世界平和の生贄(3)

 明日の儀式のことを想像するとため息が出そうになったが、私はそれを飲み込んだ。

 儀式をやると決めたのは私だ。

 人の未来を奪う立場で、たとえ意に沿わないことをするとしても憂鬱などと思ってはいけないだろう。

 初めに儀式の話が出た時から覚悟できていたと思っていたが、どうやら迷いを捨てきれていなかったようだ。

 私は今まで何人もの人を殺したことがある。

 だが、その全ては悪人や罪人だった。

 しかし、彼は悪人などではないし、法に触れるような罪を犯したわけでもない。

 あえて彼を殺す理由を挙げるのならば——弱者であること、だろうか。

 私は、また喉元まで出かかったため息をしっかりと飲み込んだ。


 「アスティエよ。明日の儀式、万全の体制で挑むのだ。決して失敗は許されぬ」

 「はっ」

 「成功だけが、かの者への償いないとなることだろう。尊き命を無駄にしてはならんのだ」

 「御意」


 教皇様の目にもう憂いの色は見られない。

 強い意志のこもった眼差しは、来るべき困難のその先にある平和への道筋を真っ直ぐに見据えているようだ。


 「失礼いたします」


 私は明日の準備のため、教皇様に礼をし部屋をでた。


 儀式は明日の深夜。

 現在が夕刻であり、残された時間は一日と数時間だ。

 彼の相手は影に任せているから問題ないとして、儀式の場を整えることと、儀式を執り行うための人員も必要だ。

 王宮内の教会を使用することになっているが、祭具の確認をしなくてはな。

 祈りを捧げる司祭もいるだろう。


 そして……、一番重要なのが警備だな。

 宰相はああ言っていたが、私の予想ではこのまま何も起こらないなどあり得ないだろう。

 ヴァントラーク家の者は必ず彼を助けにくるはずだ。

 私の予想通り、先ほどから怪しい人影の報告が何度か王宮の警備隊へ入っている。

 警備隊も初めこそは侵入者だと人影の正体を探しまわっていたが、結局見つからず。

 現在は捕まえることよりも王族を守ること優先することに決め、宮殿の警備のみを強化することで落ち着いたようだ。


 目撃されている人影はおそらく、ヴァントラーク家の密偵だろう。

 目撃箇所が宮殿の周辺だけでなく、使用人寮や騎士寮、主人のいない離宮と広範囲ながその証拠だ。

 彼らはもう、ラルト殿がここにいると確信している。

 もしかすれば、居場所さえも知られているかもしれない。

 これは、相当な強者を敵に回してしまったな。

 あと一日がとても長く感じ、私は深いため息を吐いた。


 ヴァントラーク家と言えば、国境を守護する騎士家であり、辺境伯の爵位をもつ王国の貴族でもある。

 貴族としての申し立ては国王がどうにかするだろうが、騎士として攻め入ってきた彼らを相手にするのは我々教会の仕事になるだろう。

 王国は、儀式を行うのは教会の決定によるもので自分たちはその決定を見守ることしかできなかった、という話にしたいたしい。

 儀式後のヴァントラーク辺境伯と対立を避けるためか、王国は場所の指定をしつつも儀式のために騎士を招集したりはしなかった。

 

 ここ数年の中で一番過酷な戦いになりそうだ。

 きっと相手の中にはあの方もいるのだろうな。

 私は苦い過去を思いたし思わず苦笑した。

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