空色杯9(500↑)
mirailive05
Ascension day flower
登校の準備を整えたぼくは、玄関に置かれていた真新しい靴に足を通した。
ふと視界の隅に、この家に来た時からすでにあった、会ったことのない祖父母のお気に入りが映る。
白で統一された棚の上、そこに置かれた大きめの鏡に写る自分の容姿をみて、ぼくはふっとため息をつく。
ぴょんとジャンプしてみても、低い背丈は高くならない。ぎゅっと力を入れてみても、華奢すぎる首筋も肩も、逞しくはなってくれない。
ほっそりとしたあごも、長いまつげも、約束のために切れない長い髪も、拍車を掛けるだけ掛けて知らん顔している。
鏡には色素の薄い、線の細い女の子にしか見えないぼくが、じっとこちらを見つめている。
でも。
うん、将来に期待しよう。元気のない姿を見せたら、きっと
いつものように同じ時間にチャイムが押された。ぼくは勢いよくドアを開けた。
「メイちゃん」
玄関を出ると、織音が立っていた。
古風な日本人形に絶妙な割合で現代の華やかさを加えた、一歳年上の幼馴染がぼくより七センチも高いところから声を掛けてくる。
「今日から同じ学校ね」
「うん」
この春、ぼく
織音は、ぼくが三年前に鎌倉から、ここ横浜に来た時からの幼馴染だった。
いつ見ても綺麗だなあとぼくは感心してしまう。
すらりと背の高い、写真のモデルのような容姿。
外国の血が入ったぼくの、銀に近いグレーの髪の色とは鮮やかさが違う。存在感? が全然違うように思える。
織音と歩きながら、ぼくは出会った頃を思い出した。
小学生の頃は、若干ぼくのほうが背が高かった。
でも織音は中学生になったころから、ぐんぐん背が高くなって、あっさりぼくは越されてしまった。
同時に、あの元気で可愛らしかった織音は、どんどん美しく大人の女性になっていくように思えた。
二人で公園や解放された校庭で、砂だらけになって遊んでいたことが嘘のようだ。
おしとやかな貴婦人のたたずまいが出てきた最近とのギャップに、どう接したらいいか戸惑うときがある。
そんな織音をすぐそばで見ていて、何故かぼくは、織音に置いていかれたような気持を消すことができなかった。
「織音、明日の花火大会だけど」
入学から三ヵ月が過ぎて学校にも慣れたころ、帰り道で毎年見に行くみなとみらい21地区の花火大会のことを織音と話していた。
ぼくは花火が大好きで、毎年織音と行くのを楽しみにしていた。
「車を出してもらうように、お願いするつもりよ」
「うん、いつもありがとう」
「どういたしまして」
そう言って、変わらず織音は微笑んだ。その笑顔が眩しくて、つい視線をそらせてしまう。
何となくしゃべりにくくなって、織音とは家の近くの交差点で別れた。
不自然な態度をとってしまったかもしれない。変に思われたかな?
