第4話「シオンに誓う」
『人口管理ゲーム』が始まってから数日後。
とうとう、その時がやって来た。
『う、うわあああああっ!!』
『ユン! 落ち着いて!!』
初めて取りこぼした、儚く散った命。
ヒーローになりたかったわけじゃない。
大団円を望んでいたわけでもない。
それでも、悪い人になり切れなかった心は正直に、目の前で起こった惨劇にただ嘆くしかなかった。
そんな俺を必死に宥める縁と、遠巻きに様子をうかがう者や、目を背ける者、望みの無い未来に怯える者。
『縁、ど、どうしよう! 早く、早く助けないと……!』
『ユン、その子はもう……』
後ろで見ていた"観測者"は、その惨状に口を押えながらも必死に叫んだ。
『もう誰も、死なせません……!』
しかし、一度動き出した歯車は、狂気は留まることなく俺達を蝕んで行った。
生きるためという大義名分を手に入れた暴徒たちが殺し、殺され、疑い合う日々が始まった。
だって、それがこの世界だから。
何も疑問に思う必要なんてなかったんだ。……そのはずだったんだ。
それでも俺は、縁の傍に居続けたかった。
たとえ何を見捨てても、犠牲にしても、その在り方を否定されても。
いつの日か、君がそうしてくれたように。
君が笑ってくれる日がまた来るように。
『だから、諦めない』
『ユン……』
俺と縁は、二人見つめ合って固く手を握った。
その締め付けるような痛みは、決して忘れられないだろう。
*****
「今日は、ここまで」
パタンと閉じた本が、僅かな風を生み出した。
緊張と混迷の中、俺は朔に決意を語る。
「俺……縁のことは、絶対に守りたいな」
「ユンってば、すっかり縁のことが好きになっちゃったね」
当然だ、大切な友達なんだから。
朔はこの物語を、どういう結末にするつもりなのだろう?
不安だけど、訊いたところで返答は分かり切っている。
「ねえ、ユン?」
「何?」
「もし、ユンの大切なものが二つ天秤にかけられたとする。
片方は、縁の命。その時……ユンは、どうする?」
「もちろん、縁を取るよ」
俺は、食い気味に即答した。
「……そっか」
間を空けて、朔は静かに頷く。
「ユンは、たくさんの命よりも大切な一つを守りたいタイプなんだね」
「んー、もし全部を守れるなら、そうするけど」
「そうだね。どちらか片方だけ、って選択を迫ったのは僕だ」
納得したように、朔は紅茶を一口飲んだ。
今日の紅茶は……夏摘み?それとも秋摘み?
最近は、それを当てるゲームを朔と二人で楽しんでいる。
「セカンドフラッシュ」
「じゃあ、僕はオータムナルで」
勝った方が、クッキーを一枚多くもらえる賭けだ。
意見が合った時は、その一枚を半分で分ける。
今日は意見が分かれたので勝負ができる。
「いつか、もっと大きなクッキーが食べてみたいな」
「色々な味を何枚も食べる方がお得じゃないか?」
「もう、分かってないなあユンは……」
その後はどちらの方が夢があるとか、ないとか、そんな話題で盛り上がった。
「そんなに言うなら……どっちも叶えればいいじゃないか」
「あっ……それはズルいよ」
今日の勝負は俺の勝ち。
本気で悔しがる朔を見て、俺は勝ち取ったクッキーをそっと半分に割った。
*****
『ねえ、縁……』
『気にすることないよ、ユン』
俺は不安を隠す様子もなく、縁と一緒に廊下を歩いていた。
ここは、『人口管理ゲーム』の会場。
巨大な、出口が封鎖された建物に集められた者たちの──墓場。
先ほども、目の前で男が一人、凶弾に倒れたところだ。
そして、その男を撃った男は、俺が……。
半狂乱の男は、次の引き金を引いた。
狙いは勿論、俺たちだった。
しかし、咄嗟に縁が"能力"で男を浮かび上がらせた。
弾の軌道がずれて、俺たちの頭上を飛んでいく。
間髪入れず、俺は"能力"を行使する。
"もう、生きていても意味がない"
男の心に絶望的な感情を植え付けた。
