ペットショップにいた小さいオジサンとの暮らし

牛本

小さいオジサン


 その日は休日で、会社の日々のストレスを発散すべくペットショップに癒されに行っていた。

 そこには、ショーケースの中で猫に小突かれている、小さいオジサンが居た。


「……え?」

「あら、お兄さん。今日も来たのね」


 家から程近いこのペットショップには毎週のように通い詰めているため、店主であるおばさんとは顔馴染みだ。

 いつものように話しかけてきたおばさんに、俺は狼狽えつつも応える。


「……あっ、はい。おばさん。こんにちは」

「うん? どうかしたのかしら?」


 俺の態度が不自然だったのか、おばさんは胡乱気な表情で俺を見上げる。

 気さくなおばさんだが、こういった洞察力の高さにはその小柄な体に収まりきらぬ貫禄や経験値を感じざるを得ない。


 きっと、並々ならぬ経験を積んできているに違いない。大きく口を開けたトラの柄が印刷されたTシャツがそれを物語っているように見えた。


 俺はそのトラと目を合わせ、生唾を呑み込むと、言った。


「あの、ちょっと変なこと聞いてもいいですか?」

「え? いいわよ? どうしたの突然」

「……えっと、見間違いじゃあなければ、あそこの猫のケージの中に、小さいオジサン居ません?」


 言ってから、後悔した。

 もしかしたら変な薬でもやっているのではないかと疑われ、出禁になってしまうかもしれない。

 そうなったら、最近の俺にとっての唯一の癒しが無くなってしまいかねない。


 突然、強烈な不安に襲われた俺は慌てて言い訳をしようとして――


「あのッやっぱ俺の見間違……」

「ああ、いるわね。なんなのかしら、あれ」

「……え?」


 ――そんな必要はなかったようだ。


 おばさんは困ったような顔をして、ケージを開く。

 そして、台所の掃除をして油の染み込んだティッシュを持つかの如く、オジサンの髪の毛を摘まんで見せる。


 猫が獲物を取られまいととびかかろうとするが――おばさんのトラTに気圧されたようにして固まった。


 その隙にケージからオジサンを救出……かどうかは定かではないが、取り出したおばさんは俺の前にそのオジサンを突き出した。


「ほら、コレでしょ?」

「えっ、あ、ああ。コレです」


 俺はおばさんに摘まれバタバタと暴れているオジサンを見るが、本当にただのオジサンにしか見えない。

 パンツ一丁というのはいかがなものかと思うが、本当にただのオジサンである。

 サイズは小さめだが。


「これねえ、ソコの側溝に……あらヤダ私ったら。ふふ、ギャグじゃないのよ」

「は、はあ……」

「それでね、ソコの側溝に、ふふ、落ちてるのを見つけてね。最初はオモチャかなって思って猫のケージに入れてたら、動き出すんですもの。怖くって怖くって」


 などと言いながら、オジサンの髪を持ってプラプラとし始めたおばさん。

 すると借りてきた猫のように大人しくなるオジサン。


 オジサンの扱いなどお手の物なのだろうか。

 やはり積んできた経験が違うようだ。

 俺は戦慄の表情で生唾を飲む混んだ。


 そんな俺に気づいたら様子もなく、おばさんは頬に手を当ててため息を吐いた。

 まったく、ため息を吐きたいのは此方だと言うのに。


「それでね。コレ、どうしようかと思ってたのよ」

「なんか……話せたりしないんですか?」

「それが出来れば店の手伝いでもさせるんだけどねえ。……あ、そうだお兄さん」

「え、あ、はい。なんでしょう」

「コレ、貰ってく?」


 なんでもない事かのように言い放つおばさん。

 俺は埴輪のような顔をした自信があった。


「――え、マジですか」

「大マジ。タダでいいわよ」


「呪われたらたまったもんじゃないもの」などと言っているおばさんは、本当にいい性格をしていると思った。

 やはりタダより高い買い物はないのだろう。

 だが、なぜだかこのオジサンから目を離せなくなっている俺が居るのも事実だ。


「……じゃあ、貰います」

「え、本当に? 気持ち悪くない?」

「ええ、丁度一人は寂しいなって思ってたところなんですよ」

「……あんた、ナヨっとしてると思ってたけど、肝が据わってるのね」

「あんたに言われたくないよ」


 思わず突っ込むと、おばさんは嬉しそうに笑った。


「まあ、じゃあこんなの貰ってくれるお兄さんにサービス。オジサン入れる水槽あげるわ」

「え、水槽なんですか?」

「あなた、こんな小さいの放し飼いにしてたら踏んづけちゃうわよ」

「……確かに。じゃあ、ありがたくいただいてもいいですか」

「いいのよ。持っていきなさい。うちの娘も貰ってく?」

「お得意のギャグですか」

「失礼ね。ギャグなんて言ったことないわよ」


 そんなやり取りをしながら、おばさんが持ってきた水槽を受け取る。

 電子レンジ程のサイズ感だ。

 でかすぎる気もしたが、小さいとは言え人が住むサイズならの暗いが妥当かもしれないと思いなおした。


「じゃあ、ありがとうございました」

「はあい。またいらっしゃいね」


 おばさんの言葉に甘えることにした俺は、水槽を受け取り、店を後にした。

 水槽の中に入れられたオジサンは、ビール腹をぽよぽよと揺らしながら水槽の中でバランスをとっている。


「……かわいいかもな」


 俺ももうそろそろ三十路だ。

 オジサンになってから、他のオジサンにも仲間意識みたいなものが芽生え始めてきていた。

 まさかこんな形でこんなオジサンとの関係が構築されるとは思ってもいなかったが。


「……よっと」


 家に帰った俺は、必要最低限のものしか置いていないがゆえに広いスペースが空いているリビングに、オジサンの入った水槽を設置した。

 

