三話


冬籠りを開始してからニヶ月が過ぎた頃には雪解けが始まった。ナザビア帝国東南部は気候が比較的温暖であり、冬は短い。


現在は二月の頭であるが日差しの量は増えきた。



村の人々は徐々に雪掻きを始めるために外に出てきていた。遠くを見渡すと街道の雪も溶け始めていた。


最近になってフィルは自身の視力が異様に良い事に気づく。その視力はおそらくアフリカのタンザニアの民族並だろう。


ーーー前世では視力があまり良くなかったので嬉しい限りだな



薬学の方はと言うと、なんと基礎薬学をほぼ修得したのである。残す基礎薬学の単元は森での技法と採取の技法のみであった。


これらの単元は冬籠り中は不可能であっため、フィルは後回しにしていた。


ちなみに、冬籠り中に薬学を学んでいる事を知った父ロベルと祖父ダンケルは驚いていた。


ーー5歳児が薬学を学んでいたら、そりゃ驚くよな。



冬籠り中のある日にロベルから「薬師になりたいのか?」と聞かれ、肯定すると「そうか」一言返ってきた。



ーーーあれはなんだったのだろう。もしかして、ロベルは薬師という職が好んでいないのか。剣で生きてきた人だから、学問が嫌いなのかもしれないな。




エラは異様な学習能力と5歳児とは思えない核心的な質問に2人以上に驚いていた。


通常、基礎薬学を学ぶのに一年が必要としているのに、ニヶ月半で習得したのだ。


しかし、これはフィルが天才だからという話では無い。


基礎薬学は前世の生物学に近い学問であり、人体構造に関して言えば前世の方がより詳細であった。この世界には顕微鏡等が存在しないため、肉眼以上の実体を把握する事は不可能である。


そのため、フィルはすぐに内容をある程度理解できた。


むしろ、大変であったのが薬草等の材料の理解と暗記であった。この基礎薬学で学習する薬草の数は762種類。効用や使用法などを覚えると考えると、凄まじい情報量だ。


そのため、フィルは空いている時間のほぼ全てを薬草の理解と暗記に費やした。


こうしてフィルは基礎薬学をほぼ修了したのである。薬学の教材等はエラが所有していた。


教材の印刷方法は写本であるため、この世界で本は貴重な存在であった。



ーーー我が家には少しばかりの書物があるため、農民にしてはやはり比較的裕福なのだろう。



****************



夏の中旬、フィルが6歳を迎えたニ週間と三日が過ぎの昼頃、エラに陣痛がきた。


エラは出産経験が既にあるためなのか、騒ぎ立てずに冷静であった。


一方ロベルは慌てふためき、逆にエラが心配していた。この男は不器用で剣以外に特別何かできる訳ではない。


ロベルは直様この日の為にラウディ伯爵直轄領から呼び寄せていた薬師を家に連れてきた。


治癒魔術を行使しながら、息むエラの出産を取り行う。子が産道を通り、無事に生まれた。母子共に健康だ。



フィルはこの世界の赤子の致死率は高いと考えいたのだが、薬師や治癒術師がいるため比較的安産ばかりだと知る。



ーーー薬や治癒術があれば怪我とか病は何とかなるんだろうな。


そんなこんなで家族の一員が増えた。


産まれた女の子であった。名前はネルと名付けられ、家族全員が祝福していた。



ネルが生まれてから、あの寡黙なロベルは常日頃から顔がやけている。それを見たエラはロベルを少し揶揄いながらも、幸せを感じている。



フィルは自身の妹のネルを見て、感慨深いものがあった。この世界で初めての兄弟。同じ瞳と髪色をしている。逃げ腰で情けない自分であっても兄として命をかけて守らなければいけない存在であると感じた。


フィルはその日からネルの世話を積極的に手伝い始めた。



ダンケルは変わらず、剣の修練をしながらフィルの様子をを見ていた。


エラは産後、ネルの育児と家事、薬づくりに忙しい。そのため、自然とフィルとダンケル2人の時間が増えて仲が深まり、普段から様々な話をしていた。フィルはダンケルの話が好きだった。



若い頃に魔大陸を旅した話。



剣一つで盗賊団を壊滅させた話。



悪竜に左腕を喰われながらも、討った話。



生きた年月以上の豊富な経験と知識。歴戦の戦士を感じさせる巌の表情から見える優しさ。全てがフィルにとっては好ましく、ダンケルに懐く要素であった。



「ダンケルおじいちゃんはいつから剣を学んだの?」


「12の時じゃったかな。父から代々伝わる流派を教えを受けた。わしの剣に才覚を見出した父は厳しく育て、剣叩き込んだ。あれは苦しかったの」


「父さんとダンケルおじいちゃん、どっちが強いの?」


「無論、わしだな」


「やっぱり、そうなんだ」


「ロベルは愚直で努力を怠らないが、剣士としての才覚や魔力は並といった所だ。現在の龍陣流五段が限界であろう。わしは七段じゃ。幸いにも少しばかり才があった。まあ、戦ってばかりで左腕を失ったがの」


剣士には一段から十段、そしてその上の免許皆伝の特士が流派の最高段位だ。


段位は流派の技の修得毎に制定されているが、細かな実力を測るのは難しい。



有名な剣の流派だと、


一刃流 剣導流 総南流 獅子剣流 魔刻流


ナザビア帝国で最も使い手が多い流派の剣術は一刃流だ。


この剣は旧アルカンタラ帝国時代に生み出された剣術であり、過去にこの流派の特士は両刃型の直剣の一振りで小山を割った。



ダンケルやロベルが使う龍陣流は元々悪竜を討つために生まれ流派だ。


そのため、ダンケルの寝室の壁には『悪竜討滅』と書かれた札がデカデカと貼られている。


そんな人が祖父である事にフィルは頼もしさを感じていた。


「剣術を習いたくなったか?」


「僕はいいや、今は薬学に集中するよ」


「そうか」

そうダンケルは優しく呟いた。



日が暮れそうになり、家の煙突から少しずつ煙が出始めると、庭の木陰で話すおれ達にエラが夕飯に支度ができたと伝えられた。


2人で立ち上がり、古びた2階建の家に向かう。



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