第3話 旅の始まり(前編)

「暗くなってきましたね」

「EG酔いは平気か?」

「大丈夫です。遺伝子調整されてますから」

「そうか。そうだったな」


 コックピット内での何気ない会話。

 ホシの言葉には気遣いが滲んでいた。ルグドーは感激する。

 これほどの優しさを浴びたことはない。とても幸せな時間が広がっているように感じる。

 数時間前までは奴隷だったというのに、今や自由の身だ。

 人生何が起こるかわからない。

 なんて思っていると、ホマレ・ノマドが下降し始めた。


「ここにしよう」

「森……ですか?」

「木々は機体のカモフラージュにもなる。放浪者用の小屋も見つけた。いろいろあって疲れただろう。これからは、予想外の出来事の連続になる。休息を取れるうちに取っておくのが吉だ」

「お気遣い、ありがとうございます」

「そう気に病むな。これからしばらくの間、私と君は一蓮托生だ。遠慮をする必要はない」


 小屋の近くにホマレ・ノマドが着陸する。黒い外套のおかげで、遠目からはEGがいるようには見えない。


「EG泥棒に出くわす可能性は低いだろう」

「なら安心ですね!」


 ホマレを見上げながら言うとホシは首を横に振った。


「しかし、金銭目的の強盗や盗人が現れる可能性までは否定できない。小屋があるということは、獲物がいるということだからな」

「そ、そうなんですか……そういうのって、どんな服装をしているとか、あります?」

「一概には言えないが、大抵は身元を隠しているだろうな」

「……今のホシさんみたいに、ですか?」


 ホシは再び外套を纏っていた。ホマレ・ノマドを包む外套は一種のカッコ良さがある。

 だが、ホシのそれはカッコいいを通り越して怪しさ満点だ。

 特に合成音声はやりすぎに思える。不審者ですと自己主張しているようなもの。


「さっき、遠慮するなって言ってくださいましたよね」

「そうだ。何かあるか?」

「あの……合成音声は止めた方がいいと思います! できればフードも! 逆に目立っちゃいますよ!」

「……そういうものか?」

「はい!」

「わかった。臨機応変にいこう」


 ホシは外套を外した。長めのスカーフもゆるくして口元を露出する。


「街中以外では問題ないだろう」

「姿を隠すのは理由があるんですか?」

「一応、私は有名人だからな。そのことが原因でトラブルを引き寄せることがある」 

「トラブル?」

「血の気の多いEG乗りに挑戦されたり、な」

「なるほど……」


 ルグドーはホシが腰回りに刀と銃を帯びていることに気付いた。


「やっぱり危険ですかね」

「犯罪の危険はあるにはあるが、どちらかというと……。まずは移動しよう」

「はい」


 小屋へ辿り着くと、先陣を切ってホシがドアをゆっくりと開けた。

 部屋の隅々まで見て回り、外に出て周辺の状況を確認する。

 何をどう見ているのか見当もつかないが、安心感だけは凄まじい。

 小屋で待っていると、偵察を終えたホシが戻ってきた。


「幸運にも少し離れたところに温泉がある。身体を休めるのに最適だ」

「お風呂ですか?」

「そうだ。身体を清潔にした方がいい。いつでも入れるとは限らないからな」


 バルグのスクラップヤードにも風呂は備わっていた。しかし大浴場という広いところに大量の奴隷を入れるものだから、ちっともゆっくりできなかった。無論、一番風呂は大人たちの特権である。

