第12話「タンポポが揺れた」

青い空の下、向日葵は今日も光を求めている。

それに応えるように、太陽がこの世界を照らす。

ぬるい風が、夏の声と共に窓の外から吹き込んで来た。


「今日も、いい日だね」


俺は、誰もいない部屋でそっと呟いた。


今日は、何をしようか。

そうだ、夏のさざ波をその足に受けてみたいな。

それに、もうすぐお祭りというものがあるらしい。

夜空に咲く花は、一層綺麗なのだとか。


そんな一つ一つの願いを、俺は手元の便箋に綴っていた。

今ではもう、山のように積まれているそれを送る相手は……さあ、誰だろう?


「……ねえ」

突然、不満そうな声が心の内から聴こえてきた。

同時に、暗闇に引きずり込まれるかのような感覚に襲われる。


気づけばそこは明かりの一つすら灯っていない、あの屋敷の中だった。

俺は真っ直ぐな眼差しで、その声の主に向き合う。

枯れた薔薇のツタが壁を這う、暗い回廊の先に人影があった。


「親友を、探さなくていいの?」


暗闇の、さらにその向こうにいる人物が話しかけてくる。

今、君はどんな表情をしているのだろう。

それが穏やかな感情ではないことだけは解っているけど。


「やっと、話しかけてくれたね?」

「……どうして、言うことを聞かないの?」


敵意の表れとも、困惑とも取れるその声色は低く、不自然に抑揚が無い。

彼は言葉を続ける。


「薄らぐ想いを、君に預けたはずなのに。

君は今、とても楽しそうにしている。

まるで、大切なものを過去のものにしようとしているように……ね」


そして影はふらりと立ち上がると、その淀んだ眼をこちらに向け、叫ぶ。


「どうして、どうして、ドウシテ──!!

それじゃダメなんだ、君に与えられた役割はそうじゃない。

もっと永遠に──絶望し続けろ!!」


力を込めて踏み抜いた彼の足元の床に、大きな亀裂が走る。

床だけじゃない、窓や天井、扉……あらゆるものがボロボロになっていた。


それを見て、なんだか悲しくなった。

ここは、彼自身が大切に守り抜いてきた場所だ。

なのに、今はもうそれすらどうでもいいと言わんばかりに壊すつもりなのだろうか。

自傷の先にあるものなど、何も無いのに……。


俺は覚悟を決めて、心の中でそっと想いを語る。

いつでも隣で笑っていてくれる、だけど隣にいない親友に向けて。


『ずっと昔、君も同じような瞳で問いかけてきたね。

それは二人きりで話した、最期の会話の時だった。

遠い日の"約束"を返す時が、来たのかもね』


そう、君が居るから勇気を出して一歩を踏み出せる。

今までも、これからも。

たとえ、何もできなかった俺だとしても。


「ねえ……ユン?」


きっと、これは君の名前なのだろう?


縁に対する想いと共に預けられた、君の名前。

だけど、今は俺の名前でもある。

意表を突かれたように、ユンの眼はこちらに向き直る。


「ユンは、"生きる"ってどういうことだと思う?」

「……変なことを聞くね? 今この瞬間、君は生きているじゃないか」


開き直るかのようにぶつけられた感情を、俺はそっと受け止めた。

心に走るのは、確かな痛みと哀れみ。

それを、優しく、優しく抱きしめた。


「ユンは、俺が元の世界でどんな経験をしてきたのか……全部、知っているよね?」

「……そうだね」

「いつの間にか、自分を守ることに必死になっていた。

そして、縁以外の誰かを信じることは無かった」


まるで、今の君みたいに。


「本当は怖かったんだよ。

できるならば全てを守りたかったのに、結局全てが零れ落ちていった。

その度に絶望したり、諦めたりしようとしたんだ。

だけど俺はそれすら許されず、諦めずに足掻いては、また失って……」


ただ、必死に生きた。

縁という希望に縋りながら。


「だけどね、ユン。

永遠に続く想いだけが正しさじゃないんだよ」


ようやく解ったんだ。

一度は君と同じ答えに辿り着いたとしても、君が選んだものとは違う可能性があることに。


「俺は今、生きている。

これから生き続けて行く中で、たくさん変わっていく。

そうやって思い出を積み重ねていくうちに、いつか縁も、"思い出"になっていくんだ」

「……やめろ!!」


その言葉を聞いた瞬間、激昂したユンが叫んだ。


「終わらせるわけにはいかない!

縁への想いを持ち続けることだけが!!

守れなかった友達への、せめてもの償いなんだ!!」


彼の手元には、一冊の本が抱えられている。

いつか見た夢の中で、白い服の少年が君に読み聞かせていた物語。

俺の視線に気づいたのか、ユンはその想いを吐露する。


「続きが書けないんだ、いつまで経っても……。

運命は変わらないのに、諦めきれなかったんだ。

だから、せめてこの想いだけはずっと……」

「ユン。……もう、いいんだよ」


きっと、本来ならばこの言葉を言うべきは俺ではないのだ。

それを解りながらも、俺はそれを伝えたかった。


「違う、違う……。嫌だ……縁、行かないで……」


それを聞いたユンは、懇願するように呟きながら崩れ落ちた。

ボロボロの屋敷は太陽に照らされ、枯れた薔薇のツタと共に少しずつ燃え堕ちていく。

その瓦礫は影のように消え、やがて跡形もなく消えてしまった。


影が去って現れた景色は、俺がこの世界で初めて目を覚ました原っぱに似ていた。

朝焼けの広がる、恐らく君が君を置いていった場所。

そして……俺の新しい物語が始まった場所。


だからこそ、今ここで伝えなければいけないんだ。

君が目を逸らしてしまった、ただ一つの真実を。


「ユン、もう解ってるでしょ?

俺は、そして縁は……"架空の存在"だってこと」

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