俺の能力は、本来自分の気持ちを相手に感化させる、いわばテレパシーのようなものである。
だから本心から思っていることでなければ、平常時であれば十分な効果を発揮しない。
しかし──。
"バーン"
この希望の一つも持てないような劣悪な環境なら、話は別だ。
男は銃口を自らの頭に突き付け、その引き金を引いた。
縁が男の身柄を開放すると、それは地面にドサリと落ちていく。
恐らく、いや、間違いなく即死だっただろう。
安堵と同時に視界がぼやける。
この能力は、意図的にしろ無意識にしろ発動した後の反動が大きかった。
仮に最大の力で発揮したならば、まず間違いなく気絶してしまう。
そんな代物を無理矢理に行使してふらついた俺を、縁が支えた。
『縁、ありがとう』
『こちらこそ』
笑顔で振り向き、互いの無事を喜び合う……つもりだった。
視界の端で、悲しげに立ち尽くす"観測者"の顔を見るまでは。
『ゆ、ユンさん……』
『……観測者』
気まずいとか、不都合とか、そんなことはどうでもよかった。
だけど……数日前、このゲームが始まった時。
最初に脱落した子の亡骸を前に、この子は確かに言ったんだ。
"もう誰も、死なせません"
その決意を、俺は、俺たちは当然のように踏みにじっている。
それが、現実だ。
『ユン、行こう』
『……うん』
縁の言葉に従い、俺はそのまま"観測者"の横を通り過ぎて行く。
本当は言葉の一つでもかけるべきだったのかもしれない。
だけど、何を言ったところで言い訳にすらならないことも解っている。
『私は、諦めません……』
俺の背中に、彼女の確かな信念がぶつけられた。
どこまでも広がる血だまりが、その想いすらも塗りつぶしてくれるようにと俺は願っていた。
*****
「……」
朔は、無言で本を閉じた。
ここ数日、朔は凄い勢いで物語を書いている。
そのせいか、寝不足な朔の顔を見ては俺が心配する毎日が当たり前のようになっていた。
「朔、大丈夫?」
「……うん」
今にも机に突っ伏して眠り始めそうな朔を見て、俺は言った。
「あのさ、朔」
「……なぁに?」
「俺のために、ずっと物語を書いてくれているのは本当に嬉しい。
だけど、無理はしなくてもいいんだからな?」
「……うん」
朔はふらりと立ち上がり、そのままベッドに寝っ転がる。
「ごめん、ユン。今日はちょっと……眠いみたい」
「そっか。気にしなくていいぞ! たくさん寝て、元気になってくれよな!」
「……」
こうなってしまっては仕方がない。
俺は早々に退散し、次の遊び相手を求めて青髪の友人に連絡を取った。
「……ということで、朔が寝ちゃったんだ」
「お前なぁ、それは無茶させすぎだ」
「そう、だよな……」
友人は俺の話を聞いて、優しく叱ってくれた。
「明日、朔のお見舞いに行くよ」
「手短にな」
俺は元々、友達が多い方ではない。
この青髪と、朔と……縁が俺の友達だ。
だからこそ、一人も失いたくない。
夕焼けの空を見ながら、俺は友人に言った。
「ほら、あの空の色。縁の瞳にそっくりだ。」
*****
翌日、俺は朔の家まで走った。
昼下がり。この時間なら、朔も起きているはず。
インターホンを鳴らす前に、鉄柵の隙間を覗き込む。
そこには朔が居て、初めて会った日のように薔薇を眺めていた。
「朔! おはよう」
「……」
「ねえ、今日は何して遊ぶ?」
「……」
朔は、返事をしなかった。
しかしこちらの声には気がついたようで、真っ直ぐ歩いてきてくれた。
その足取りから、寝不足が治ったことを察した俺は安堵する。
「……ユン」
「何?」
「これ、もういらない」
朔は、一冊の本を差し出してきた。
それは、俺の物語を書いている最中のあの本だった。
「え、でも、これ……」
戸惑う俺に、朔はハッキリと言った。
「ユンなんて、大嫌い」
「さ、く……?」
突然のことに、理解が追い付かない。
俺が、なんだって……?
