二十七話 秋の涼風と共に便りは訪れる

 朱蜂宮(しゅほうきゅう)の中庭に立つ樹木の葉にも、赤や黄色が目立つようになってきた。

 夏が終わり、そろそろ本格的に秋に差し掛かる。


「当然、中庭の落ち葉の掃除は私の仕事なわけですよね。はいはい、わかってましたよ」


 独り言で愚痴りながら、落ち葉を道具ですくって拾い集める。

 ホウキではなく、櫛のように無数の隙間の空いたチリトリを使っている。

 中庭の土をホウキで掃くと、土ぼこりが立って、周りの建物に飛び散るので、よろしくない。

 そんな理由で、後宮ではこのやり方に決まっているらしい。

 貴賓には蒙塵させるべからず、である。

 強い風が吹けば、誰でもホコリくらい被ると思うんだけどな。


「野良仕事でもないのに、腰が痛くってかなわんなこりゃ」


 別に翠蝶(すいちょう)貴妃殿下の侍女が、中庭掃除の当番と決まっているわけではない。


「新人なんだからまず掃除をしっかりやんなさい。部屋だけじゃなくみんなが使うところもね」


 翠さまがそう言うので、私は暇があれば各所の掃除を行うルーティーンになっているのだ。

 身代わりで高貴な妃に成りすましていない時間の私は、かように平凡な、一介の侍女でしかない。


「央那、ただ今戻りました」


 昼前に中庭の掃除を終えて、翠さまの部屋に帰還。

 絹衣を何重にも重ねた、いかにも厳かで動きにくそうな服に、翠さまはお召し替えをしていた。

 え、きちんとしたよそ行きの正装をしているということは。

 また誰か、亡くなられたのか。

 なんて悲しい想像をしてしまったけど。


「陛下のご寝所に行かれるのよ」


 小声で先輩侍女の毛蘭さんが教えてくれた。

 あ、お、おう。

 そうか、そういうことか。

 後宮の、貴妃だもんね。

 皇帝陛下に、寝室にお呼ばれされることは、そりゃ、あるよね。

 熱く、甘い夜を、お過ごしに、なられる、のだな。


「む、むふっ、んふっ」


 普段から近しくお世話になっている翠さまが、そういう情愛の現場へ赴くのだと思うと。

 なにを言っていいのかわからないし、どんな顔をすればいいのかもわからない。

 おぼこ娘の私は、あわあわ、おどおど、と混乱するしかなかった。


「なにを興奮してるの。いやらしい子ね。玄兄(げんにい)さまからあんたにも手紙が来てたわよ」


 私よりずっと冷静な翠さまが、机の上に置かれた封書を見て行った。

 いつものすまし顔の翠さまに、特別なお変わりはないように見えるけど。

 服と髪のチェックをしている間、ニヤ、とわずかに口角が上がったのを、私は見逃さなかったぞ。

 あるじが嬉しそうにしていると、私もなんだか、楽しくなってきた。

 イケメンの玄霧さんからも、お手紙貰ったし。


「附送麗」


 と、右上がりの字で大書きされている。

 玄霧(げんむ)さん、あんまり字が上手じゃないな。

 麗に送るを附す、という意味なので、翠さま苑てのお手紙に添えて、私の分もわざわざなにか書いてよこしてくれたのだ。


「ありがたく拝読させていただきます」

 

 玄霧さんから翼州(よくしゅう)や北の国境の状況を詳しく連絡してもらうというのは、後宮入りする際に交わした大事な約束だ。

 それを反故にされたなら、私はいつでも後宮を逃げ出す準備がある。

 裸一貫で、なりふり構わず。

 翠さまのことは好きだし、後宮の仕事に文句はないけれど、それとこれとは別なのだ。

 どうせ逃げたところで私には、連座で罪に問われるような肉親も関係者も、いないのだし。


「じゃあ行ってくるわ。あとはよろしく」


 侍女全員で朱蜂宮の門まで翠さまを送り、そこから先は宦官が翠さまを皇帝陛下のご寝所まで導いた。

 さて、あるじが一泊二日の、今回はなにも後ろめたいことがないお出かけ。


「その間、私たちはどう過ごすんですか?」


 侍女頭の毛蘭さんに聞く。


「いつも、みんな割とのんびりやってるわよ。央那(おうな)も今までろくに休みなんてなかったし、夕方までに帰って来るなら、お出かけしてもいいんじゃないかしら」

「本当ですか。じゃあ、お言葉に甘えて」


 ありがたい提案に沿い、私は半日の休みをいただくことにした。

 まずは掃除して綺麗になった中庭で、玄霧さんからのお手紙を読むとする。

 以下に記すのは、その大まかな内容である。


「翼州(よくしゅう)北辺の小邑(しょうゆう)の民をあらかた避難させ終わったが、無人となった邑(むら)に流浪の民が勝手に住み着いているようだ。


 軍を用いて取り締まるほどの混乱はきたしていないが、その流民が万が一に、戌族(じゅつぞく)の匪盗(ひとう)に襲われた場合、どのように対処すべきかで諸官の意見が割れている。