 中のオジサンはどうやら水槽の揺れが収まったことで安心したらしい。

 水槽の底の方にお腹をくっつけて気持ちよさげに寝っ転がっている。


「ふふ、癒されるかもな」


 それから俺とオジサンの日常は始まった。


 まず、水槽の設備を充実させることにした。

 シルバニア的なオモチャから拝借した小さな家具を設置するとオジサンは喜んだ。


 飲み物はなんでも飲むが、試しにビールを与えると嬉しそうだったので、俺が晩酌するときのタイミングで一緒に飲んでいる。


 食べ物も同様になんでも食べていたが、脂っこいものは残していた。


「本当に、小さいだけのオジサンだなあ」


 服装はずっとパンツ一枚だった。

 服を渡しても着ようとしなかったのだ。


 偶には運動させようと部屋に放出するが、すぐに床に寝転んでしまうので諦めた。

 どうやら、ダメなタイプのオジサンらしい。


「オジサン、お前が好きなテレビやってるぞ」


 オジサンはバラエティー番組が好きなようで、テレビをつけると床に座り込んで真剣に見ていた。


 オジサンと共に見るテレビは一人で見ていた時よりよほど楽しかったと思う。


「オジサン、そろそろ暑くなってきたな。プールやってみるか」


 夏になると、水槽の中に小さな水槽を入れて疑似プールとしてオジサンに与えた。

 オジサンはプールの中でぷかぷかと浮かんでいただけだが、楽しそうにはしていたので、設置した甲斐があったというものだ。


「オジサン、秋だぜ。なんかガチャガチャで小さい本あったからやってきた。読書の秋だから本でも読んでみなよ。あと、サツマイモ食べるよな」


 オジサンはサツマイモを「あちあち」としながら、本を手に取った。

 以降、同じ本をずっと読んでいた為、新しい種類のミニ本も買って渡してみると、すごい勢いで食いついてきた。

 どうやらうちのオジサンは読書家らしい。


「オジサン、そろそろ寒いだろ。ちょっと厚めの布団用意したからな」


 冬になるとオジサンが寒さに震えているのが見えた。

 暖房はつけたが、深夜になると消している為、オジサンが風を引かないように厚めの布団を作った。

 オジサンはミノムシみたいに布団にくるまりながら歩いたりする。

 かわいらしかった。


「オジサン、オジサンがうちに来てから一年が経つな」


 オジサンの誕生日は分からないが、出会った日が誕生日ということにしよう。

 俺はオジサンに誕生日ケーキを買って、二人で食べた。

 この年になってから誰かの誕生日を祝うことなんてなかったから新鮮だった。


 当然俺の誕生日も祝ったが、オジサンは理解しているのだろうか。


「オジサン……? おい、オジサン! 大丈夫か!」


 ある日、オジサンが風邪を引いた。

 俺はどうすればいいのか分からなくなって、ペットショップのおばさんに聞いた。

 おばちゃんは、「任せな」と言ってくれた。

 頼りになるおばさんだ。


 数日後、おばさんに様子を見て貰っていたオジサンが帰ってきた。どうやら体調は元に戻ったらしく、いつもみたいに水槽の底に腹を付けて転がっている。


「あんた、まだアレ育ててたんだね。色ツヤも良くなっちゃって、見違えたね」

「まあ……はい。もう俺の大切な家族ですよ」


 オジサンと暮らし始めて数年が経った。

