第21話 ムガール侵攻


 広大な領土を取り戻しつつあるオスマン帝国で、スルタンの側近となったサムライの名は五島安兵衛だ。九州は筑前国の生まれで、黒田藩の下級藩士であったが、示現流の達人として知られていた。

 初太刀に全身全霊をかけ、敵を斬り伏せるという剛剣示現流。神速の攻撃を特徴とする一撃必殺の剣であった。

 新選組も恐れた薩摩発祥の剛剣だと言われている。

 新選組の天然理心流は、実戦の剣術として磨き抜かれたもので、それは強かったようだが、近藤勇は、部下に『薩摩の初太刀だけは必ず外せ』と言ったようです。

 幕末期に戦った武士の遺体に、薩摩と戦った者の遺体には、自分の刀の峰や、鍔を、頭に食い込ませて絶命した記録が残っているという。示現流の凄まじい攻撃力だった。


「ヤスべ様、ご武運をお祈り致します」

「ミネリマーフさん……」


 ミネリマーフは刀を腰に帯びる安兵衛に、自分の腕に付けていたターコイズ(トルコ石)のブレスレットを渡すのだった。強い守護力を持っており、持ち主を災いから守ってくれるとても力強いパワーストーンと言われている。


「…………」

「どうかご無事で」


 ムラト4世はついにムガール帝国攻略を宣言し、出陣の時が来たのだ。ムガール帝国は1526年にバーブルという人物により建国された。バーブルは、自身がティムールの子孫であることを主張していた、つまりチンギス=ハンの遠い子孫ということになる。そのムガール帝国は17世紀に入ると、シャー・ジャハーンが即位、治世下はインド・イスラーム文化の最盛期で美術や建築などの華が開いた。霊廟タージ・マハルは彼によって建設された。だがシャー・ジャハーンが病に倒れると、後継者争いが始まり、三男のデカン太守アウラングゼーブが勝利して皇位を継承する。そして、折り合いの悪かった先の皇帝シャー・ジャハーンを、アーグラ城のタージ・マハルの見える部屋に幽閉。さらに皇帝の座を争った兄弟達を粛正し始める。

 ムラト4世がムガール攻略を宣言したのはそんな時期で、異議を唱える重臣はひとりも居なかった。

 最初の目標は、ムガール帝国の西の端に位置する都市カンダハルと決まった。現代のアフガニスタンだ。オスマン帝国軍がカンダハル侵攻を準備しているという情報は、東西を交易する商人の口からすぐに伝わった。インド最南部の小国を攻略中だったムガール皇帝アウラングゼーブは、情報に接すると直ちに取って返し、カンダハルに向かう。オスマンがムガールに侵攻して来るのは時間の問題と考えられていたのだ。




「ヤスべ」

「はい」


 出陣の時、ムラト4世は馬に乗り、並んでそこに居る安兵衛に声を掛けた。


「ミネリマーフとはしばらく会えないな」

「…………」


 手綱を持つヤスべの手首には、ミネリマーフから渡されたブレスレットが巻かれている。妃に贈る装飾品に関心のあるムラト4世は、安兵衛のブレスレットに気が付いていたのだ。



 オスマンとムガール両帝国軍は、カンダハルの西方約40キロの荒涼とした大地で対峙した。その間隔は火器の有効射程距離から判断して自然に決まるのだが、最前線の兵士間は2百から3百メートルだ。

 両陣営からは一騎づつの騎士が駆け出し、中央付近で止まる。短いやり取りがなされ、帰って来た者が、「降伏せよとの勧告は拒否されました」と報告。


 ムラト4世は馬に鞭を入れると、陣営の前を駆けて行く。


「我が獅子達よ!」


 居並ぶ戦士たちの前を駆けながら、声を張り上げた。


「よく聞け。お前達は勇敢なオスマンの戦士だ。お前達の敵は今目の前に居る」


 ムガール帝国も同じイスラムの国である。しかし曾祖父アクバル皇帝から受け継がれてきたのは宗教融和の政策であった。だからムガールにはヒンドゥー教徒も居たが、この場合、異教徒を倒すというセリフは使えない。聖戦でもない。だが剣を振るう戦場に理屈など要らない。どちらが侵略者だろうと、声を張り上げた者が勝利を得るのだ。