 ……だとしても、これからはもう違くなるだろう。なんだかんだ、バルグはルールを守らせるのはうまかった。


「安全、なんですか?」

「一人が見張りに立っている間にもう一人が入る、という形が理想的だが」

「頑張りま」

「君に見張りは難しいだろう。ならば、入浴時間そのものを短縮するしかない」

「短縮ですか?」


 出鼻をくじかれたルグドーはしゅんとする。


「いっしょに入ろう」

「いっしょに……いっしょにですか!?」

「何か問題があるのか?」

「い、いえ……たぶん」


 うん……問題ない……たぶん。そもそも、どういう問題が起こるのかもよくわからない。

 なし崩し的に、ルグドーはホシと入浴することになった。




 外に作られた温泉というものに入るのは初めてで、裸で出ると冷えていた。一応タオルを巻いているが、とてもじゃないが防寒効果は期待できない。

 洗い場で身体を洗う。隣では同じようにホシが身体を洗い始めた。


「……」


 その姿をちらちらとみてしまう。なぜだか。


「怖いのか?」

「い、いえ全然!」

「? そうか」


 洗身と洗髪に集中する。

 シャワーはどちらかというとぬるめなのに、身体がポカポカしてきた気がする。理由はわからない。

 洗い終えたルグドーはそそくさと湯舟に浸かった。

 温かいような……少しぬるいような……それでも内側からほてっている感じがする。どうしてか。

 そこでふと、バルグが絶対に混浴させてなかったことを思い出した。あれにはなにか理由があるのだろうか。マッコウに何気なく呟いた時、鼻で笑われたことを思い出した。

 初心すぎるぜ、ルグドー。でも、そういうところが面白いんだけどな。


「わかんないよ……」

「どんな具合だ?」


 水音と共にホシが入ってくる。直視するのが難しい。

 心臓は早鐘のように鳴っているし、口の中ではよだれが止まらない。

 一体どうしちゃったの。

 困惑するルグドーとは反対に、ホシは湯加減を気にしていた。


「外気に晒されてるせいか、少しぬるいな。ふむ、こっちの方が温かいぞ」


 お湯をちゃぽちゃぽと確かめるホシの姿は、ルグドーの視線を釘付けにする。

 不意にこちらを見てきたホシから全力で顔を背ける。


「ルグドー、そこじゃ身体を冷やすぞ。ルグドー?」


 顔が赤くなっている気がする。なんで?

 と、考え事をしていたためか、いきなり腕を引かれてびっくりする。


「うわっ!?」

「すまない、驚かせる意図はなかった。……身体を冷やしては元も子もない。短時間浴だと言っただろう。しっかりと身体を温めなければ。こちらへ来るんだ」

「ひゃ、ひゃい……」


 湯元の周りでルグドーとホシは身体を密着させる形となった。肩が触れ合う。

 ホシの白肌は柔らかい。ルグドーは褐色肌だが、その柔らかさに相違はなかった。

 二人の身体的特徴には差異が多い。ルグドーの瞳はオレンジで、ホシの瞳は青い。

 身長はホシの方が高く、筋肉量も同様だ。それと……ルグドーは、ちらり、と二つの大きな膨らみを見て、慌てて目を逸らす。胸の大きさが違う。これは男と女ならよくあることらしい。

 ただ、そのような性差だけではなく明確な違いがある。

 ルグドーの耳は犬……という動物のような茶色い垂れ耳だった。

 そして、尻尾も生えている。茶色毛の。

 だが、ホシはそのことをまったく気にしている様子はなかった。


「いい湯だな」

「はい……」


 肯定したが、湯の良さなど全くわかっていない。


(な、なんで……こんなにドキドキするの……?)


 その答えを、無垢なルグドーはまだ知らない。




「なぜだろうか。今日はいつもより温まった気がするな」

「ぼ、ボクもです。不思議ですね」

「奇妙なこともあるものだな」


 身体を拭き、身支度を整えながら会話する。

 どうにも変な時間だった。あれが毎日続いてしまったら、精神がもたないのではないか。ルグドーは少し心配になってくる。

 これからしばらく旅をするというのに、こんなことでは先が思いやられる。


「ちょっと周りを見てきてもいいですか? 森……っていうの、初めて近くでみたんで」

「構わないが、髪を乾かすのに時間が掛かる。あまり遠くには行かないでくれ」


 ホシは長髪をドライヤーで乾かし始めた。


「わかりました」


 気を取り直して、周辺の散策へと向かう。

 森は生命に溢れ、緑色で染まった場所だった。


(確か、地球産の木々を植林した……とか)


 酒に酔ったバルグに絡まれた時、散々そういう話を聞かされた。

 セカンドアースは資源惑星でスターダストの恩恵もあり、地球と似たような環境にテラフォーミングするのも容易だった、と。

 なのにあいつらときたら、スターダストの産出量が減った途端見限りやがって。

 その後は、永遠と他のアースへの悪口が続いた。


(やっぱりバルグ嫌いかも……)


