第12話 個人名が出てきた時は大体後々現れる
豪華な夕食の後、藤原は「次は卓球をしよう」と提案してきた。
「どんだけ遊ぶんだ」
「全力全開で遊ぶぞ」
金持ちが全力で遊ぶとこうなるのか。いや、藤原だけかもしれないけど。
しかし昼のバレーによって体力が残っておらず、ほとんど参加することはなかった。
「確かに、無理をさせてしまったか」
「そりゃそうだろ」
来たのは俺と時雨先輩と藤原だけだった。如月は体力を残していたがやはり勉強を優先するようだった。流石に、これまで引き留めるのは心苦しいのでやめた。
「昼のは少し危険だったかもね。特に天城と夢咲。二人共、藤原君のことで頭一杯になってたよ」
「反省している。……俺も考えないといけない時が来たのかもな」
全く、東雲の二股には積極的な癖に自分のことはほったらかしとか馬鹿だろ。案外、こうして一緒にいると藤原も人間なんだな。 ずっと完璧だと思ってたけど、そうじゃない。勝手に俺がそう思い込んでるだけだった。
「そうだぞ。東雲にはああさせておいて自分はなしか」
「聞いていたのか。……俺は今のところ一人しか幸せにするつもりはない。今はそれが限界なんだ」
なんだよ、考えていたのか。そうなってくると会長も夢咲も、そして小田原も違うみたいだな。
「そう、なのか。ちなみにそれって俺も知っている人か?」
「ああ。もちろん」
「名前は」
「それは言えない」
なんだよ、それ。ここまで言っておいて黙秘かよ。
「ぷっ、くすくす」
突然、先輩が笑い出す。何がおかしいのだろうか。
「先輩?」
「ふふ……いや、ごめん。そりゃ言えるわけないなって。変な誤解も生みそうだし」
「先輩は知ってるんすね」
「ええ、まあ。でも私からも言えない。いつか分かる時がくるからそれまで待ってあげて」
「は、はあ」
時間が経てば分かることなのか。まあ、正直藤原の色恋沙汰を聞いたところで俺の人生に何の関わりにもならなさそうだから深く考えるのはやめておくか。
「さて、立ち話もなんだし卓球をやろうか」
「うわ、無理矢理話切り上げやがった。ま、いいけどよ」
「そうそう、折角来たんだから楽しもうよ」
「う、うっす」
「人も少ないしシングルワンゲーム制で勝ち抜けでやろうか」
シンプルに十一点先取のみになった。分かりやすい。
「オッケー」
と快諾したは良いものの、藤原の圧倒的な卓球力に翻弄され、俺はなす術もなく負けた。先輩にもそれが当たり前かのように負けた。それを二回繰り返す。
「良いな〜連続で出来て」
「惨めになるわ!」
皮肉にしか聞こえんが?
「冗談冗談。まさか君がそんなに下手だとは」
「そりゃ遊びのつもりで来てるんだからっすよ。別に上手くないし。こんな手加減なしとは思わなかったっすよ」
「言っただろ? 全力全開で遊ぶと」
「お前の全力全開は世界ランク一位を超えているんだよ‼︎」
比喩なしで世界ランキング一位と戦ったら勝てるだろ。
「ははは、良いじゃないか。楽しいだろ」
「そりゃ勝つ方はな!」
ツッコミしすぎて息切れしてしまった。
「じゃあさ、勝つ為にコツとか教えてあげようか?」
「え?」
後ろから先輩が抱きついてきた。何で、何で⁉︎
「こうやってラケットをーー」
話が全然聞こえてこない。背中に柔らかいものが当たっている。この柔らかさ、もしかしての、ノーブラ⁉︎ 部屋着だからって無防備すぎないか⁉︎
「ちょ、先輩、当たってますって」
「んー? そりゃ当たるよね」
「いやいやいやいや! てか藤原もニコニコ笑ってねえで何か言え!」
「幸せそうで何よりだ」
「アホかーッ‼︎」
まさか、事実上振った相手がこんな行動をしてくるとは思わなかったぞ。くそ、折角如月への想いを高めた後だってのにこんなのされたら揺らぐだろ。でも、俺はそんな低俗な男にはなりたくねえ!