翌日、でも織音は来なかった。
鏡深の家に連絡を入れたら、急な体調不良で病院に行っていたとのことだった。
ぼくは急いでお見舞いに行った。お手伝いさんに案内されて、見慣れた織音の部屋へ通される。
木目と白が基調な調度品。高級なものらしいけど、ぼくにはよくわからない。そのサイドテーブルにはお薬と水差しが置いてある。クリーム色のブラインドがかけられた窓の横に、四隅に花柄があしらわれた掛布団のベッドがある。
そこから起き上がって迎えてくれた織音は意外と元気そうで、ぼくはほっとした。
「何でもないの、ちょっと貧血になったみたい」
ぼくは胸をなでおろした。元気で健康な織音のイメージしかなかったので、とても心配だったから。
「よかった。でも残念だけど、今年の花火大会は中止にしようね」
織音は大きくかぶりを振った。こんなことで、毎年のイベントをふいにさせるものですか、という意気込みが感じられた。
「大丈夫よ、花火大会は来月もあるもの!」
織音も花火大会を楽しみにしていたみたいだ。なんか嬉しい。
来月の日程を決めて、ぼくは鏡深の家を後にした。
数日後、またもやぼくは鏡深の家に向かった。
ぼくは鏡深の家にお呼ばれされることがよくある。ありがたいことに、その都度おじ様もおば様も快く迎えてくれる。もちろん、一番歓迎してくれるのは織音なんだけど。
今日は何かというと、珍しい外国の写真集が手に入ったというので、それを見せてもらいに行くのだ。
ぼくは写真に興味があって、特に見たこともないような場所や景色が撮られた風景写真が大好きだ。そこに行って、見たり感じたりを想像するだけで幸せな気持ちになれるから。
織音も写真集は好きなんだけど、外国から取り寄せるほどではない。では誰が写真集を見せてくれるのかというと、織音の母である
綾子おば様は品のあるおっとりとした性格で、一見趣味に没頭するタイプには見えない。でも実は無類の写真集好きで、国内だけではなく海外の写真集も集めていて、それだけで一部屋埋め尽くされているくらいだ。
お金持ちおそるべし。といったところだけど、それだけでは飽き足らず、最近ではおば様自ら写真を撮るようになったようで、それも見せてもらうのは嬉しいんだけど、ぼくを被写体兼着せ替え人形にして写真を撮るのは、やめて欲しいな……
約束の時間にはちょっと早すぎるかなとも思ったけれど、遅れて失礼になるよりかはましかな。
ぼくの家から織音の家までは少し距離がある。まず山手本通りに出て、突き当りの港の見える丘公園を右に。山手ロイストン教会を過ぎると、鏡深邸の長い壁が見えてくる。それに沿って少し歩くとやがて門が見えてきた。
やや離れたところでぼくは足を止めた。くぐり戸の前で、見たことのない男の人が織音と親し気に話していた。
すらっとした長身で、俳優のようにかっこよくて、同じく長身の織音と並ぶととても絵になるように見えた。
二人はしばらく会話した後、男の人は本牧のほうに歩いて行った。
何となく気後れしたぼくは、少し時間をおいて鏡深の家のインターホンを押した。
「メイちゃん見て見て、このお城。セント・マイケルズ・マウントって、まるでモン・サン・ミッシェルみたいでしょう……」
二つある応接間の小さい方、親しい方用に使われる方で、真新しい外国製の写真集を、綾子おば様の詳しい解説付きで見ていた。のだけど……
綾子おば様ごめんなさい、全然頭に入ってこない。楽しいはずなのに、さっきの光景がちらついて。
織音はいつものように隣で一緒に写真集を見ている。その織音と、微妙に視線を合わせられない。少し居た堪れない。
「済みません、ちょっとおトイレを」
「あらごめんなさい、ずうっと私一人で話し込んでしまって」
「いえ、すごく面白いです」
そう言って、ぼくはソファーを離れた。
おトイレの化粧室で、何度も意味なく手を洗う。
なんでぼくは、こんなに動揺しているのだろう。織音にだって、ぼくの知らない男の人の知人や友人くらい居るだろう。まして鏡深家は名家だから、その数は一般家庭のぼくとは比べられないくらい沢山居てもおかしくはない。
おトイレから出ようとしたとき、前の廊下を歩いてきたお手伝いさんたちの話声が偶然聞こえてしまった。
「お嬢様も婚約なされるお年頃に……」
婚約、織音が!?
