第93話 ルドラへの指令



 side ルドラ



「新たな指令です」


 ルドラが、自身の研究室として使用している薬師専用の自室に、暗殺団から差し遣わされている連絡員の侍女がやってきたのは、早い落日で室内に明かりを灯してから間もなくのことだった。


 部屋の中には、壁一面に薬草が入った瓶が並び、部屋の中央に3列に並んだ机のうち、入り口側から2列の机にも、所狭しと瓶が並んでいる。窓際の1列は、さまざまな実験を行っているのだろう、容器や器具が雑然と置かれている。その雑然とした机の前にルドラは座っていた。


 サラムー暗殺団の団員でもあるルドラの薬師としての知識は本物だった。また5年をかけて得られた「信用」も軽くはない。でなければ、王宮に入り込むことなどできるはずがないし、自室を与えられることもなかっただろう。


 部屋の中には、実験で使われる薬草の臭いが充満していた。


 指令書をルドラに渡すと、「少し待て」と言われ、その場で直立して読み終わるのを待っていた侍女だが、早く読み終わらないかと少しだけ焦れていた。夕刻を迎える時間、侍女としての仕事はこれからピークになる。メイド長に目をつけられると、今後の活動に支障が出ることも考えられたからだ。


 それに……連絡員の侍女は、部屋に充満している薬草の臭いは、決して嫌いではなかったのだが、着ているメイド服に移らないかを心配していた。


 もっとも、そんなことをおくびに出さないほどに、組織の連絡員として古株であった彼女は、澄ました顔で立っていたのだが……


「来週、バラすぞ。褒章の儀式だ」


 侍女の肩がピクリと動いた。


「撤収、ですか?」


「ああ。BDブラックドラゴンを中庭で使えとの指令だ」


「私に仕掛けろと……」


「そうだ。式典の中、中庭に怪しまれず魔石を落とせるのはお前しかいないからな」


「そうですか……」


 侍女が王宮に入り込んだのは10年以上前になる。いわゆる組織内に潜む「スパイ」の役目だ。仕掛けをしたとなると、「賢察」のスキルを持つカトゥに必ず暴かれる。ということは、今回の仕事でお役御免となり、撤収することになるということだ。


 BDとは、組織が準備している魔獣、「黒竜ブラックドラゴン」のことだ。それを式典の最中に王宮内に召喚、混乱を引き起こすことが今回の目的となる。


 本来、王宮の中は転移無効の結界が貼られているので、召喚を行うのは無理なのだが、「大きな魔力」というコストを支払えば、それも不可能ではなくなる。もっとも、10億近い魔力を込めた魔石を使うため、やり直しは無理だ。一発勝負になる。


「私の撤収タイミングは、BDの召喚準備後、ということでよろしいのでしょうか?」


 ブラックドラゴンが召喚されたとなれば、王宮の被害は甚大になる。まして、各国の来賓もいるからそちらへの被害も免れることはないだろう。つまり、王国は内外からの大きな批判にさらされることになる。その被害の回復のため、王宮内で必要な人手も増えるはずだ。タイミングを逃せば、外に出られなくなる。


「もちろんだ。BDに踏みつぶされないように、さっさと逃げるんだな」


 今回の「褒章の儀式」は、王国の危機が去ったことを内外に示す目的で行われる。危機が去ったことを祝う場で再び大きな危機に晒されるというのは皮肉以外の何物でもないだろう。


「ルドラ様はどうされるおつもりですか?」


「俺は、迷宮の崩壊を見届けるまで、この国を去るわけにはいかんからな。あと半年は離れられん。せいぜい、上手く隠れてやり過ごすようにするさ」


 ルドラは侍女の言葉に、軽く肩をすくめた。


 この国には二大賢者のイーダとカトゥがいる。苦労するだろうが、ステータスレベルが200台のブラックドラゴンの討伐はできるだろう。もっとも、甚大な被害は避けられないだろうが……


 ルドラが受けた指令は、半年後の「魔力蓄積デバイス」の召喚準備が整うまで、この国を混乱させておけ、というものだった。ブラックドラゴンの召喚で王宮は全壊近い被害を被るはずだ。その回復に要する時間を考えれば、半年などあっという間だろう。


 ルドラは、半年後に向けて迷宮の50階層で少しずつ魔法陣を描いている「魔力蓄積デバイス」で召喚される魔獣が、邪獣エビルスパーダ・ゾンビであることまでは知らされていなかった。その魔獣が蘇った場合、凶悪な伝説のサソリの尾が、10倍から1,000倍のステータスとなって暴れまわることも知らなかった……



 ▼▽▼▽



 side 王宮(マハル王の執務室)



「王よ、昨日到着した帝国からの使節団から、騎士団の訓練を見学させて欲しいとの要望が来ております」


 カンリー宰相の報告に、マハル王は苦虫を嚙み潰したような表情になった。


「奴ら、我が国の戦力を図るつもりか……」


「そうですな、王よ。帝国の使節団は、騎士団長だけでなくSランク冒険者まで同行させています。それが主目的かと」


「Sランク冒険者か。誰が来ている?」


「ハオランとユートンです」


「何?あの極悪ジジババが来ているのか?」


 マハル王は、目を見開いた。


 ハオランとユートンは、帝国だけでなく大陸内でも名が通ったSランク冒険者の夫婦だ。高齢になった今も、引退せずに冒険者を続けている。マハル王は自身が冒険者だった頃、何度か会ったことがある。