思い出せ今日の如月のあの感触を!
うおおおおおおお‼︎
「ちょ、鼻血出てるって」
「大丈夫か⁉︎」
やべえ、考えすぎてパンクしたっぽい。
俺はそのまま意識を失ってしまった。
「起きたか」
目を覚ますとゲストハウスの俺の部屋にいた。藤原が椅子に座っていて、リンゴの皮を剥いている。
「あれ、俺気絶したのか……」
「少々、刺激が強すぎたか?」
どちらかというと如月のアレを思い出そうとしてオーバーフローしただけだと思う。
「いや……というかそのりんごは?」
「ほら、食べろ」
口元にカットしたりんごを近づけてくる。
「あーん、じゃねえよ‼︎ 俺病人じゃないが⁉︎」
漫才やってる場合じゃねえ‼︎
「そうか、なら俺が貰おう」
そのままりんごは藤原の口に入っていった。
どうせ看病してくれるなら女子が良かったのにな。あーあ、俺ってやっぱそういう存在にはなれねえんだな。
「ああ、分かった。男だから嫌なんだな?」
言った直後、目の前で性転換を見せられる。
「ほら、これなら良いだろう?」
確かに女子だけど、そうじゃない。というか心を見透かされている?
「んよぐないッ‼︎」
元々薄着だったからか目のやり場に困る。いくらこいつが男と女を好き勝手に行き来できる存在とはいえ女の姿をされるとそりゃドキドキするってもんだ。
やめろやめろ。俺はそんなの望んでいねえんだよ。
「そうか。これでもダメか」
「つーか、何でお前ここに居てくれてんだよ。遊ぶんじゃなかったのか」
「それは……健太がいないとつまらないだろう」
「へ、そう、なのか?」
「私としては皆に楽しんでほしい。その為に全力を尽くす。特に、健太にはな」
りんごを無理矢理口に押し付けられる。
「シャクッ……し、仕方ねえな。全く……」
齧ると残りは藤原の口に放り込まれる。ちょ、その姿でそれはまじでやめろ。いや、男でも嫌だからな? あーもうめんどくせぇ! 藤原まじで面倒くせぇ!
「さて、悪ふざけが過ぎたようだ。私はこれで失礼するよ」
「お前……まじで弄びやがって……」
これも全力全開で遊ぶ内の一つなのかもしれない。何にせよ藤原の行動は俺には理解できない。それだけは分かる。
藤原が出ていった後、如月が入ってきた。
「倒れたって聞いたけど大丈夫?」
「え、あ、ああ。大丈夫だよ。というか勉強しなくて良いのか」
「一区切り付いたから少し様子見しようと思って」
一区切り付いたところで見にくるような人ではなかったはずだ。だから、何というか、嬉しい。
「……それにしても高橋って結構な頻度で倒れるよね」
確かに、今年になってから何度かこうして誰かに看てもらっている。
「面目ない」
「私に謝られても。でも、平気そうなら良かった」
如月が立ち上がる。出ていくのか。
「如月」
「何?」
「あ……えっと、勉強しながらで良いからもう少しここにいてくれないか」
「……分かった。取りに行ってくるからちょっと待ってて」
正直に言って今如月に出ていかれると寂しいと感じてしまった。
恋というのは時に人を強くし、時に人を弱くさせてしまう。本当に、厄介なものだな。
彼女は部屋を出るとすぐに戻ってきた。めちゃくちゃ早い。部屋結構近いのかな。てっきり男女別だと思っていた。
「でも、どうしてここにいてほしいなんて言ったの」
「っ……」
お前が好きだからここにいてほしいなんて口が裂けても言えるか。
「え、えっとだな。何というか……あ、安心すんだよ。如月がいるといつものって感じがして」
何言ってんだ俺はー‼︎
いくらなんでキモすぎる。これは出ていかれても仕方がない。
「……そ。なら、もう少しいるから」
「え……」
「……? 何? その反応は?」
「いや、別に……ありがとな」
どう考えても余程鈍感でない限り俺の好意はバレバレだ。彼女が鈍感だとは思えない。だからきっと分かっている。それでも、いてくれているということは彼女は本当に良い人だよな。申し訳ない気持ちになってきた。