名家の家系では、いまだにそういう慣習があることは知っていた。
ぼくは激しく動揺して、思わずドアを開けかけた手が止まってしまった。そのまま薄く開けて聞き耳を立てたけど、それ以上は分からなかった。
織音が遠くに行ってしまう。
なんだろう、ひどく寂しくて、そしてそれがとても怖ろしかった。
そしてふと考えてしまう。織音の家のこと、自分の家のこと。
織音は華族の流れをくむ名家のお嬢様で、一般家庭のぼくとは住む世界が違うのかも知れない。ぼくには想像もできない仕来たりや、名家同士の約束事なんかがあるのかもしれない。追いつけないくらいの距離が、織音との間にあることを、受け止められないくらい感じてしまう。
その日見せていただいた写真集は、頭の中がグルグルして少しも記憶に残らなかった。
ぼくは逃げるように、鏡深の家を後にした。
あれから、鏡深の家には行ってない。
悶々と過ごす日々が重なる。
聞きたい気持ちと、それが怖い気持ちの中で、無理やり心の奥に押し込めてなるべく笑顔で織音と登校する。それでも余所余所しくなってしまう自分の小ささが、ひどく疎ましかった。
でもきっと、織音はそんなぼくの動揺した心に気が付いている。織音は勘が鋭いから、ぼくの隠し事なんかすぐに見抜いてしまうだろう。幻滅されているかも……
それでもその日はやってくる。約束の再度の花火大会。
毎年、鏡深の家が持つ川沿いのホテルの屋上を借りて観ることになっていた。
今日の織音は浴衣を着ている。濃い色の生地と金魚の赤い柄が、長い髪によく似合っていた。
織音がぼくを見る。今日はいつもより多く織音に見られているような気がする。
表情はいつもと変わらない織音。いつもぼくを待っていてくれる織音。変なのは僕の方だ、わかっている。
誠意がないぞ、由樹名明。男らしくなりたいのに、真反対の態度じゃないか。
なけなしの勇気を振り絞って、ぼくは恐る恐る問いかけた。
「織音、婚約するの?」
織音は目を丸くして、しばらく黙り込んだ後に「なに、それ……」と言っただけで再び絶句してしまった。
くぐり戸の前で話していた男の人の事、そしてお手伝いさんの話していた事を説明した後、どれくらいそうしていただろう、やがて織音は呆れたように口を開いた。
「メイちゃん、ここのところずっと様子がおかしかったのって、その根も葉もない雑談のせいだったのね」
「だ、だって、鏡深の家は名家だし、そういうこともあるのかなって……」
織音は大きくため息をつくと、すべての疑問に答えてくれた。
「あの人はお父様の知り合いの息子さんで、鏡深の系列病院に勤めることが決まったのでそのご挨拶に。何度か会ったことがあるから、少しお話しただけよ」
それに、と織音は続けた。婚約云々は姉の
「な、なんだぁ……」
ぼくは安堵感と張りつめていたものが消えて、その場にしゃがみこんでしまった。
「ど、どうしたのメイちゃん」
ぼくを心配して覗き込むように腰をかがめた織音を見上げる形になる。
「ううん何でもない、大丈夫」
ぼくはすっかり心が晴れて、にへらっと笑ってしまった。
「そ、そう。よかったわ」
そう言って織音もふふふと笑った。ちょっとぎこちなく見えたのは、ぼくの気のせいかもしれない。
ぼくが妄想の中で作り上げたもやもやの壁を、織音はその笑顔だけで粉々にしてくれる。うじうじ悩んでるぼくを、慈しみの心で元気づけてくれる。
織音はすごいと思う。ぼくはいつか織音に追いつけるのだろうか。
「え、どうしたの織音?」
と考えていたら、そのまま織音はぼくをじっと見つめてきた。何故か伸ばしかけた手を、無理やりひっこめたように見えた。
「ううん、何でもないわ」
そう言って立ち上がると、ぷいっと後ろを向いてしまった。
ぼくは何だかわからなくて、あたふたしてしまった。
そうこうするうちに、花火大会の開催時間になった。
「メイちゃん、花火が始まる」
織音が夜空を見上げる。
小ぶりなものや、柳のように流れるものの後に、どーん! という一際すごい音が響いて、今日一番大きい花火が打ち上がった。
夜空一面に広がって、赤、青、黄色、様々な色で耀きながら、見物客を照らしていく。
「綺麗だね」
そのきらめきが、浴衣姿の織音を浮かび上がらせる。
ぼくは、身動きできずに、ただその姿を見つめていた。
織音の横顔は、今まで見た誰よりも綺麗だった。
やがて織音は、ぽつりとつぶやいた。
「綺麗な花火……」
空色杯9(500↑) mirailive05 @mirailive05
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