第44話 私が平民から食べ物をもらうなんて……


 夜遅く着いた村で王達一行は宿に泊まり休む事になる。この村では馬を変えたり、新たな護衛の部隊が待っている予定だったのだが、何やら様子が変だ。


「王妃さま、何か有ったのですか?」

「この村で待っているはずの別な護衛部隊の姿が見えないの」

「えっ」


 物事は悪い方向に進むと、次々と悪い事が起きるのが世の常だ。ポジティブなニュースでさえ、ネガティブな受け止められ方をしてしまうのである。周囲のささやき合う気配が気になり、聞いた結菜さんは嫌な予感がしたのか、


「王妃さま、いざという時は私とふたりだけでもいいから逃げましょう」


 王妃もこの時点で結菜さんをよほど信頼しているのだろう、こっくりと頷いた。だがその後に起こった出来事には、結菜さんも唖然となった。


「何が始まるのですか?」

「夕食です」


 それは逃亡中の者がしているとはとても思えない、優雅な食事風景だった。テーブルには、連れて来た調理人の手による料理が銀食器に盛られて、ワインが提供されている。しかも、その食事風景を大勢の村人が覗き見ているのだ。王はそんな事を一向に気にする様子もなく、料理に舌つづみを打っているではないか。


「新しい護衛の部隊が来ていないんでしょ」

「ええ、そのようです」

「全く、王様は何を考えていらっしゃるのですか」

「…………」




 その夜、


「王妃さま、起きて下さい」


 1日中馬車で揺られていた疲れからか、寝ぼけまなこの王妃、


「何なの?」

「静かに、着替えて下さい」

「まだ夜中でしょ」

「何か様子が変なんです。きっと危険が迫っています」


 結菜さんは普段からおれとどっこいなくらいのんびり屋で、マイペースな子なのだ。だがこの時は違っていた。きりっとした決意を露わにしていた。なにしろフランス革命の結果、マリー・アントワネットはギロチンで処刑されてしまうのだ。それを知っている結菜さんは決死の覚悟で挑んでいる。そんな結菜さんに促され、王妃もそっと部屋を抜け出し、建物の外に出る。


「一緒に来た護衛の者達はどこ?」

「居ません」

「ええっ」

「あの者達も逃げてしまったようです」

「…………」


 新しく来る予定の王党派部隊も結局現れなかったし、今まで護衛をして来た者達も居なくなってしまっていた。此の期に及んでも美食を止めない王に呆れたのか、それとも他に何か理由が有るのか、とにかく猟騎兵の者達は、指揮官を含めて皆職務を放棄してしまったようなのだ。



 史実では宮廷の侍女たちが国王一家の不在に気付いて通報。捜索隊がすぐに組織された。怒った民衆はすぐに宮殿になだれ込んで、ルイ16世の胸像を叩き壊し、早くも退位を要求するなどいきり立っていた。

 この逃亡劇で待ち合わせて合流するはずだった王党派の部隊は40名の猟騎兵とともにシャロンの町の近くのポン・ド・ソルヴェールという橋で待っていたが、なかなか国王の馬車は到着しなかった。何事かと訝る住民の目に晒されて部隊は不安になり、決められた場所から移動してしまうという愚を犯す。

 一方国王の馬車は、銀食器やワイン8樽、調理用暖炉2台など必要品をたっぷり載せ、ゆっくりとした速度で進んでいた。国王一行がシャロンに到着したのは夕刻だった。庶民に扮装した国王一行はここで優雅に食事をして悠々と去っていった。もちろん王室一家が通過したという噂がすぐに広まった。国王の一行は逃亡中に会えると思っていた部隊の愚かな判断によって行き違いになった。だが次の町でも別の竜騎兵部隊が待っている予定であったので、それに期待した。しかしその竜騎兵達も不審な部隊を警戒した地元の国民衛兵隊3百名が集まってきたので、衝突を恐れた指揮官は移動を命じる。よってここでも国王一行は護衛と合流できなかった。王室一家が通過したという情報を次々と得た革命派は馬車を追いかけ、間道を抜けて先回りする。

 クレルモン・エン・アルゴンヌの町で国王はようやく護衛の竜騎兵部隊と合流できたが、国王の逃亡はすでにこの町でもニュースとなって騒ぎになっていた。しかし庶民を護衛するという明らかに不審な部隊の随行は禁止され、護衛と引き離された国王の馬車がヴァレンヌに到着した時、大勢の群衆と共に革命派が待ち構えていた。長時間の逃避行で疲れていた国王一家には簡易ベッドと粗末な食事が出された。

 だが夜半になってやっと猟騎兵が到着し、群衆をかき分け血路を開いて脱出しようというが、外には数万の敵愾心をつのらせる群衆が集まっており、女子供を連れて強行突破は難しいと逡巡している間に朝がきた。

 そしてついにまるで見世物のようにしてパリへ連れ戻されたルイ16世一家、マリー・アントワネットは屈辱に唇を噛みしめていた。ギロチンで処刑される2年と4カ月前の事であった。



