もう異世界には行きたくないっ!!

阿々 亜

もう異世界には行きたくないっ!!

 その世界は、幾度となく滅びかけた。

 そして、今また、世界は魔王の手により危機に瀕していた。


「国王陛下!!」


 悲鳴じみた声をあげながら、城の衛兵がその場に飛び込んできた。


 そこは広く豪奢な欧風の玉座の間であった。

 広間の最奥に玉座があり、金色の王冠をかぶり、赤いマントを羽織った初老の男が座していた。


「騒々しい。何事か?」


 王と思しきその男は、落ち着いた口調で問いかける。


 衛兵は玉座の前に跪き、数秒息を整えてから声を発した。


「北の空が……」




 王は臣下たちをともない、城の北側の空中庭園に出た。


 空を見上げると、北の果ての方から闇色の雲が広がり、赤い雷が絶え間なく閃いていた。


「このような空は見たことがありません……」


 臣下の1人が恐れおののいた声でつぶやく。


 一方で王は落ち着いた様子だった。


「始まったのだ。勇者殿と魔王の戦いが……」


 王のその言葉に、臣下たちはどよめく。


「なんと!? もう魔王の居城に辿り着いたというのですか!? 勇者殿が旅立たれてから、まだ1週間しか経っておりませんぞ!!」


「勇者とは、人の可能性の限界、人が到達しうる頂点……我らの常識が及ばぬこともあろう」


「では、勇者殿は伝承の通り、魔王を討ち果たして下さりますでしょうか!?」


「そればかりはわからぬ。確かにこの世に魔王が顕現するたびに、その時代、時代に必ず勇者が現れ、魔王を屠ってきた。だが、勇者を人の究極とするならば、魔王はそもそも生命の枠を大きく踏み越えた闇の至高。今世も必ず勝てるとは限らぬ……」


 王の言葉に、臣下たちはため息をつき、皆一様に下を向いた。


 が、その陰鬱な空気を若く美しい声が引き裂いた。


「勇者様は必ず魔王を倒します!!」


 王も、臣下も、声の主のほうに振り向いた。


 そこには10代後半の少女が立っていた。

 高貴だが華美ではない純白のドレスに身を包み、金色の長い髪を綺麗にまとめ、銀色のティアラを付けている。

 顔立ちはとても美しいが、その瞳は凛々しく、見る者に意志の強さを感じさせた。


「姫様……」


「あの方は勇者です。ですが、あの方は何かそういったものすら超えているような……そんな感じがしたのです。ですから、あの方は魔王ごときに遅れは取りません!!」


 姫の言葉は、その場にいる全員の心を強く奮い立たせた。




 同刻、北の果て。


 黒く巨大な城から、城壁を突き破って、何かが飛び出してきた。

 それは大地に何度か弾んだあと、地に付して動かなくなった。


 それは人の形をしていた。

 それは16-17歳くらいの少年だった。

 少年は右手に剣を携えていたが、その服装はこの世界に似つかわしくない学生服だった。


「ふははははははっ!!」


 城壁にぽっかりとあいた大穴から、そんな笑い声とともに、紫の光の玉が飛び出してくる。

 光の玉は、少年の数メートル前に降り立ち、黒い人影が姿を現す。


 それは、人間であれば30前後くらいに見える青年の姿をしていた。

 黒いマントに黒い鎧、黒い髪に黒い角。

 瞳と肌は深い青色だった。


「こんなものか、勇者とは? 古より幾度となく、我が同胞たちを屠ってきた神の使徒の力とはこんなものか!?」


 男――魔王はそう言って再び腹の底から笑った。


「先代の魔王から百二十年、初代魔王から数えれば優に千年。如何な勇者といえど、所詮は短命な人間。長き時の中で、世代を重ねるうちにその血と力が薄まったか……もっとも、我は同胞の中でも最強。たとえ貴様が初代勇者の力を受け継いでいたとしても、我には勝てぬ」