「うん。ところで昼のことなんだけど」
「バレー?」
「うん……そのアレのことなんだけど」
アレってどれを指しているのだろう。
「わすーー」
「おーい! 健太! デカ風呂最高だったぜ! お前も入ってこ……いや、すまん。邪魔したな。ごゆっくり」
扉を勢い良く開け、突撃してきた颯人だったが、俺と如月が二人きりだった為空気を読んで出ていった。いや、初手あんなんされたらさっきまでの空気吹き飛ぶって。
「えっと、何だっけ」
「……何でもない。それよりお風呂の時間だね。どうする?」
「あー……まあ別に鼻血ちょっと出たくらいだしもう大丈夫だろ。なんか、ごめん」
「……良いけど。じゃあ、また明日。私もお風呂入ってくる」
そう言って如月は出ていってしまった。
さっき言いかけたアレのことだけど、消去法で考えれば抱きついたことしか思い浮かばない。そして「わす」までは聞こえた気がする。そこから割り出せるのは忘れろってことだよな。そりゃ冷静になれば恥ずかしいことだし忘れて欲しいだろうな。けど、俺は忘れたくないよ。俺からすれば大切な思い出だから。
って気色悪いこと考えているな。やっぱり忘れた方がいいか。
「バカなこと考えてないで俺も入ろう」
財閥のお風呂、きっと想像を超えてくる豪華なところなんだろうな。
一応、ゲストハウスにも一部屋一部屋シャワーが備え付けてあるがやはりここは大浴場に行きたい。準備して向かうことにした。
大浴場はゲストハウスから少し離れた建物にあった。温泉に入りにきた気分だ。と思ったら看板に天然温泉って書いてあった。ぜ、贅沢だな。これも無料なのか。
中に入ると通路の案内があり、そこには男湯と女湯に分かれているようだ。完全に来客向けの造りとなっている。
ここでラブコメ脳の俺は実は男湯女湯逆の表示でしたとか、清掃で男女交代しましたとか、そういうラッキースケベ案件があるよなあと妄想に耽るものの、俺にはそういうのがないから結局期待しても意味がない。これまでもそうだっただろ。
フィクションならここで視点が変わって俺達読者側はキャッキャウフフなあれこれを見られるわけだが、現実の俺視点は何も得られることはない。くそ、本当ならそういうのは見たい。
ただ覗きなんて俺にはそんな度胸はない。というか普通に犯罪なのでしたくない。この閉鎖された島でそんなことしたら村八分レベルで追いやられるだろう。なので俺はしない。分かったね?
男湯の暖簾をくぐり、脱衣所に入る。ほらな、やっぱり誰もいない。俺にはそういうのは……って如月⁉︎
脱衣所の構造的に丁度影になる位置で脱いでいたであろう如月がそこにいた。
あれ、俺間違いなく男湯の暖簾潜ったよな。男女逆でしたとかそういうオチじゃないよな。
やばいやばいやばい。まだ向こうには気付かれていない。ここは一旦退避しよう。
それにしても如月って顔だけじゃなくて体のスタイルも良い。これはバレーの時からも思っていたことだけど。
ってんなこと考えている場合か‼︎ 早く外にーー。
「あぃだッ⁉︎」
誰かがまともに体を拭かずに脱衣所まで来たのか、水たまりができていてそれに滑って転んでしまった。
「えっ⁉︎」
まずい如月がこっちに来る。
「な、なんで高橋がここに」
流石の如月も顔を真っ赤にしている。タオルで隠してはいるもののその一枚先には生まれたままの姿をした如月がそこにいる。
「こ、ここここここぉ男湯ぢゃょッ⁉︎」
気が動転しすぎて噛みまくる。ラッキースケベとかそんなんじゃない。終わった。如月からの好感度最悪だよこれじゃ。
頼む、男湯であってくれ。そしたらまだ希望はあるから。
「嘘……」
如月はそのまま外に出る。向こうもかなり焦っているな。その格好で外に出るとか。
「……っっっ」
戻ってきた如月は唇を噛み、口角を下げて震えていた。
