ラピスラズリと仮面

望月ひなた

1.初夏

 その少女が魔女を訪ねてきたのは、雨のにおいが立ち込める、初夏の昼下がりだった。

 魔女は色とりどりの石を庭のテーブルに並べ、一つひとつ磨いていたところだった。

 手を止め、小さな来訪者を見やる。

 初めて見る顔ではない。この森のすぐそばにある町で、一番の金持ちだと評判の家の一人娘だ。

 おねえさんは、魔女なの?

 不安と怖れ、そしてそれ以上の好奇心が滲む声。

 それでいて、庭の門から適度な距離を取り、いざとなったら走りだせる算段も忘れてはいない。何も考えていない、年相応の子供でもなさそうだ。

 あぁ。魔女だよ。

 何となくそう言った方がいい気がして、魔女は答えた。

 どうしたら魔法が使えるの?

 そう来たか、と魔女は考えを巡らせる。

 そうだね。まずはあらゆる事に興味を持つ事だね。知識は多い方がいい。

 少女は一歩、門へと近づく。

 それから?

 動物の言葉も覚えないとね。どんな動物でもいいけど、やっぱり猫かな。

 魔女は、傍らでくつろぐ「相棒」の黒猫を撫でた。

 更に一歩。

 それから?

 空飛ぶほうきをしつらえる。

 門の鉄格子に触れながら、少女は頬を膨らませた。

 嘘つき。魔法なんてないのに。

 さくらんぼのように膨れた頬が可愛らしくて、魔女は思わず吹き出してしまった。

 ごめんごめん。でも最初のひとつは本当さ。知っていて損な事は、この世に一つとしてないからね。

 手招きをすると、少女はきいと鉄格子を開け、石畳の小道を近づいてきた。

 これはなぁに?

 少女はテーブルの上の石を、興味津々に見つめる。

 それは宝石のもとになる石さ。

 手近な石をひとつ、少女に手渡す。

 宝石って、もっと綺麗なものじゃないの?

 これを削ったり磨いたりしていく。そうすると、滑らかで綺麗に輝く宝石になるんだ。

 銀の食器と同じなのね。

 まぁそんなところだね。ほらここに穴があるだろ。覗いてごらん。

 少女は言われたとおりにする。

 怪訝そうな表情が、次の瞬間驚きに変わった。

 何が見える?

 私ぐらいの女の子。

 石を覗きながら、興奮気味に少女は答える。

 歌ってる。お母さんとお姉さんみたいな人がそれを聞いて、拍手しているわ。

 それは私の妹なんだ。あの子は歌が上手でね。故郷の国では、歌手をしているはずさ。

 違う石を少女に渡すと、覗き込んだ少女は、わぁっと歓声を上げた。

 それは、旅の一座のパレードだね。にぎやかだろ?

 少女は石に夢中で、魔女の言葉は聞こえていないようだった。

 もっとおませな子供かと思ったが、年相応の無邪気さも持ち合わせているようだ。

 魔女も久しぶりに、手近な石を覗いた。

 おとぎ話に登場するような豪奢な宮殿で、薄布を纏った女が踊っている。

 艶やかに舞う女の手には、一振りの剣がある。

 その視線は、玉座に腰かけた、王らしき男をしっかり捉えていた。

 踊りながら、徐々に距離を詰めていく女の目に一瞬、手元の剣より鋭い光が宿る。

 次の瞬間、剣の切っ先が王の腹に突き立てられる。

 一瞬の間。

 王が床に伏すと、凍り付いていた家臣たちが、武器を手に女に殺到した。

 昔読んだ、物語の一場面だ。

 魔法なんてないのに、どうしてみんなはあなたを魔女っていうの?

 パレードを見終わっていた少女は、妙にかしこまった様子で尋ねてくる。

 訳の分からない事をしている女は、みんな魔女って呼ばれるんだよ。

 納得がいかないのか、少女は更に畳みかけてくる。

 でも、これって魔法じゃないの?

 魔法っていうのは、炎を出したり、空を飛んだり、動物に変身したりするものだろ?でもそうだね・・・これは、私だけの個人的な魔法かもしれないね。

 少女は困ったような顔をしていたが、また別の石を覗きだした。

 お茶でも淹れようかと、魔女は台所へ向かう。

 やかんを火にかけている時間は、色々な事を考えるのに適していた。

 どうしたら魔法が使えるの?

 かつて同じことを言った少女がいた。

 少女にとって最初の師は、ありとあらゆる物語だった。

 胸の躍る物語には、必ず魔法や、不思議な力が登場した。

 杖を持って、呪文を唱えてみたが、魔法が発動した事はなかった。

 だが、この世界に魔法がないと分かった後も、少女は物語の探求を止めなかった。

 二番目の師は、少女の父親だった。

 父親は無口で、笑ったところなど見たことがなかったし、おまけに大酒のみで、酔うとすぐに妻や子供たちを殴りつけた。

 その上娘たちは、夜ごと部屋を訪れる父親から、思い出すのもおぞましい数々の行為を、受け入れなければならなかった。

 だが、そんな父親の手からは、世にも美しく、繊細な宝飾品が生み出された。

 その品質は、少女の故郷の国で一番と評され、高値で売買された。

 成長するにつれて、あの汚らわしい手で触られる石が可哀そうだと、本気で思うようになった。

 だからこそ少女は、父親に頭を下げて、その技術に関する教えをこうた。

 父親は二つ返事で了承し、娘にその技術を、知識を教え込んだ。

 過ごす時間が増えれば、おぞましい行為に晒される時間も増える。

 それでも少女は耐えた。握った石に、思い描いた記憶を複写できると気づいたのも、この時期だった。

 やがて一人前の職人と認められた少女は、手になじんだ道具だけを持って、故郷を出奔した。

 いつしか少女は、魔女と呼ばれるようになっていた。

 旅から旅を重ねた末、原石が豊富に採れるこの国に家を構えたのだった。

 あの少女は、その後たびたび訪ねてくるようになった。

 魔女は少女と一緒に、庭で育てた花や薬草を摘んだり、果物の砂糖漬けを作ったりした。

 仕事中は邪魔をすることなく、その間に床を磨いたり、汚れた台所を片づけたり、ベッドを整えてくれたりした。

 家でどんなことを教えられているのか聞くと、いいオヨメサンになるには、家の事ができないと駄目だといわれ、色々と仕込まれているらしい。

 確かにこれだけできれば、結婚相手は引く手あまただろうなと、ぴかぴかの床を眺めながら、魔女は思った。

 それから二人は、一緒にお茶を飲んだ。お茶請けは、今まで読んできた物語や、旅の話だ。

 少女は目を輝かせて、それらに耳を傾けた。

 魔女は自分の仕事場も少女に見せた。

 アメジスト、ガーネット、ラピスラズリ、サファイア。

 道端の石のような原石が、宝石になっていく過程も見せた。

 石の名前、そして石とともに語られる物語や伝承を、少女はすぐに覚えた。

 夏の盛りを、二人はそうして過ごした。

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