第9話「アサガオは今も」
それは、もう一つの視点。
かけがえのない親友の前日譚から始まる昔話。
縁には弟が居た。名前は、結。
二人は仲睦まじく、あの残酷な世界を生きていた。
「お兄ちゃん、これ……」
ある日、結の元に一通の招待状が届いた。
政府のマークが書かれた、小さな白い封筒が。
「どうして……」
それは二人にとって、いや……この世界の住人にとって受け入れがたい運命だった。
拒否することはもちろん、ただ一言の異を唱えることすら許されはしない。
政府が主催する、「人口管理ゲーム」。
結は、その参加者として選ばれたのだ。
未来のため、より強い個体のみを残すため……。
そんな口実で、全ての行為が正当化される血の祭典。
「大丈夫だよ、お兄ちゃん。僕、頑張ってくる!」
「結……!」
気丈に振る舞う結に対して、縁は何も言えなかった。
生きるために、誰かを殺すか?
それとも……信念のために、死を選ぶか?
何のためにそんな選択をしなくてはいけない?
でも、それがこの世界の決まりだから。
民衆が疑問を抱けど、今際の後悔を嘆こうと、世界は変わらず回り続ける。
「行ってきます」
奮える声で、ぎこちない笑顔で結はそう言った。
縁は何も言わず、その小さな体を抱きしめる。
「お兄ちゃん、大好きだよ」
振り払うように離れていった弟の背中を、いつまでも、いつまでも見守っていた。
*****
残るのは後悔か、それとも復讐心か。
抑えきれない感情のまま、縁は政府に対する反乱組織に参加した。
戦況は絶望的だが、そんなことはどうでもよかった。
(もう、帰ってくる弟はいないから)
すぐに、結の後を追うつもりだった。
前線に躍り出た同志たちは一人、また一人と散って行く。
その裏で、別の同志たちが手筈通りに自爆テロを決行する。
占拠したラジオから、同志のプロパガンダが高らかに鳴り響いている。
(あとはこの起爆スイッチを押せば、俺も──)
不思議と、恐怖心は無かった。
最愛の弟の元へ逝けるのだから。
「結、大好きだよ」
手に、最期の力を込める。
『死にたくない──』
その時、頭の中に声が響いた。
幻聴なんかじゃない。
こんな喧騒の中で、確かに聴こえた誰かの声。
思わず辺りを見渡せば、一人の青年が重症を負い倒れていた。
『まだ、生きたい──』
間違いない、この声の主はあの青年だ。
助ける道理などなかった。
だけど、何故だろう?
その声が、まるで俺の声を代弁しているように思えてしまって……。
「大丈夫!? 待っててね、今助けるから……!」
気づいた時には、青年の元に駆け寄って必死に声をかけていた。
まだ、逝ってはダメだ──!
そのまま、彼を病院に連れて行き、傍で見守った。
『生きたい──』
頭の中では、その声がずっと響き続けていた。
「……俺も、生きたい」
誰にも届かないよう、そっと呟いた。
一時的な気の迷いでも、なんでもいい。
今はこの小さな願いに縋り付きたい気分だった。
「ん……」
やがて目を覚ました青年が、きょとんとした顔でこちらを見た。
今は、これでいいんだ。
それが、綾辻ユンとの出会い。
*****
あの後、縁は反乱組織を抜けた。
抜けたと言っても正確に言えば脱走なのだが、あの日、あの場に居合わせた組織の構成員の生死など今更気にされることもなかった。
元より、組織からは捨て石扱いだったのだ。
何人もの人間が、犬死に同然の最期を迎えた。
こんな事件ですら、人々は三日も経てばそう気に留めることはなくなる。
この世界では、これはよくある日常に過ぎなかった。
「俺、弟がいたんだ」
どうして、ユンにそんなことを打ち明けようと思ったのだろう?
悲しみのはけ口だとか、八つ当たりとか、そういうものとは少し違っていた。
ただ、誰かに言わないと堪え切れなかったんだ。
結が、確かにこの世界に居たことを知ってほしいというこの想いを。
「弟さん?」
ユンはそのまま、この話を静かに聴いていた。
自慢の弟だってことを、そんな弟を襲った悲劇を、思いつく限りたくさん語った。
「多分、結はもう……」
その続きは、言えなかった。
言えば、それを認めてしまう気がしたから。
やがて感情が溢れ出して、そのまま声にならない想いを嘆き続けた。
「……ねえ、縁。そのままでいいから、聞いて」
やがて、ユンがそっと語りかけてきた。
そして、結がまだ生きているという、賭ける気力も起こらないほど絶望的な可能性を提示する。
「だからさ、縁。俺も、一緒に結を待つよ」
「ユン……?」
「縁の気が済むまで。何日でも、何年でも……何十年でも」
その眼差しは真っ直ぐで、本気でそれを言っていることが解った。
どんな形でもいいから、力になりたいという気持ちが伝わって来る。
ユンは、ずるい。
そうやって、どんな時も信じることを諦めない心を持っているのだから。
だけど、希望を持ち続ければ、あるいは……?
「俺も、その可能性を信じたい……いや、信じなければいけない。
だからそれまでの間、一緒に居て欲しい」
「勿論だよ、縁」
その言葉に、少しだけ救われた気がした。
震える両手を取ったユンが、眼を閉じて静かに言ったんだ。
「ずっと、傍にいるからね」
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