言っていたのは、
「減算法で最後の方で、1より小さくなっても、絶対にゼロにはならない」
という難しい話を始めたのだ。
「でも、今の発想で、1ずつ減っていけば、最期にはゼロになるのでは? 問題はそれ以降だと思うんだけど」
というと、
「いや、ゼロにはならないのさ。もし、1の次がゼロだとすると、ゼロにならないような工夫が、いや、理屈が施されることになる。これは、永遠に続くものということで、ゼロにはできないという、ある意味、逆の発想だったりするんだよ」
というではないか。
「どういうことなんですか?」
と聞くと、
「この場合は、加算法と比較しているから、減算法という言い方をしたが、実際にはそうではない。減算ではなく、除算なんだよ」
というではないか。
「除算って、割り算のこと?」
「そうだよ、割り算を考える時、自分はいつも発想として、合わせ鏡を感じるようにしているんだけど、合わせ鏡というのは、自分の前後や左右に鏡を置いた場合、半永久的に自分の姿が映り続けるという理屈は分かるよね?」
と言われた。
「ああ、もちろん分かるよ。僕は合わせ鏡を想像した時、頭に浮かんでくるのは、なぜか、ロシアの民芸品である、マトリョーシカ人形を思い出すんだよ。あの人形の身体の横半分から、前後が蓋のようになっていて、そこを開けると、また新たな人形が出てきて、さらにそれを分けると、また、別の忍氷河出てくるというカラクリだよね。あれだって、ゼロには絶対にならない。ただ。合わせ鏡の場合とは少し違うのかも知れないが」
というと、
「それはね、きっと、合わせ鏡の元になっている自分が、形のあるものだからだよ。いくら小さくなっていっても、途中まで存在しているものが見えなくなったとして、最期ゼロになってしまうと、最初からあったはずのものが否定されるんじゃないかと思うんだ、これは、発想が飛躍しているかも知れないが、タイムパラドックスに似ている。タイムマシンで過去に戻って、親が自分を生むということの妨害をしてしまえば、自分が生まれてこなくなり、そこから、不思議な連鎖が考えられるようになるからだ。そう考えてしまうと、不思議なことの連鎖って、意外と普通では考えないようなことが連鎖しているように思うんだよ。マトリョシカも、合わせ鏡も、タイムパラドックスも、永遠をテーマにするならば、ゼロというものはありえない、限りなくゼロに近いというものを創造しないちといけないのではないかと思うんだよ」
というのだった。
高校生になってから、絵を描くのが好きにはなったが、美術部に入部しようとまでは思わなかった。あくまでも、絵を描くとしても、それは我流だと思っていたからで、理由はその時は分からなかったが、今から思えば、
「習ってしまうと、自分で作り出したという感覚にはならないような気がするからではないか?」
と思うからだった。
絵を描くというのは、描写であり、一から新しいものを作るという感覚とは微妙に違うと思っていた。
だから、どこが好きなんだが煮え切らない感覚があった。それを考えると、
「人から教えてもらった絵画が、自分で作り上げた創作物ではなく、ただの模写にしか思えない」
と思うのだった。
しかし、これが我流であれば、
「あくまでも、自分の感性だけで作り上げたもの。模写であっても、完全なオリジナル作品だ」
と思えるからだった。
そう思うということは、改めて、自分が、オリジナリティを大切にしていて、
「何もないところから、新しいものを作り上げる」
ということに執着しているかということを感じるのだった。
松下は、自分の中で、
「芸術や自分の好きなことなどと、それ以外との間には結界のようなものがあり、それが、創造なのだと思うことだ」
ということを、感じていた。
それが、中学時代まで、芸術的なことに、まったく興味がなかったのに、急に絵画に目覚めたきっかけになったことなのかも知れない。
中学時代までは、芸術を簡単に諦め、逆に嫌いなものだと思っていた。
しかし、心の中のどこかで、
「芸術は、侵すべからずなところ」
を感じていたのだ。
この感覚があったから、会社でいきなり、
「部署替えだ」
といって、システムに行かされても、腐ることはなく、受け入れられた。
最初は確かに、圧倒されることもあり、何しろまったく畑違いだと思っていただけに、何をどうしていいのか、戸惑うばかりだった。
絵画を最初に始めた時、正直、
「どうせ、うまく描けやしないさ」
と思っていた。
その理由は、絵を描くということがどういうことか、そして、自分がどうして描けないと思っているかということが分かったうえで、だから、いまさら、
「どうせ、克服なんかできないんだ」
という思い込みから描いてみたのに、書いてみると、
「あれ?」
と感じるほど、うまく描けていたことに、我ながらビックリさせられた。
これは、
「嬉しい誤算」
だった。
この時の感覚が、システムの部屋に入った時、戸惑いと、孤独感とともに、なぜかよみがえっていた。だから、その時、その場から逃げ出すどころか、逆にやる気のようなものが漲っていたのであって、そんな気持ちは初めてだったのだ。
「こんな気持ちになるなんて」
と正直思った。
そのおかげで、システムはまったくのド素人であったが、やってみると、実に楽しい。特にプログラムを作るということが、今まで追い求めてきた。
「何もないところから、自分の個性と感性で作り上げる」
ということを、自らで実践できるということに気づくと、
「完全に嵌ってしまった」
といっても過言ではないだろう。
「こんな毎日がやってくるなんて」
と正直感じられたのだった。
プログラミングと、絵画とは、まったく違う感覚であり、ただ、
「新しいものを作り上げる」
という根底が同じだけだった。
だが、実際にプログラミングをしている時に、
「まるで絵を描いている時の感覚のようだ」
と感じるのは、どうしてなのだろうか?