「ご……ごめん……ちゃんと見てなかった。こんな構造になっているなんて」
やっぱりここ男湯で合っていたのか。
「い、いやわざわざ男女別で分けている家の風呂なんてないからし、仕方ないよ。そ、それより一旦服着よ?」
正直嬉しいけど目のやり場に困る。
「っっっ----‼︎」
そそくさとロッカーから服を取り出し着替え始めた。
「お、俺誰か入ってこないように見張ってるから……」
「……うん」
あっぶねー! 心臓止まるかと思った。
外に出るとやはり男と書かれた暖簾がある。多分如月の発言からして本当に分かっていなかったんだろうな。そら何も考えずに入ったら自然とこっちにくるような構造になっているし。普通、一家に風呂は一つしかない。財閥の規模が大きすぎて感覚が狂ってしまっているだけだ。
それはそれとして如月の裸を見てしまったのは嬉しい反面悪かったという気持ちがある。不可抗力とはいえ、な。
「見張っててくれてありがと……」
着替えた如月が後ろから声をかけてくる。
「い、いや……ごめん……」
「……私のミスだから謝らないで。それに……」
「?」
「やっぱり、なし。とにかく忘れて」
「あ、ああ」
忘れるべきなんだろうけど脳裏に焼き付けられてしまったから忘れるに忘れられないぞ。
「じゃ、向こう入ってくる」
とぼとぼと女湯の方へ彼女は行った。ある意味、見てしまったのが俺で良かったのかもしれない。と、そう思うのはエゴからなのだろう。これは多分、他の男に如月の裸を見られたくないという気持ちからくるものだ。だから多分エゴ。
多分藤原なら上手く立ち回っているんだろうなと考えてしまう。あいつ女になれるしな。はあ、いつもあいつと比べてしまう。
「さっさと入って何もかも丸ごと洗い流そう」
浴場に入ると入浴まで綺麗な動線が出来ている。無駄に広いというわけではなく、体を洗ってすぐに入れる。温泉施設のようにいくつか温泉の種類があるが、一番シンプルなお湯だけのものは目の前にあった。
サウナ、水風呂も完備されている。どうやらセルフロウリュも可能みたいでサウナーにも嬉しい造りのようだ。俺はサウナには入らないのでその辺はよく分かっていない。
「気持ち良い……」
髪と体をよく洗った後、一つ目の湯船に浸かる。程よい温度で心地が良い。
……こんな一般男子高校生の温泉の感想なんて需要がないのでさっさと次へ行こう。
いくつか回った後、また一番最初に戻ってきた。やはり俺はシンプルなのが良いな。若いからなのか?
などと目を瞑りながら考えていると扉が開く音が聞こえる。
「お、入ってるな」
声からして藤原だろうか。少し声が高い気がするけど、湯が気持ちよくてどうでも良いや。
「ああ、ゆっくり浸かってるよ」
そのまま藤原は体を洗いに行ったみたいだ。音が聞こえる。
だんだん眠くなってきた。これはいけないな。
「隣失礼するぞ」
「ああ……」
これ以上ウトウトするとまずいな。頭をぶんぶんと振り回して目を開ける。
「眠いのか?」
「気持ち良すぎて寝そうだった。いやあ良い湯だなーー」
ふと藤原の方を見たらでっかい二つのアレがある。
「ぶーーーーッ⁉︎」
「どうした?」
「ちょ、おま、おま……」
「ん? ああ、そういえばさっきこの状態になってからそのままだった」
絶対わざとだろ! なあ、わざとだろ⁉︎
本当俺の事を弄びやがって……。
「触ってみるか?」
「バカいえ‼︎ 早く男に戻れ‼︎」
「冗談だ。戻るよ」
そうして彼は筋肉モリモリマッチョマンに変態する。
それにしてもこの恵まれた体、羨ましい。これまでちゃんと見ていなかったが百九十は優に超えている身長、腹筋はバキバキ。丸太のような太い腕、脚。こんな高校二年生他にいるだろうか、いやいない。
「改めて目の前でその形態変化? を見せられると変な気分になる」
服越しじゃないから尚更だ。