「ユン」
「な、何?」
「最後に、聴きたいことはある?」
淡々と、しかし強い語気で朔は問いかけてきた。
どうしよう、聴きたいことならたくさんある。
何も分からないままに、俺は一つの質問をしてしまった。
「俺は、縁を守ることができたのかな」
朔は、顔色一つ変えることなく答えた。
「ユンはバカだなあ……そんなはずないじゃん?」
「えっ……?」
「縁はもうすぐ死んじゃうんだ。ユンがどんなに足掻こうとも、運命は変わらない」
……聞かなければ、よかった。
そのまま、屋敷の中に戻った朔に取り残された俺は、書きかけの物語を抱きしめながら泣いた。
朔の姿が見えなくなっても、ずっと、ずっと。
*****
それから一ヶ月ほど過ぎた頃。
俺は、青髪の友人にお茶でも一緒に飲もうかと誘われた。
穴場のカフェがあるからと言われて渋々了承したものの、久方ぶりの再会に内心ほっとしていた。
「……だからさ、俺の物語は終わってしまったんだ」
「……」
あの日以来、朔の屋敷には近づいていない。
それどころか、外に出ることも少なくなりずっと塞ぎんでいた。
そんな異変を察した友人が、俺を呼び出して何があったのかと聞いてきたのだ。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
「どう、って言われても……」
「朔と仲直りしたいとか、そういう気持ちがあるから悩んでいたんじゃないのか?」
それは、そうかもしれない。
だけど、ハッキリと嫌われた上でもう一度会いに行く勇気なんてなかった。
仮に会うことができたとしても、もう傷つきたくなんてない。
「朔のことは……仕方がない、って思うことにするよ」
「お前は、それでいいのか?」
「……イヤだけどさ」
アイスティーが入ったグラスの氷はすっかり溶けていた。
味気ないそれを飲みながら、友人の出方を伺う。
「まあ、最終的に決めるのはお前だ」
「……」
一方的に呼び出して、根掘り葉掘り聞きだした割には冷たい答えだ。
知ってもらうことで気が楽になったといえばそうかもしれないが、それでも期待外れだった。
「だけど、後悔するくらいなら行動した方がいいぞ」
「余計に傷つく方が……怖いよ」
「……そうか」
友人も、冷めて温くなったホットコーヒーを一気に飲み干した。
そのまま店を出て、無言のまま、二人で帰り道を歩く。
下を向きながら歩く俺の腕を突然、友人が掴む。
「おい」
「え、何?」
「せめて前を見て歩け」
見れば、歩道の信号は赤色で、目の前を何台かの車が横切るところだった。
間近で目を合わせた友人の顔は、怒っているような、悲しんでいるような……複雑な表情だった。
「……ごめん」
「……」
そのまま暫く歩いて解散し、友人の背中を見送った俺は頭の片隅で考えていた。
勇気も出せず、臆病で、可能性に縋ることすらしない。
こんな俺に、友人もまた失望しただろうか。
(俺は、ヒーローになんてなれない……)
やがて俺も、重い足取りで一人寂しく歩き始めた。
やり場の無い感情が、晴れているはずの空の下、ほんの数滴だけ地面を濡らした。
*****
それから、さらに一ヶ月ほどが経過した。
部屋の中ではどこかで聴いたような、しかしぎこちなく不規則なサラサラとした音が響く。
使い慣れないペンを扱う手は、飛び散ったインクで汚れていた。
そうこうしているうちに、乱雑に重ねられたメモ書きがテーブルから崩れ落ちる。
たくさんの単語や文章を並べては、その全てを×印で塗りつぶした何枚もの紙が床で折れ曲がっていた。
そんな様子を見た俺は溜め息をつくと、インク壺の横に筆を投げ出し、机の上に突っ伏して目を閉じた。
(ダメだ、やっぱり俺には……)
本当は、何もかもを諦めればよかったのかもしれない。
それでも俺には、ただやり切れない想いだけが残っていた。
朔が投げ出した物語の続きを作るために、縁を救う筋書きを考え続けていた。
だけど、どんなに俺が足掻いたところで、納得のいくような話は書けなかった。
(朔は……すごかったんだな)
朔が描いた空想には、いつでも目新しさや意外性のような感情を揺さぶる力があった。
だからこそ、俺は夢中になって話を聴いていた。
だけど同時に、あることに気づいてしまったんだ。
朔は、ハッピーエンドを書くことが殆どなかった。
そんな朔の物語を見続けてきた俺が見様見真似で作った物語は、どれもこれも、縁を救える内容ではなかった。
どうすれば、縁が幸せになれるのか?
それを考え続けても、答えは出ないままだった。
(まるで、俺が物語の中のユンになったみたいだ)
どんな時でも諦めず、ただ一人の親友を救う方法を求めて戦い続ける。
そんなヒーロー像を、いつの間にか俺自身に投影していた。
誰にも縁を救えないならば……俺が、それを救ってみせる。
そのためならば、どんな困難にだって立ち向かってやる。
たとえ、誰にも頼れないとしても……。
やがて疲労感を自覚した意識が、少しずつ眠りの中に沈んでいった。
一休みしたら、また続きを考えよう。
(縁──待っててね)
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