02 晩餐の準備
アンによれば、今日の予定は夕食をそろって食べるということになっているようだった。公子であるルイ・ローズレイが目覚めた記念と言うことで豪華な晩餐を予定しているらしい。
「シルフィール様にお手伝いいただいて本当に助かります……なんて言ったらいけないんですけど。カトルの野郎、ほんとに使いものにならないので。あいつが出来ることは操舵と狩猟採集……まさに原始の民族そのものです」
とはいえ、アンは非常に手際が良かった。そして思いの外、カトルへの当たりがきつい。同僚だからこその気安さ、以上に何か思うところがあるのかもしれないなとメイド時代の空気読みの才能を発揮しつつ、シルフィールは野鳥の下拵えをした。
ぬるめの湯につけた山鳥から羽根を毟り、つるりとした桃色の肌が出てきたら表面を軽くあぶる。厨房の中にふんわりと香ばしい香りが漂った。
「まあ! シルフィール様、手慣れていらっしゃいますね……」
ぎくっとしながら半笑いで「わたし、お料理が大好きで……」と苦しい言い訳をした。貴族のご令嬢は料理などしない。食べる専門、味付けや焼き加減に口を出すのが仕事だ。
「す……」
「っ」
アンが言葉を詰まらせたので、とっさにシルフィールは身構えた。
「素敵ですわっ、近頃のご令嬢はお料理も嗜んでいらっしゃるなんて! 近代って素晴らしいっ、百年前とは大違いですのね」
きらきらと瞳を輝かせてアンは喜んだ。そういえばおなじようなやりとりを以前、カトルやローズレイ公爵ともしたような気がする。それにしてもこの城のひとたちは世間の常識から大きくずれている。こう素直に受け取られると罪悪感が芽生えるというか。
「あの」
「はい、なんでしょう? 蕾姫様」
ためらいながらもアンだったら、答えてくれるような気がしたから思い切って尋ねてみることにした。
「アンも、その……百年、眠っていたの?」
「あはは。そんなわけないじゃないですか」
おかしそうにアンは笑った。そう、だよね考えすぎだよね……ほっとシルフィールが息を吐いたのも束の間――。
「ほんの三十年ほどです」
「そ、そか……そうなんだぁ」
全然考えすぎではなかった。やはりこのヴェリテ城はおかしい。何かがおかしい。眠り続けるシルフィールの結婚相手ルイ――彼は百年間眠り続けた自称「薔薇の一族」。そして食事と称して、シルフィールの血を啜った。
「あなたたちはやっぱり吸血……んっ」
頬に押し当てられることが多い、アンの人差し指がシルフィールの唇に触れた。
いけません、と朗らかな彼女には珍しく表情が強張っていた。
「その言葉は薔薇様方への侮辱となりますのでご注意を」
「ご、ごめんなさい……」
「よいのです。シルフィール様はヴェリテ城に来たばかりですからね」
唇に笑みを刻んで、アンは手元の作業に戻った。
「私とカトルは薔薇ではございません――薔薇の一族でいらっしゃるローズレイ家の【眷属】、家臣とでも思っていただければと」
「【眷属】……」
ええ、とアンはすり潰したナッツのペーストを練り合わせながら続けた。
「わたくしどもはシルフィール様と同じく人間、でしたの――主にお願いして【眷属】として、永き命を与えられお仕えすることになりました。カトルは無理して起きていますが、わたくしは三十年周期で眠りに就くのです」
淡々と説明してくれるのだが、既にシルフィールの理解の範疇を越えていた。ローズレイ公爵家、もといローズレイ公爵が「怪物公爵」と呼ばれている理由はこうした点にあるのだろう。イヴェル家が愛娘を嫁に出したくない理由も。
「わ、私は……そのうち殺される、の?」
吸血鬼の城に送り出され、差し出された相手であるルイが目覚めたからには彼にとっての「食事」である自分の身が危ない。ぞくっと悪寒が走った。
「……」
アンは手を止めると、黙ってシルフィールを見つめる。
「ふふっ、あははははははっ、ふ……ひぃ……ご、ごめんなさいっ! 蕾姫様を怖がらせるつもりはなかったんですけど、そうですよねえ。そう聞こえちゃいますよね、いまのわたくしの説明では、んふっ」
そして――腹を抱えて笑った。完全に大爆笑である。
「大丈夫です。蕾姫様は一日一回、ルイ様に血を提供してくださればいいんです。いわば献血、とでもいうのでしょうか……わたくしが普通の人間として生きていた頃には禁止されていましたが」
「他のひとの血を、身体の中に入れる行為ですか? ……そういえば新聞で見たことがあるような」
「とにかく、死なない程度に加減いたしますので分けていただけませんか、という話なのです」
そう言うとアンは肩を竦めた。
「――まったく、どうして【眷属】のわたくしごときがシルフィール様にこのような大事なお話を……ルイ様にも困ったものですわ。あなたを脅かすだけ脅かして血を吸い、放っておいたのでしょう?」
完全にそのとおりだったのでシルフィールは何も言えなかった。その反応は図星ですね、とアンはため息を吐いた。
「どうか、ルイ様を嫌わないであげてくださいね。あの方は長生きですけれど、中身と来たら本当に自己中心的なクソガキなのです」
先ほどから言いたい放題である。イヴェル家の使用人たちでは考えられないほどに主人との距離が近しい。
シルフィールは少し、羨ましいような気がした。
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