 オジサンとの暮らしに終わりが近づいていた。


「オジサン……おい、オジサン」


 数か月前からあまり動かなくなったオジサン。

 俺はペットショップのおばさんに原因を聞いたが、どうやら老衰らしい。


「なあ、オジサン。また俺の晩酌付き合ってくれよ」


「オジサン、また一緒にテレビ見ようよ」



「オジサン……」




「オジサン…………」




 オジサンと出会って10年が経った。


 ――そのお祝いをした数日後、オジサンは静かに息を引き取った。


 庭に建てたオジサンの墓の前で座っていると、おばさんが近づいてきて横に座った。


「……残念だったね」

「……」


「私、あんたにオジサンを貰ってもらって正解だったよ」

「……え?」


「あのおじさん、私に拾われたときは何処か寂しそうにしてたんだ。でも、あんたと一緒に暮らしている時は、幸せそうに見えたよ」

「……そう、なのかな」


「そうだよ。自信を持ちな。あんたはオジサンを幸せにしたのさ」

「……そうなのかな。……でも、ありがとう、おばさん」


「うん、それでいい! 今は心の傷は癒えないかもしれないけど、またいつでもうちにおいで」

「そうするよ」


「うん! じゃあ私は店に戻るからね。またね」

「ありがとう。また」


 去っていくおばさんを見送った俺は、オジサンのいない家に帰った。


「オジサン……俺はオジサンを幸せに出来たんだろうか」


 水槽の前に立った俺の声が、誰もいない部屋の中、嫌に響いた。

 オジサンが居た水槽を見ていると何だか無性に悲しくなってきて、俺は水槽を片付けることにした。


「……あれ? なんだ、これ」


 オジサン用の家具を片していると、ミニ本の隙間から何かが落ちてくる。

 見覚えのなかったそれを拾ってみると、何かが書かれているのが見えた。


『私は幸せだった。どうかあなたも幸せになって』


 本を読んで覚えたのだろう言葉。

 それを読んだ瞬間、俺の中でオジサンとの思い出がフラッシュバックした。


 視界が滲む。


「オジサン……オジサンっ……! 言葉、覚えてたのかよ! もっと……もっと早く言って欲しかった! 俺もっとオジサンと話したかった!」


 涙があふれて止まらなかった。

 オジサンが書いた手紙に、大粒の涙が零れて文字が滲んだ。




 オジサンが死んで十数年後。

 俺はペットショップのおばさんの娘と結婚していた。


 平日はペットショップでおばさんにしごかれ、休日はこうして家で転がる毎日だ。


「ほら、あなた。またそうやってお腹出して! 床に転がってゴロゴロしてないの!」

「俺は休日はこうしてたいんだー」

「まったくもう。すっかりおじさんになっちゃって。……ほら、あなたの娘も真似してるわよ!」

「えへへ~、パパと一緒」


 可愛い娘の笑顔に俺もつられて笑顔になる。


「オジサン、俺――幸せになったよ」

「おじさんはパパだよ!」

「オジサン違いだな」

「え~なにそれ!」

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ペットショップにいた小さいオジサンとの暮らし 牛本 @zatu

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