 嫌な記憶を思い出してしまい、首を横に振る。

 と、気分を切り替えるに足る刺激が鼻腔をくすぐった。


「いい匂いがする」


 ルグドーの鼻は常人よりも効く、らしい。

 森にはこんな匂いもあるのか。スクラップヤードではありつけなかった匂いだ。


「本当に、いい……」

 

 なぜだか発生源が無性に気になった。

 ホシの言いつけを守るのが難しいくらいに。

 ふらふらと匂いに釣られて森の奥へと進んでいく。

 その姿は、誘蛾灯に惹かれる虫のよう。

 すんすんと鼻を鳴らしながらしばらく進む。

 そして、目的地にたどり着く。

 木に付着したピンク色の液体から、匂いは発せられていた。

 そのまま木に触れようとして躓きそうになる。何かに足が引っかかった。


「な、なに……?」


 足元を確認する。

 足だった。

 人の片足だけが、ぽとりと。


「――っ!?」


 腰を抜かして、倒れ込む。

 全身の毛が逆立った。何かが来る。

 その瞬間、全身が影に覆われた。

 さっきまで月と星の明かりが僅かに照らしてくれていたのに。

 恐る恐る背後へと振り返って、


「ひっ……!」


 怪物と出くわした。機械でできた、化け物に。

 それはバルグよりも大きな巨体だった。

 白色のおかげで暗闇の中でも視認性はいい。だが、それがなんだというのだろう。

 装甲で全身が覆われていて、頭に備わる目らしき部分が赤く光っている。

 両腕は人を簡単に潰せるほどの大きさ。先端に備わるかぎ爪で引っかかれたら最後、跡形も残らないだろう。二つの太い足も、ルグドー程度なら簡単に踏み潰せる。

 相対する怪物を一番近しい単語で表現するならば。

 機械でできた、クマ――。


「うわああああああ!」


 ルグドーの絶叫に負けじと、機械仕掛けのクマも咆哮する。

 仁王立ちしているクマがそのまま覆いかぶさればルグドーはおしまいだ。

 急いで逃げなければならないのに、足が竦んで動けない。

 死ぬ……!!

 そう強く思った刹那、銃声が轟いた。


「ルグドー!」

「ホシさん!」


 ホシがリボルバーを撃ちながら近づいてきた。弾丸は頭部に的確に命中し、クマの注意がホシへと向く。その隙に、ホシはアンカーショットをクマとルグドーの間に撃ち込み、着弾地点へと引き寄せられてくる。ルグドーの前へ通過した瞬間、彼を右腕で抱き寄せ、さらには銃口をクマの頭へと向けていた。

 至近距離での発砲で耳がきんきんしている間に、ホシはルグドーを地面へと降ろしていた。


「待っててくれ」

「は、はい……」


 クマと対峙したホシはリボルバーを構え、すぐにホルスターをしまった。

 刀の柄へと右手を向かわせる。ゆっくりと抜刀。剣先をクマへと突きつける。


「フェロモンで人を誘惑するタイプか。戦闘能力は高くない」


 ルグドーはそんな風に思えない。が、ホシは余裕の表情だった。

 ホシが先に刺突を放つ。クマが反射的に左腕を振るう。

 両者がかち合えば腕力で負けるホシに勝ち目はない。

 危ない、と思った時にはホシは左腕を潜り抜けるように避けていた。

 フェイントだ。最初から力比べをする気など毛頭ない。

 さらには潜った瞬間に、クマの脇腹を傷つけている。咄嗟に左腕を逆回転させたクマはさらなる絶叫を上げる羽目になった。

 ホシは刀をクマの反撃に合わせたのだ。ホシが斬ったというよりも、クマが自分から左腕を差し出した形で切断された。

 怯んだ瞬間に、クマの懐へと入り込んでいる。右足首を突き刺されたクマは、重量バランスが崩れたせいで右斜め前へと倒れ始めた。

 ホシは身体を左回転させながら後ろに下がる。クマが倒れ込んだタイミングで、回転の力を利用してその首を刎ねた。


「すごい……わっ!?」


 首が目の前に飛んできてルグドーは飛び跳ねる。


「無事か?」

「大丈夫、です。でも……ごめんなさい」

「君は、機甲獣を見るのは初めてか?」

「そうです……」

「ならば君のせいじゃなく、私の落ち度だ。匂いに引かれたのだろう? あれは人を誘き寄せるための罠だ。対処法を知らないと、抵抗は難しい。近辺は安全と判断したが、君は鼻が利くようだ。考慮できなかった私が悪い。すまなかった」