「剣を抜け。お前達の武勇を敵に見せる時が来た。敵の首を切り落とせ。勝利をわがものとせよ!」


 並んだ騎士、兵士達から上がる歓声と剣で盾を叩く音が鳴りやまなかった。


「砲撃せよ」


 両陣営からの砲撃が始まるが、ムガール側も火器の戦闘には自信があった。火薬帝国とは、中世から近世にかけて、火薬、火器を用いて勢力範囲を広げた国を指す。特にオスマン帝国、サファヴィー朝、ムガール帝国の3帝国について用いられる。

 大砲による砲撃戦は互角の戦いが進んでいく。両軍とも10万を超える軍勢だが、ムガール軍側後方には1千頭に及ぶ象兵も居る。大砲による攻撃が一段落すると、今度は鉄砲隊が出て来た。オスマン軍の前で射撃の準備を始める。


「機関銃隊前に!」


 ムラト4世の号令で、既に2百丁ほどに増えている機関銃が押し出されて来る。

 機関銃の台座は車輪が支えている。銃身の左右には防弾の盾が設置してあり、火縄には火が点いていた。


「撃て!」


 木製の弾丸カートリッジを上から差し、押し込んで行く。射手は引き金を何度も引き続ける。火縄が小刻みに落ち点火することで、一台の機関銃からは、1分間に60から70発の銃弾が発射される。

 この時代の兵士は、相対した敵軍を前に隠れるという事をしない。ずらっと隙間なく並んでいる。互いに軍の威容を見せつける為、目立つことが必要なのだ。機関銃は狙う事さえ必要なかった。前に向かって撃ちさえすれば全て当る。敵は撃たれても逃げようがない。後ろにもびっしり並んでいるのだから、前の兵士から順にバタバタと倒れていく。しかもその銃身は長く、有効射程距離は火縄銃の2倍はあった。後ろに控えている象兵や騎兵、本陣の歩兵にも弾は届く。鉄砲の射程距離外に居たはずなのに、弾が飛んでくるではないか!

 これでムガール軍勢は一気に動揺、混乱のるつぼと化してしまった。


「前進しろ」


 機関銃隊を含むすべての部隊が前進を始めた。まだこの先長い戦闘が続く、急ぐ必要はない。思わぬ火器の威力に翻弄されたムガール軍は敗退してしまい、カンダハルの都市はオスマン軍の手に堕ちた。



 次の目標とされたラホール城は、現在のパキスタンとインドとの国境付近の城塞である。敷地の面積は広いが、城壁そのものは比較的低く、さほど堅固ではない。

 14世紀にティムール朝によって破壊されたが、15世紀以降に再建造営された。外敵による砲撃など無かった時代に造られた城塞都市だ。ムガール軍はそのラホール城まで退いて、再び守りを固めた。







 佐助の屋敷に大阪城から使者が来た。


「パイン様より、連絡が御座いました」


 パインのシャムシルクをヨーロッパに輸出する試みは、成功しているようだった。ただ、「サスケ」ブランドのわんっぴーすは苦戦しているという。

 コルセットや型枠を止めて、スカートを重ねるという、より軽やかなファッションを勧めてみた。だが、当時ヨーロッパの女性たちは、大きく広がっていたスカートが急にしぼんでしまうことに慣れなかった。そのためスカートのボリュームは、刺繍を施すことで保ようにする試みもあった。しかし「サスケ」ブランドの提案する目新しいファッションが、確実に注目されたようだ。新しい試みに興味を示した女性たちが、胴体を締めつけなくなると、今度は胸のふくらみを見せようと、襟ぐりを台形に広く開ける事が流行り出したという。その話を佐助が聞いても、やはり理解するのは難しかった。だが、手応えは感じていた。


「どうやらヨーロッパの女性は、身体の一部を見せることにあまり抵抗はないようですね」


 肩や胸を出すふぁっしょんなら結菜さんのしゃしんにも有った。佐助はさっそくそんなふぁっしょんを幾つか紙に書いて、型を取り、女性たちにわんぴーすとして作らせてみるのだった。


「ええっ、これを私が着るのですか!」


 佐助が着てみてくれと頼んだ女生徒がしり込みをした。出来上がったわんぴーすを試着しなければならない。ただし胸や肩が大きくあらわになってしまう服だ。


「今ここに殿方は居りません。大丈夫です」

「…………」


 やっと試着された服を見ても、佐助は作った本人なのに、なぜこんなふぁっしょんが流行るのか不思議だった。

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