やはり、最終的な終着点が同じだと、その過程が違っても、途中の感覚は同じようなものとして感じる者なのであろうか?
そんな風に、松下は感じるのだった。
小学生の頃、特に低学年の頃は勉強が嫌いだった。その理由として、まず、
「先生にやらせれている」
という思いがあり、宿題の存在がその思いをさらに深くした。
宿題など、押しつけ以外の何者でもないように感じたことが大きかったのと、もう一つ納得がいかなかったのは、算数だったのだ。
「一足す一は二」
ということが、どうしても、理屈として分からなかったのだ。
普通、理屈で考えることではなく、受け入れるものだということで、最初の何もない状態から、受け入れるには、ちょうどよかったものなのかも知れない。
しかし、どうしても、理屈で分からなければ納得できないと思っている松下は、先生に、
「どうして、一足す一が二になるんですか?」
と聞いてみると、先生は困惑して、
「そういうものなんだから、そうだと思って受け入れればいいんだ」
というではないか?
「受け入れられないから聞いているのに」
と考えた。
先生はきっと、
「なんて、面倒臭いことを聞いてくるんだ。そんなもの、納得なんかするものじゃないんだから、受け入れればいいんだ」
といっているようにしか見えなかった。
その様子を見て。
「なんて、露骨な考えなんだ」
と思い、その心境が完全に表情に現れていた。
「これが、大人というものか」
と思うと、
「こんな大人にはなりたくない」
と感じたのだ。
大人の露骨な態度を最初に感じたのは、その時だった。
だから、余計に算数が嫌いになり、そもそも、最初で理解できないのだから、そこから進むはずもない。まだ、スタートラインにも立っていない状態だった。
だからと言って、他の人を待たせるわけにはいかない。自分抜きでスタートをした。
かといって、自分を棄権にするわけにはいかない、特に小学校というのは、義務教育なので、落ちこぼれたとしても、無理やりにでも、競技に参加させる必要があるのだ。
それはある意味、むごいことだった。
嫌いな食べ物を無理やりにでも食べさせるようなもので、下手をすれば、アレルギー性のショックを起こすかも知れない。
今ではアレルギーで、アナフィラキシーショックなどを引き起こすと、死に至るということも少なくなく、特に食べ物の、アレルゲン表記には、かなりうるさく言われていたりするものだ。
「やはり、明らかに見えるものと、見えないものの違いなのだろうか?」
ということであった。
アナフィラキシーショックというと、一番言われるのは、
「ハチに刺された時、二度目に死ぬ」
というものだ。
スズメバチに刺されると、一度目は免疫ができる。しかし、二度目に刺されると、その免疫がハチの毒に反応し、アレルギー性のショックを引き起こす、それが、
「アナフィラキシーショック」
であり、かなりの確率で死に至るというものであった。
そういう意味で、ナッツ類や、乳製品、ラテックス、フルーツなどのアレルギーは危険だと言われるのは、このようなアナフィラキシーショックを引き起こすからである。
算数というものを、最初が理解できなかったことで、なぜか嫌いにはならなかった。
ただ、
「理屈が分からない」
という感覚があるだけで、実際に理解しようとしてもできないことから、先生に相談したのに、あそこまで露骨に、嫌な顔をされ、面倒臭いと思われてしまったのだとすれば、それは、とんでもない話であった。
だから、
「罪を憎んで人を憎まず」
の逆で、
「人を憎んで、算数を憎まず」
と感じたのだ。
小学生の低学年の頃から、まるで悟ったかのように、人を嫌いになるということもあまりないだろう。
しかし、大人から見て、
「どうせ、相手は小学生の低学年。まだまだ洟垂れ小僧なんだから、真剣に打て合うことなんかないんだ」
と思われているとすれば、これほど、憎々しいと思うこともないだろう。
子供なので、そこまで大人のような怒りを表に出すことはできないだろうが、それだけに、内に籠める気持ちは大きいだろう。
まだ、思春期も反抗期も、遠い未来に残しながら、すでに内に籠める思いがあったなどというのを考えると、自分が神経質なのではないかと思っていたが、大人になるにつれて、
「こんな感覚は何も自分に限ったことではないのではないだろうか?」
と感じるようになったのだった。
少なくとも、この時から、この先生だけは信じられなくなった。さすがに、この人だけが信じられないといって、先生全員、さらには、大人というものを信用できなくなるほど、自分もまだまだ経験があるわけではない。
それを思うと、次第に、算数を受け入れてもいいかも知れないと思うようになり、
「一足す一だって、そんなものだと思えばいいんだ」
ということを自分で納得できる気がしたのだ。
逆にいえば、あの先生が、面倒臭そうに言ったことが、皮肉にも、