 ホシが頭を下げる。ルグドーは信じられなかった。これほど誠実な人がいるとは。


「と、とんでもないです、頭を上げてください!」

「……朝は早い。眠るとしよう」

「はい!」


 と息巻いたはずが、小屋に戻ったルグドーは布団の中で悶々としていた。

 隣ではホシが横になっている。

 集団生活は慣れていると思っていたが、スクラップヤードでは就寝部屋も男女別だった。夜中に異性の寝室へ入り込んだ奴隷を、バルグが罰したという話は何度か聞いたことがある。

 今までは、新入りが来たとしても普通に眠れていたのに。

 憧れの人だから、だろうか。


「眠れないようだな」

「……はい」

「不安か?」

「えっと、はい、そうです」


 嘘ではない。不安なのも本当だ。これから未知の世界に飛び込むにあたって、自分はやっていけるのか。漠然とした不安は心の中に渦巻いている。


「不安もなく旅に出る人間はいない。だから、その不安は正常の証だ」

「ホシさんもですか?」

「そうだ。はじめてに不安はつきものだ。最初は誰だってうまくいかない。そのうち慣れてくるし、慣れてからも何かしらのトラブルに見舞われる。だが、きちんと学ぶことができればミスは減るし、対処も容易になっていく。恐れることはない」

「そういうもの、ですか」

「取り返しのつかない失敗も、ある。私といっしょにいる限り、君にそのような失敗はさせないよう努める」

「……どうしてそこまでしてくれるんですか?」

「誉れだからだ」

「誉れ?」

「そうだ」


 意味がわかるような、わからないような。

 ホシは不思議な人だ。彼女について知っていることよりも、知らないことの方が多い。

 それをルグドーは知れる立場にいる。そのことが嬉しい。


「君もいつかわかるようになるさ」


 そうなったらいいな。

 気づけば眠りに落ちていた。




「君は、機甲獣についてどれくらい知っている?」


 朝食は小屋おいてあった備蓄を頂いた。

 クッキー型の栄養食を飲み込んで答える。


「えっと、いろいろなタイプがいて、人を無差別に襲う人類の敵、ですよね」

「そうだ。地球を滅ぼした原因でもある」

「エンハンスドギアが作られたのも、機甲獣と戦うためって聞きました」


 ルグドーは膝をついて停止しているホマレ・ノマドを見上げた。

 あのクマのような機甲獣も、ホマレ・ノマドなら大きめの虫を潰すようなものだろう。


「昨日の機甲獣は対人用だったが、対EG用とも言えるほど大きな個体も存在する」


 寒気がした。そんな奴に不意打ちされたらたまったものではない。


「無論、それほどの大きさならレーダーに引っ掛かる。不意を突かれる前に気付けるだろう」

「バルグは……そんなものからボクたちを守ってもいたんですね」

「だからと言って奴隷扱いしたことを肯定する気はない。別の話だ。なにより誉れがない」

「誉れ……」

「人は誉るべきだ」

「ほまる?」

「そうだ。誉っていくことこそが、人だ」

「ほまっていく?」


 昨夜はわかるようになればいい、と思ったが自信がなくなってくる。


「よく、わかりません……」

「昨日も言っただろう? いずれわかるようになると」

「うーん……」

「朝食を終えたら、近くの街で聞き込みをしたい。構わないか?」

「妹さんのこと、ですね」

「そうだ」

「もちろんです」

「ありがとう。ちゃんと歯を磨くんだぞ。先に準備する」


 ホシが準備のために小屋を出て行く。

 ルグドーはジュースを飲み込んだ。

 どうして妹を探しているのか、という疑問といっしょに。

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