「そこは仕方ない。見慣れろという方が無理な話だ」
もはや人智を超えているんだよ。
「だよな。……良し、長風呂しすぎたから出る」
「ああ。今日は疲れただろう。また明日」
初日からめちゃくちゃ濃厚な一日を過ごせましたよ。
風呂から出るとビン入りの牛乳がある。最高だ。思わず腰に手を当てて飲み始める。
「やっぱりそういう飲み方になるんだ」
「如月……」
飲み切り、声のする方へ向くと出てきた彼女がいた。丁度同じタイミングだったか。
「そりゃ、こういう飲み方したくなるもんだよ人類は」
「どうなのかな……ところで、もう忘れたよね?」
「えっ……ああ、正直それどころじゃなくてすっかり」
藤原のあれを見せられたせいで完全に頭から離れていた。ある意味ショック療法(?)だ。
「それどころじゃないって……何?」
彼女は右腕を摘んできた。
「いたっ⁉︎」
今の台詞不味かったか? 忘れたんだから良いだろ。
「む、むしろ言われたから思い出した」
「っーー‼︎」
彼女はまた赤くなった。なんか今日色んな表情が見られるんだけど、明日は大荒れか? 嬉しいんだけどさ。
「如月ってそういう顔もするんだよな。なんかずっと無表情だったから」
「べ、別に私機械じゃないから」
表情見せてくれる方が良い。そっちの方が可愛くて好きだよ。
「そっちの方が可愛くて好きだよ」
「⁉︎」
やっべ、思ったことまんま声に出てしまった。
「や、違う! これはだな」
なんで否定すんだよ俺! ばか!
「と、とにかくもっと表情見せてくれたら嬉しいってことだよ。いつもつまんなそうにしてたから。そうやって見せてくれると嬉しいというかなんというか……あーもう全然考えがまとまらない」
何度も同じことを言っているような気がする。
「……そ、そう。……もう少し努力してみる」
意外と悪い気はしなかったのか、彼女は少しだけ口角が上がった。
その後少し沈黙が訪れる。話をどう振れば良いのか分からなくなった。
「もう、行くね。明日は勉強に戻るからそっちに行けないけど……また何か特別なことがあったら……その時は」
彼女の中で何か変わったのだろうか。前ならこんなこと言わないはずなのに。
「もちろん、呼びにいくよ」
「よろしく」
ただ口角を上げるわけじゃなく、自然な笑顔を拝むことができた。
その後、俺は部屋に戻り寝ることにした。今日は疲れた。夢のような一日だったな。これがあと半月近くあるのか? これまでの十六年間が何だったのだと言わんばかりの濃厚さだ。これをあと半月で得られると人生でもうこれ以上の体験は得られないのではないかと却って不安になってしまう。
夜はネガティブになってしまう。早く寝よう。
翌日。朝食を摂る為に用意されている広間に向かった。
「えぇぇぇぇぇッ⁉︎ SAIKA一時休止⁉︎」
廊下を歩いていると広間から夢咲の大声が飛んできた。なんだなんだと見に行くとギャルズがテレビを見ている。
「叫んでたけど大丈夫か?」
広間に入り、三人に確認をする。
「大丈夫なわけないよ! あのSAIKAが!」
「は……? さいか……?」
「え、もしかして知らないの」
全くもって知らない。さいかってなんだろう。聞き慣れない言葉だと本当にそれが「さいか」なのか合っているのかすら分からない。
「悪い、何の話だ」
「まじか……えっと、SAIKAってのはサヤ、イツキ、カナの三人のアイドルグループでこの一年で一気にドームライブまで駆け抜けた期待の新星で武道館まで秒読みと言われてるの!」
すごい早口な説明口調で言われた。夢咲ってアイドルオタなのか? いや、単に流行を取り入れる為に情報を仕入れているだけなのか。どちらにせよ俺は知らないアイドルグループだった。元々、あまり興味もない。
「てか、カラオケん時あたし歌ったじゃん!」
「あれ、そうだったっけ」