 魔王は満ち足りた顔で、天を見上げた。


 が――


「最強? ぷっ、くくくっ……」


 倒れ伏していた少年が突如笑い始め、そして、ゆっくりと起き上がった。


「貴様……何がおかしい?」


 少年の態度に魔王は苛立つ。


「お前に比べたら先代のサタンの方が遥かに強かったぜ。まあ、お前は、一番ちょろかった初代のアスモデウスとどっこいくらいじゃね?」


 少年は立ち上がり、不敵な笑みを浮かべた。


「お前……何を言っている? まるで自分が倒したかのうように……」


「倒したさ。この世界に顕現した魔王は全部俺が倒したんだよ。ぜ~んぶなっ!!」


 その言葉とともに、少年から赤い光が放たれた。


 光は風圧を伴って周囲の空気を薙ぎ払い、一部雷となって天に伸びた。

 空を覆う黒い雲は、少年を中心に渦巻き始める。


「貴様、何を言っている!? サタンが顕現したのは百二十年前、アスモデウスに至っては千年も前だぞ!! その間を人間の貴様が生き続けてきたというのか!? 」


 魔王は少年の言葉に混乱した。

 いや、言葉だけではなく、少年が放つ力の凄まじさに、魔王の思考はさらに混迷を深めた。


「それになんだその力は!? 万物の頂上たるはずの我らを遥かに超えているではないか!?」


「あー、そこらへんは色々からくりがあるんだが……」


 少年はそう言いながら、右手の剣を無造作に掲げた。

 そして、赤い光が剣に収束し、パリパリと赤い雷を帯びる。


「詳しいことは……」


 少年は地を蹴って高く舞い上がり、剣を大上段に振り上げて魔王に斬りかかる。


「あのブラック企業ばりのクソ女神にでも聞いてくれ!!」


 魔王は剣を防ごうとするがなすすべもなく真っ二つに切り裂かれた。

 二つに分かれた魔王の体は黒い霧となって宙に消えていく。


 消滅する魔王の断末魔に紛れて少年はこう呟いていた。


「あの世でな……」


 少年は魔王を切り裂いた剣を、用済みとばかりにぽいっと投げ捨てた。


「終わったぞっ!! クソ女神ぃっ!!」


 少年がそう叫ぶと、周囲一帯が青い光に包まれる。

 そして、天からさらに強い光が現れ、人の形を形成する。

 ギリシャ神話のアテナのような白い衣、水色の長い髪に、人間離れした美貌。

 それはまさに神話に描かれる女神の姿そのものだった。


『勇者リヒトよ、よくぞ魔王レヴィアタンを倒してくれました。あなたの功績は未来永劫かた……』


 女神は厳かにねぎらいの言葉をかけようとするが、少年は女神の言葉をかき消すように罵声を浴びせた。


「その文言何回やるんだよっ!? さっさと元の世界に帰せっ!!」


『いや、でも、あの王国のお姫様、あなたのことかなり気に入ってたから、たぶん国に戻ったら求婚とか……』


「冗談じゃねーっ!! なんでこんなスマホも、インターネットも、プレステ5もないような世界で結婚して永住せにゃならんのだっ!? いいからとっと元の世界に帰せっ!!」


 その後も、少年リヒトは、わーわー、ぎゃーぎゃーと罵詈雑言を発している。


 女神は不満気だったが、仕方ないなーという顔で右手を天に掲げた。

 すると、周囲に溢れていた光はさらに強さを増し、周辺全ての空間を埋め尽くした。


 リヒトは眩しさに目を瞑り、数秒してから目を開ける。


 周囲の景色は、鉄筋コンクリートの建造物内の廊下に変わっていた。


 周辺には彼と同世代と思しき少年少女たちがあふれており、皆リヒトと同種の学生服を着ていた。


 ここは、東京都内の某都立高校である。


 リヒトは周囲の状況を識別するやいなや、すぐに真横の教室に入り、壁掛け時計を見た。


(15時26分。前回までと同じく、こっちの世界での時間経過はほぼゼロか……)


 リヒトは次に自分の衣服を確認する。


(ほぼ新品同様。これも前回までと同じか……)


「あれ、理人りひと……」


 そこでクラスメイトの1人がリヒトに声をかけてきた。


「お前、なんか急に背伸びてね?」


 そのクラスメイトの言葉に、リヒトはどきりとする。


「あ、ああ……最近急に背伸び始めてさ。成長痛であっちこっちいてーんだわ……」


 リヒトはそういって話をごまかしていると、チャイムの音が鳴り響き、教師が教室に入ってきた。


「おーし、七限はじめるぞー。席につけー」


 教師の言葉に、生徒たちは「あー、だりー」「七限まじしんどいわー」と愚痴を言いながら席に着く。


 今日は木曜日で、1週間の中で唯一七限目まで授業が組まれている日であった。


 席についたリヒトは心の中で呟いた。


(あー、まじでしんどいわー……)


 リヒトは体の隅々まで浸透しきっている疲労に耐えながら、今日のことを思い返した。


 1時限目 古典

 休み時間 異世界召喚1回目

 → 魔王アスモデウス討伐


 2時限目 数学

 休み時間 異世界召喚2回目

 → 魔王ベルゼバブ討伐


 3時限目 世界史

 休み時間 異世界召喚3回目

 → 魔王マモン討伐


 4時限目 英語

 昼休み 異世界召喚4回目

 → 魔王ベルフェゴール討伐


 5時限目 体育

 休み時間 異世界召喚5回目

 → 魔王サタン討伐


 6時限目 現代文

 休み時間 異世界召喚6回目

 → 魔王レヴィアタン討伐


 7時限目 地学 ←今ココ


 そう、彼は今日一日、休み時間の度に異世界召喚され、その度に魔王を倒して戻ってきていたのだ。

 こちらの世界では一日だが、向こうの世界では1回目の召喚から1000年以上の時間が流れていた。

 そして、あの世界の歴代勇者は全てリヒトだった。


 なぜ、このようなことになったのか?

