第2話 俺の意味のないルーティーン

俺の日常はこうだ。


朝、携帯のアラームで7時に起床。

朝飯も食べずに、インスタントコーヒーを飲みながら、出かける準備をする。

トイレに行って、歯を磨いて、顔を洗って、髭を剃って、軽くスキンケアをする。

髪型を整えて、スーツに着替えて、靴下を履いて、鞄の中に必要なものをぶち込んだら、もう一度携帯画面をチェックして玄関に向かう。

玄関の扉の前の棚に置いてあるキーケースをとって、くたくたになった革靴を履いた後、昨日のうちにまとめておいたゴミを持って家を出る。

鍵を閉めて、玄関前の廊下を歩いて、階段を下りたら、入り口付近にあるごみ捨て場にごみ袋を投げ入れる。

だいたいそのタイミングで近所のばぁちゃんと顔を合わすから、軽く会釈して挨拶をすると、駅に向かって歩き出した。

駅までの距離がそこそこ長い。

俺が欠伸をしながら歩いていると、駅に近付くにつれ自分と同じようなサラリーマンたちが次々に増えていき、駅の前に着くころには中々の行列になっている。

携帯を翳してホームに入り、一面に広がる社会人たちを横目にいつもと同じ乗り口に並びながら、携帯の画面を眺める。

暇つぶしに見るWEBニュース。

ろくなニュースがやっていない。

誰かのW不倫報道なんてどうでもいいし、ネットの書き込み炎上とか興味ない。

そんなことを考えているうちに、ホームに電車が入ってきて、扉が開くとちらほら人が降りてくる。

降りきるタイミングで並んでいた列が一斉に車内へと乗り込んでいった。

俺が乗った頃には既に車内はぎゅうぎゅうだ。

俺は周りを見渡しながら、近くに女性、もしくは女子学生がいないかチェックする。

なぜなら下手に手でも降ろして、携帯をいじっていたら痴漢に間違えられることがあるからだ。

いないとわかった瞬間、再び携帯の画面へ目を戻す。

見たところで面白いニュースがあるわけでもないけど。

会社の最寄り駅に近付いてきたら、降りる準備を始める。

ここで上手く降りられないと乗り過ごすことがあるのだ。

俺は上手く下車する列の流れに乗って、ホームに降り、エスカレーターを使わずに階段で上る。

携帯を再びかざして、改札を出ると駅の前の横断歩道の前に立ち信号が変わるのを待つ。

この瞬間も俺の前には無数のサラリーマンたちが集って列が出来ていた。

そこから徒歩10分、目的の築30年以上するオフィスビルに入り、靴音を響かせながら昭和的な階段を上って、いつも通っている会社のオフィスの扉を開けた。

真横のホワイトボードの名札をひっくり返せば、ひとまず出勤。

自分の席に着いて、パソコンを起動させて、デジタル的な出勤ボタンを押したら、出勤記録が付き、人事に記録されるシステムだ。

ついでにこのボタンは30分前にならないと現れないので、朝の勝手な残業は許されない。

ひとまず出勤記録を付けた俺は、そのままオフィスを出て、再び階段を降りて1階にある自動販売機でいつも飲む缶コーヒーを選んで買った。

そのまま近くにあるベンチに座って、煙草と一緒にコーヒーを飲んでいたら、そのタイミングでお馴染みの人物に声をかけられる。


「土方、おはよ」


そう声をかけてきたのは俺の3つ上の先輩、近藤功こんどういさおさんだ。

俺は眠たそうな顔のまま、小さな声で『よっす』と言って頭を下げる。

近藤さんはそのまま俺の隣に座り、電子タバコを吸い始めた。

近藤さんは俺と同じように新選組局長、近藤勇と一文字違いの名前をしているが、容姿は彼とは全く異なっていた。

身長は165センチ前後の小柄、色白のやせ型、猫背でどう見てもインドア派だ。

45歳になっても俺と同じ平社員で、リーダー的な素質は皆無。

口癖は「どうしようか?」だった。

基本、自分で決められない性格だ。


「土方、昨日の試合見た?」


近藤さんがおもむろに聞いて来る。


「試合? 野球のですか?」

「そうそう。巨陣対坂神戦」


俺は煙草の煙を吐いて答えた。


「見てないっすねぇ。興味ないんで、野球」

「だよなぁ」


近藤さんは少しがっかりしたように呟いた。

確か近藤さんも野球どころかスポーツ観戦にさえ興味なかった気がする。


「俺もさぁ、見てないんだよ。今日もたぶん、課長からその話されんだよなぁ」


近藤さんは面倒くさそうにそう言った。

そう言うことかと俺も理解する。


「なら、ネットでチェックすればいいじゃないですか。結果ならすぐ見れますよ」


俺はそう言って、携帯をポケットから取り出してネット検索を始めた。