「反面教師」
ということになり、自分に先生に逆らうということがどういうことなのかというのを教えてくれたような気がしたのだ。
「先生がそう言うんだったら、その通りにしてやろうじゃないか? もしできなかったり、失敗すれば、その責任はすべて先生にあるんだ。それを公表してやればいいんだ」
と、
「子供の特権」
を利用してやろうと思ったのだ。
それくらいのことをしても、
「あの先生にだったら、バチは当たらないさ」
と思ったくらいだ。
要するに、
「騙されたつもりで」
というくらいにKんが得た方が、気が楽だし、そう思うことで、相手に対して感じていた怒りが、反面教師という言葉で和らいでくるのを感じるのだった。
先生というものが、今の時代では、
「教師ほど大変な仕事はない」
と言われている。
特に、一日平均の労働時間が10時間などという恐ろしい話を聞いたものだ。
しかも、残業手当などないだろうし、相手が生徒なので、
「自分のペースで仕事をする」
などということはできっこない。
しかも、反抗期や思春期だと、トラブルを起こせば、出てくるのは、警察や、父兄。そしてPTAである。
どれほど理不尽なものなのかということは、分かっている。
「先生も大変だ」
ということで、同情もするのだろうが、小学生にそんなことが分かるはずもない。
親からすれば、
「教育のプロである先生に預けている」
ということで、何かあれば、クレームを入れるのが当たり前だと思っている人が大半である。
ただ、ある日、子供向けのマンガを見た時、
「何かいいことをすれば、ご褒美がもらえる」
というもので、一つは、
「お母さんのお手伝いをする」
というものであったが、もう一つは、
「勉強を頑張る」
というものであった。
これを見た時、当たり前のことだと思っていたはずの、
「勉強をする」
ということが、褒められることだったんだと感じたことで、急に眼からうろこが落ちたような気がしたのだ。
今まで、勉強はしないといけないと思っていたから、何となく胡散臭く思えてきたのだが、すれば褒められるのだと思うようになると、
「一足す一が二」
というのも、受け入れる受け入れないではなく、
「このことを基本に算数に入っていけば、そのうちに理解することができる事案にぶつかるはずだ」
と考えたのだ。
だから、勉強をするということは、
「そういう疑問に感じたことを理解できるための道具を見つけることだ」
と考えられるようになると、勉強するのが楽しくなるのではないかと思えたのだった。
それが、勉強をすることへのトラウマの解消だったと思う。
そもそもトラウマと思っていなかったということの方が問題で、漠然と、
「やらされているということで、反発しているんだ」
と思っていると、やはり、算数でスタートラインにも立てなかった理由が分かってきたような気がしたのだ。
しかし、褒められるということが、いいことなのだということに繋がってきた時、自分のわだかまりも解けたような気がした。
そして、そのわだかまりが、トラウマだったのだと思うと、どこか、気が楽になってくるという少しおかしな感覚に見舞われてきたが、それも、どこかおかしな気がしてきたのだった。
そして、
「算数の呪縛」
から解き放たれると、今度は、堰を切ったかのように、算数が面白くなり、自分で公式を考えるようになった。
これは、古代の人たちが思いを凝らし、算数の公式を考えてきたのだろう。
アルキメデスやピタゴラスなどの数学者が求めてきた問題。それは数学だけに限らず、物理学、科学にも通じるものだった。
それを考えると、算数というのを、基本、整数と考えるならば、
「決まった間隔で並んでいるものなのだから、その法則というのは、無限に存在するのではないか?」
と思えたことだった。
次の瞬間に起こりえる可能性が無限にあるように、算数の法則など、無限に存在する。
そこに、倍数であったり、約数であったり、さらには、素数などという考えができてきたのも、数字というものが、規則的に並んでいるからである。
だから、形として時計ができたり、時をきちんと刻んでいるわけではないのに、幾何学模様としての芸術ができあがっているではないか。
建築家や芸術家が、数学的なことを考えていたわけではないだろう。
ただ、
「芸術というものを、追い求めた」
というところから考えて、
「求めた答えが一つであるが、その可能性は無限である」
と、言えるのではないだろうか?
数学には、答えが一つではないものもあるし、
「解なし」
というのも存在する。
中学生の時に習ったが、どういうものだったか忘れてしまった。先生も、
「そういうものが存在する」
という一つの例として出しただけで、その問題について言及することはなかったのだ。
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