 最初は女神も魔王が顕現するたびに別の勇者を召喚するつもりだった。

 だが、初代魔王を倒したとき、その莫大な経験値によってリヒトのレベルは91まで上がり、そこで女神は気付いてしまったのだ。


(これ、ずっと同じヤツ召喚し続けたほうがどんどん強くなって効率良くね?)


 それから、リヒトはまるでブラック企業の社畜のように使い倒され、5人目の魔王を倒したときには、彼のレベルはとうとうカンストの999に達したのだった。


 6回目に至っては、1週間で魔王の居城までたどりつき、一撃で倒してしまっている。


 しかし、あの世界でレベル999になっていても、どういうシステムなのかわからないが、この世界では彼は元通りの一般ピープルのままだった。

 すなわち、6回も世界を救ったにもかかわらず、彼には何の特典もなかったというわけだ。


(あのクソ女神、マジふざけんな)


 リヒトは女神への怨嗟の念をメラメラと燃やしながら、7限目を過ごしたのだった。


 そして、本日の授業が全て終わり、リヒトは立ち上がって背伸びをした。


 長い長い一日が終わった。

 もう、6人も魔王を倒したんだから、あの世界に行くことはもうないだろう。


 リヒトがそう思いながら、帰り支度をしていると、先ほどのクラスメイトがまた声をかけてきた。


「あ、そうだ、理人。渡すのすっかり忘れてたけど、これ持ってきたぜ」


 クラスメイトはそう言って、とある漫画本を渡してきた。

 その本のタイトルは『七つの大罪』と記されていた。


 リヒトはそれをみてぱあっと顔を輝かせる。


「おお、さっすが鈴木!! 我が心の友よ!!」


 それは、リヒトがずっと読みたかった作品で、七つの大罪になぞらえた騎士たちの物語だった。


「お前、そんなに読みたかったんなら自分で買えばいいのに」


「我が家は昔から漫画禁止なんだよ。だから、頼りはお前だけだ」


 そう言われて、クラスメイト鈴木はしょうがねーなーとため息をついた。


「でも、この作品、面白いんだけど、ファンタジーオタクの俺からするとちょっともったいないんだよなー」


 と、鈴木はぽつりとつぶやいた。


「ん? もったいないって?」


 リヒトはペラペラと漫画を読み進めながら、話半分に問い返した。


「七つの大罪ってさ、元ネタはキリスト教なんだけど、それに対応する悪魔がいるんだよ。アスモデウスとかレヴィアタンとか」


 その悪魔の名前に、リヒトはぴたりとページをめくる手を止めた。


「今、なんて言った?」


「ん? アスモデウスに、レヴィアタンだよ。名前からしてかっこいいだろ。他の悪魔もすげーかっこいいんだぜ。だからその七大悪魔もからめた話にしてくれたら、もっと俺好みだったんだけどなーって」


(まさか……)


 リヒトは漫画を机におき、鈴木の方に向き直った。


「鈴木、お前、その悪魔の名前、全部言えるか?」


「ああ、もちろんだよ。アスモデウス、ベルゼバブ、マモン、ベルフェゴール、サタン、レヴィアタン、それから、


 鈴木がその名前を呟いた瞬間、世界が止まった。

 鈴木も、他のクラスメイト達も、教室の時計の秒針も全てがぴたりと止まっていた。

 リヒトは何が起こっているのか瞬時に理解した。

 何しろもうなのだから……


 そして、天から青い光とともに、あの女神が現れる。


『勇者リヒトよ。魔王ルシファーが顕現しました。あなたの力で再び世界を救ってください』


「あああぁぁぁーっ!! やっぱりぃぃぃーっ!! もう一人いんのかよーっ!!」


 リヒトは頭を抱えて絶叫した。


『最後にして最強の魔王です。さあ、勇者リヒトよ、世界を救って……って、どこ行くんですか!?』


 リヒトは時間が止まった空間を全力で逃げた。


「冗談じゃねーっ!! もう異世界には行きたくないっ!!」




もう異世界には行きたくないっ!!完

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