しかし、それでも近藤さんは興味がなさそうにしていた。


「わかってんだけどさぁ、見てもいまいちわかんないって言うか、興味湧かないって言うか、話が入り組んできたら課長の話についていけないんだよねぇ」


それはわかると俺も野球の結果の画面を見ながら思った。

どんなに調べていようが、興味のない奴は趣味で見ている人間の話にはついていけない。

それでも上司なら聞かないわけにもいかないし、相槌だけ打っているだけというのも許されない。

そこがサラリーマンの辛いところだ。

そんな話をしていると、今度は後輩の沖田総一おきたそういちが現れた。

沖田は俺たちと真逆で朝から元気よく挨拶をしてきた。


「おはようございます、近藤さん! 土方さん!」


俺は『はよ』と手を上げて挨拶する。

近藤さんも『ういっす』と言うだけだった。

そして、沖田は煙草や自動販売機にも用はないのに、近藤さんの隣に座って話しかけてくる。

こいつの場合は、まだ鞄持ったままで出勤記録つけていない。

沖田も名前が新選組一番隊隊長、沖田総司と一文字違いだが、かなりイメージが違う。

どちらかというと筋肉バカというか、元気と明るさだけが取り柄の男だ。

仕事が終わらなくても、ジムの時間になったら帰るし、基本プロテインと筋トレの話しかしない。

そんな沖田に近藤さんは俺の時と同じように話しかけた。


「沖田ぁ、お前昨日の巨陣対坂神戦の試合見た?」

「見てないっすね! その時間はダンベルプレスの時間だったんで。俺、基本、筋トレ中はテレビとか見ないんすよ!」


なぜか自信満々に答える沖田。

近藤さんも沖田に聞いただけ無駄だったという残念な顔をしている。

俺もそう思う。

俺は煙草の火を消して、そろそろ戻りましょうかと近藤さんに提案した。

このままギリギリまでここにいると、恐らく沖田がデジタル的出勤記録のボタンを押せなくなるからだ。

こいつはいつもパソコンの起動時間を考えていない。

俺たちはのそのそと再び階段を上り、事務所に戻って来た。

そして、それぞれの机に着く。


俺たち3人は『ダメンズ新選組』というあだ名がつけられていた。

近藤さんは既婚者だが、有名な恐妻家で奥さんにいつも頭が上がらないらしい。

しかも、今や奥さんは投資で成功し、収入の低い近藤さんは家に帰ると家事全般の仕事が待っているそうだ。

そして、沖田はまだ35歳だが、俺同様彼女はいない。

というか年齢=彼女いない歴の立派な素人童貞君。

女の話は出来ない癖に、やけに風俗の話には詳しい。

俺たち『ダメンズ新選組』は仲良く定年まで平社員として横並びで勤めていそうだ。


俺はひとまず席を立ち、事務所内にある給湯室に向かう。

ここには社員共用スペースでコーヒーが自由に飲めた。

俺も自分のマグカップを用意して置いてはいるが、ここのコーヒーはけちっているせいなのか缶コーヒーよりまずい。

それでもタダだからと俺は我慢して飲んでいた。

マグカップにコーヒーを注いで給湯室を出ようとすると、入り口で事務員の大村早苗おおむらさなえさんとすれ違った。

大村さんはこの会社で数少ない癒し系の女性だ。

年齢は39歳で子供もいたが、離婚をして今は独身だった。

俺は密かにこの大村さんに想いを寄せていた。


「お、大村さん、おはようございます」


俺は大村さんを見ると慌てて挨拶をする。

大村さんもいつものように笑顔で返してくれた。


「おはようございます」


彼女の笑顔に今日も俺は癒されていた。

すると彼女は俺の手を見て、あらと声をかけてくる。


「土方さん、手に中に何か……」


大村さんは俺の手のひらを覗き込むように見てきたので慌てて隠した。

忘れていた。

今朝、夢の中の女神様という女に油性ペンで落書きされたのだった。

消せなかったのでそのまま会社に来てしまったのだ。

俺は何でもないですよと誤魔化して給湯室を出た。

油性ペンで落書きをされた手を握りしめながら、クソ女神と心の中で呟く。

しかし、よく考えてみたら、あの夢で宣言されていたというのは、もしかして大村さんの事ではないだろうか。

年齢的には釣り合っているし、今は彼氏がいないとも言っていた。

俺に対する印象も悪くないようだし、アタックする価値はあるかもしれない。

これは神の啓示なのだと自分に信じ込ませて、俺は動き出すことを決意した。

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