 覇聖鳳(はせお)の青牙部(せいがぶ)が跋扈したという情報は今のところない。


 死んだという情報もないので、戌族領内で交易に従事しているか、他部の保護を受けるなどして、健在であるのだろう。


 晩秋の収穫後を狙い、青牙部に限らぬ戌族諸部が町邑(ちょうゆう)を荒掠(こうりゃく)する可能性は大いにある。


 国境防衛を増援し、翼州および東隣の角州(かくしゅう)の北の国境沿いに重点的に兵を配し、対応することになる。


 忙しくなるので次にいつ文を出せるかわからんが、お前はお前の務めを油断なく続けるように」


 そこまでが一枚目。

 てっきりこれで終わりかと思って手紙を仕舞おうとしたら、二枚目を発見した。

 封筒に引っかかってたので最初は気付かなかった。

 半端な大きさの紙切れに、一枚目よりさらに雑な字だ。

 私への要らぬお説教を後から思いついて、適当に書きなぐったのか、玄霧の野郎。

 と思ったけど違うようで、次のように書かれていた。


「これは軍の正式な方針ではなくあくまでも俺の独り言だが。


 もし覇聖鳳めらが我が隊の面前に出現したならば。

 

 俺も、麾下(きか)の士卒も、勢い余ってやつばらを殺してしまうかもしれぬ。


 軍として命令がなくとも、神台邑の惨状は、兵の心にいまだ根強く残り続けておるからな。


 お前が自分で仇を討つことの邪魔をする結果になろうとも、せいぜい怨んでくれるなよ」 


 二枚目の追伸までを読み終えて。

 あの普段はムスッとした玄霧さんが、これを書いたのだと思うと、私は、私は。

 心が、魂が震えるのを、感じた。

 悲しみではない涙が、両の頬に滝のように流れて来た。


「なんだよ、玄霧さんのやつぅ。私には『冷静でいろ、時期を待て、軍隊は報復の道具じゃない』なんてカッコつけて言ってたくせにぃ」


 やっぱりあの人も、覇聖鳳を殺したくて、うずうずしてるんじゃないか。

 遠く離れた翼州の国境沿いにいる、玄霧さんと、玄霧さんによく似て働き者揃いの部下の人たち。

 一緒に神台邑の、無数の遺体を焼いて埋めたあの人たちと。

 私は、同じ怒りを共有している。

 仲間なんだ。

 ぶっきらぼうな文章で雑な字もいいところだけど、照れくさそうに私を仲間だと認めてくれる玄霧さんの心を、熱い気持ちを、手紙から感じた。

 

「う、ううう」


 久しぶりに、泣いた。

 いっぱい泣いた。

 嬉しい涙だから、これは、セーフ。


「ひっく、うっく、うっぐう、ふえええん」


 玄霧さんの、昂国軍の仕事の結果として、覇聖鳳が討伐されたのなら、それはそれで、文句はない。

 もちろん私がこの手で、私の考えで、奴らをどうにかしてやりたいのが一番だけど。 

 ベストではないけど、限りなくそれに近いベターなのだと、納得もできるよね。


「むんっ、玄霧さんに負けないように、私も頑張ろう」


 手紙を懐に収め、私は涙に濡れた顔をぬぐう。

 呼吸と横隔膜が落ち着くのを待ち、さて、まだ与えられた休み時間は残っている。

 足が向かう先は、昂国のあらゆる知識の凝縮にして真髄、ガリ勉の塔こと、木造五階の中書堂。


「毒の本にしようか、火薬の本にしようか、まずは戌族の情報にしようかな」


 私の心を更に大きく燃やしてくれる本を、すんなり借りることができるだろうか。

 いざとなれば「翠さまの夜のお話相手として色々勉強中なんです」とでも言って借りるか。

 思いのたけ泣いてスッキリしたからか、頭の中もすっかり澄み切っているのを感じる。


「今ならどんな本を読んでも、すいすい吸収できる気がするぞ。このテンションに身を任せるしかない」


 最近、少し気持ちが沈んで鬱々としたり考え込んだこともあったけど。

 手紙のおかげで、全部、すっ飛んだ。

 皇帝陛下のところに行った翠さまも、良い夜でありますように。

 なんてことを願う気持ちの余裕が出て来たぞ。


「ありがとうございます、玄霧さん、翼州左軍のみなさん」


 澄み渡る青空に負けないくらい、晴れ晴れとした気持ちで、私は殺戮の知を求める。

 重く静かにそびえ立つ中書堂の扉はどう思いながら、そんな私を迎え入れたのだろう。

 わからないし、どうでもよかった。

 今の私、無敵すぎる。

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