「王妃さま、早く」


 結菜さんは王妃の手を握り、素早く建物の陰にかくれる。

 数人の男達が怪しげな動きをしているのが王妃にも分かった。また別な男ふたりが、隠れている王妃達の前を話しながら通り過ぎる。


「あの太ったブタ野郎とオーストリア女も遂に最後だ。ギロチン送りにしてやる」


 その言葉は、王妃を震え上がらせるのに十分なものだった。

 ギロチンに関しては、まだその構造が試行錯誤の段階で、ルイ16世が刃を斜めにしたらよく切れると提案したとの説がある。ちなみにそのルイ16世は庶民の見守る前で、ギロチンにより首を切り落とされた。そして王も庶民も無い、人は皆平等だと宣言される。それ以来、現在に至るまで、フランスでは敬語を使うという習慣が無くなったらしい。そのくらいフランス人の歴史に、この革命はインパクトを与えた出来事だったようなのだ。



 周囲に人影が無くなったのを確認すると、隠れている建物の陰から離れて逃げる。


「王妃さま、頑張って」


 どの位走ったのか、そこは村の外れのようで寂しいところだ。幸い月明かりが、微かに辺りを照らしている。


「どうやら、最悪の事態になったようですね」

「ユイナさん、どうしたらいいの?」


 もはや選択肢はこれしかない。結菜さんはアイフォーンを握りしめる。


「ユミさん、結翔さん、早く来て!」


 王妃もおまじないを唱えた。


「ユ、ミ、さ、ん……」


 その時、


「結菜さん」


 ふたりが振り向くと、そこに結翔と安兵衛が立っていた。


「わあっ、結翔さん!」


 ほっとした結菜さんがすぐふたりに今の状況を説明する。そして王妃には、


「王妃さま、これで助かりますよ」


 突然現れた結翔と安兵衛に目を白黒させている王妃は、


「本当ですか?」

「あの、結菜さん、それが……」


 この転送はまだ一方通行だと聞かされた結菜さんは、がっくりと肩を落とした。


「そんな!」


 とにかくシステムが正常に戻るまでは、ここで頑張るしかない。


「結菜さん、ここにしばらく隠れて居て下さい。安兵衛と馬を探して来ます」


 ふたりが行ってしまうと、


「王妃さま、大丈夫です。あの方達に任せましょう」


 結菜さんは、少し震えている王妃を抱いて、励ました。




 野営地の跡らしい場所に、数人の男達がいる。酒を飲んでいる者や、横になっている者などだ。馬も見える。


「安兵衛、いくぞ」

「はっ」


 安兵衛は歩きながら鯉口を切った――

 突然現れた得体の知れない風体の結翔と安兵衛に、男達はおどろいたようで、銃を手に立ち上がった。


「何だお前達は!」


 もちろん言葉は分からないが、そんな事は関係ない。


「馬をもらいに来た」


 安兵衛は刀を抜きざま、


「イェッーー」


 ひとり、返す刀でふたりと、瞬く間に3人を斬ってしまった。

 その間、おれは端に居た男をスタンガンで気絶させる。残った者達は逃げて行ってしまう。


「安兵衛、馬を――」

「はっ」




「王妃さま、この馬に乗って下さい」

「王様は」

「王妃さま、もうそんな余裕はありません。乗って下さい。国境まで一気に走るのです」

「でも……」

「革命派がここに到着する前に逃げましょう。一刻を争うのです!」


 確かにその予想は的中していた。武装した即席の国民衛兵隊3百名が捜索隊として組織され、国境に向かって先回りをしていたのだった。

 ここで国境まで一気に走る事が出来ればいいのだが、そうはいかない。途中何度か馬を休ませる必要が有る。立ち寄った村で馬から降りる。


「馬が疲れています。仕方がない、此処でしばらく休みましょう」


 水と食べ物を村人から何とか分けてもらった。


「私が平民から食べ物をもらうなんて……」

「王妃さま、今は生き残る事だけを考えて下さい」


 王妃は頷いて下を向いた。


「結菜さん、実は……」

「どうしたの?」

「言いにくいんだけど、この先で革命派の部隊が待ち伏せしているようなんです」

「えっ!」


 見知らぬ旅人が食べ物を分けてもらっていると知った村人が騒いでいる。それを見てふたりの感が働いたのである。


「多分パリからは更に多くの捜索隊が、こちらに向かっていると考えていいでしよう」

「じやあ、私達は――」

「追い詰められているんです」


 安兵衛がいかに剣豪と言えども、数百人の革命軍を相手には出来ない。


「ユミさん、至急連絡をお願いします」


 ユミさんからは、直ぐ返信が有った。

 しかし、


「結翔さん、ごめんなさい。まだシステムが安定していません」

「と言う事は――」

「こちらからの一方通行でしか、移動出来ないんです」

「…………」


 その時、うつむくおれは馬のいななきを聞いた。顔を上げると、こちらに向かって駆けてくる馬がいる。


「あの馬は、もしかして、タイム」


 だが、タイムだけではなかった。次に現れたのは、


「クルムさん!」


 さらに傭兵隊長のバルクが現れた。そしてその背後からは、タタール人武装騎馬軍団数百騎が現れ、蹄の音を響かせてやって来たのだった。

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