 二人とも魔法のスキルを得意としており、特にユートンは女性ながら凶悪な範囲魔法を連発することで恐れられていた。その恐れられる理由も、怪我は「治療」スキルで治すから文句をいうんじゃありませんよと、味方がいようと容赦なく爆裂や爆炎の魔法を叩きこむことが由来だ。二つ名は「狂爆ユートン」。


 またハオランも、虫も殺せぬような笑顔を顔に貼り付けながら、異常状態にするスキルや、精神に働きかけるスキルを多用し、相手を動けなくして痛めつけることから「蝮のハオラン」との二つ名で呼ばれている。


 二人に煮え湯を飲まされたこともあるマハル王は、当時を思い出し顔を顰めた。


「会いたくないな」


「ははは。さすがに使節団の一員で動いておるのですから、暴れることはないでしょう」


「そうだといいのだがな……他には誰が来ている?」


「帝国は皇太子が使節団の団長を務めております。連れてきている騎士団は100名ほどかと」


「結構、大がかりだな」


「はい。いつものように、喧嘩を売って、途中退席するつもりなのでしょう」


 帝国とは、毎年のように何度も小競り合いを繰り返している。そしてこうした公式の場においても、挑発せずに帰ったことは今まで一度もなく、その挑発をきっかけに戦争まで発展したことも一度ではすまない。


「まあ、なるべく相手にせぬようにせねばな」


 マハル王は、小さくため息をついた。


 来週――五日後に迫った褒章の儀式に、次々と各国から来賓が訪れていた。


 特に帝国は大掛かりな使節団を寄越していたが、ホイターバ教国からも、2名の大司祭が訪れている。他にも王や王配が訪れている国もあり、エテラルゼ王国の立て直しにどの国も興味津々であることは確かだった。


「いかがいたしましょう?見学は許可しましょうか?」


 その時、同席していたライド騎士団長が軽く手を上げた。


「こういうのはどうでしょうか?」


「何か案があるのか、ライド」


 マハル王の言葉にライドが頷いた。


「はい。私たち騎士団とミナト君たちで模擬戦を行い、その様子を見学させるというのは、いかがでしょうか?」


「それは――」


 それは無理だろう、といいかけたマハル王は、顎に手をやり考えた。


 ――よく考えてみれば、今回の主役ともいえるミナト君たちが力の一端を示せば、各国の我が国への評価は間違いなく一段階、いや数段階は上がる。


 確かに褒章の儀式の主役はルーが担うが、実際に王妃を解呪して助けたのはミナト君だ。特に今回はホイターバ教国の大司祭が2名も来ている。教皇でも難しいと思われる解呪を、一人の少年がたやすく行ったことは、大いに興味を引き、そして注目しているはずだ。


 それに……帝国は、今回の我が王妃が受けた呪詛を計画した組織、サラムー暗殺団の背後にいる。もちろん、明確な証拠が提示されたわけではない中で断罪するわけにはいかない。下手をすれば大戦に広がる可能性もあるからな。


 だが……彼らの計画をあっさりと潰したミナト君の存在は間違いなく気にしているはず。いや、今回、皇太子を団長に据えて大使節団を組んできたのも、我が国への力の示唆と同時に、ミナト君を見極めたいとの考えもあるはずだ。


 何より、ミナト君自身が、平穏な暮らしを守るために力を誇示することの大切さ――必要性を気づき始めている。


 そう考えれば、ライドの提案は悪くはない。褒章の儀式の前に、我が国の良いデモンストレーションとなってくれるのではないだろうか?――


「――よし、ライド。ミナト君たちを上手に引っ張り出せるか?」


「はい、大丈夫かと。ミナト君から一度、見学に来たいとの言葉は貰っています。私の方から誘ってみましょう。模擬戦については受けてくれるはずです」


「よし、ではその予定が決まり次第、見学を希望する各国に声をかけろ。場所は、第一騎士団の訓練場が良いだろう。あそこの貴賓席は数が多いからな」


「承知いたしました」


「ホフトワには声をかけるのか?」


「いえ。今回は騎士団だけで行わせていただければ。先日のラルゼの森でボイズンビーと戦う姿を団員たちが目撃していますので。戦いたがっている者が大勢おりますから」


 マハル王が笑った。


「騎士団も、血の気が多いのが揃っているからな」


「お恥ずかしい限りです」


「そういいながら、ライド。お前も出るのだろう」


「……模擬戦を行うなら、大将のポジションは、団長が務めるべきかと愚考いたします」


「まあ、好きにしろ。本当なら私も見に行きたいが、帝国の連中が来るなら、同席しない方がよいだろう」


「そうですな、王よ。あまり刺激を与えすぎると、不要な争いに繋がるかもしれませぬから」


 王の言葉にカンリー宰相が小さく頷いた。


「帝国の連中も、血の気を少し引かせてから儀式に参加してもらった方が、その後の話もしやすくなるだろう。頼んだぞ、ライド」


「承知いたしました。お任せください」


 ライド団長が深く頭を下げる。


 それにしても……


 マハル王は、ミナトたち一行のステータスが常識外であることを思い、あんぐりと口を開けるだろう各国の使節団の表情が見れないのだけは残念なことだなと考え、頬を緩めた。


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