あの時夢咲つまんなさそうにしてたからそっちに気がいってしまっていたな。そうか、あの時歌っていたのがさいかの曲だったんだな。
「そうだよ‼︎」
「まあ、要するにそんな凄いアイドルが休止ってことか」
「そう! 学業に専念するってテレビでは言ってたけど本当なのかなって感じ。同学年だしあたしの憧れだったから凄いショックで」
夢咲からすれば憧れの存在か。カリスマギャルも大変なんだな。
「そっか……お気持ちは察するよ」
「ありがと……」
「あかりんめっちゃSAIKA好きだからあたしらで慰めなきゃね」
「そうそう、特にセンターのサヤがね」
「どの子?」
「これ!」
スマホの画面を見せつけられる。宣材写真かこれ。栗色の髪で笑顔が輝く女の子が写っている。これがサヤという子か。確かにアイドルらしい小顔だ。男受けしがちだと思ったけど、女の子にも受けるものなんだな。
「休止前のライブ絶対行かなきゃ死んでも死にきれないよ」
随分と大袈裟だな。
「さ、再開するかもしれないだろ」
「昔誰かが言ってたでしょ。推しは推せる時に推せって。再開が確約されてるわけじゃないんだから!」
「た、確かに……その最後のライブってのはいつなんだ?」
「八月二十七、二十八日。九月から高校に行くみたい」
随分とハードスケジュールだな。活動休止した後そんな早くに学校復帰とか出来るのだろうか。
「なるほど。じゃあ、当選するように祈ってる」
「うん!」
なんか、いつもと違う夢咲が見れて新鮮だ。ここ最近藤原にべったりだし俺には塩対応だったから尚更。昨日のバレーの疲れもどこへ行ったのやら。推しから得られるエネルギーというのはそういうものなのかもしれない。
ギャルズとの会話が終わり、朝食を食べることにした。今日は和食形式らしい。今の時代朝食といえば何? と言われても答える人によってまちまちになる。一分一秒を争う忙しい朝に朝食を作る暇などない現代人からすればこの目の前に広がる焼き鮭、豆腐の味噌汁、ほうれん草のおひたし、卵焼きは早々すぐには作れない。普段作っている側の俺だから良く分かる。色んな時短方法は出てきてはいるものの、ここまで丁寧に作るのは大変だ。
それから追加でバイキング形式になっており、味噌汁を始めとした様々なおかずが食べられるみたいだ。もちろんご飯もおかわり自由。
一先ず用意されたものを食べ、ご飯のおかわりと何かいいおかずがないか探しにいくと今日のシェフと書かれたポップを見つける。そこにはなんと藤原の父親の写真と名前が書かれていた。
「っっっっっ‼︎」
思わずツッコミをしたくなる勢いだがここで一人暴走すると周りから白い目で見られてしまうので堪える。
この島に今いないんじゃなかったのか。わざわざこれ作る為にここにきたのか。分からん。とにかく今言えることはこんな美味い朝食を作ってくれてありがとう、だ。
「兄さんもおかわり?」
郁も何か取りに来たようだ。
「おう。見ろよ郁。これ作ったの藤原の父親だぞ」
「えぇ、今いないんじゃ」
「やっぱりこの一家良い意味でおかしいよ」
一人暮らししている藤原に弁当を夫婦で交代交代で作っていると聞いていたし、もしかしたらこれは彼らからすれば日常なのかもしれない。何度も言っているが、何もかも俺からすれば規格外だ。もはや次の規格外は何だろうかと気になってしまうところまである。
「暇なのかな」
「それはないと思うぞ。そういえば郁、今日も勉強か?」
「そうだね。昨日は思わず大会に出ちゃったけど今日はそのつもり。如月さんも来るのかな」
「みたいだぞ。昨日言ってた」
「そうなんだ。あの人頭良いから助かるんだよね。……あの時の匂いってやっぱり……」
後半、ボソボソと妹が呟いている。
「何か言ったか?」
「い、いや特に。さっさと食べて行くね」
「そうか、ま、頑張れよ」
妹は味噌汁のおかわりだけして俺から去っていった。俺も結局、話しているうちにお腹が膨れてきて少しだけしかご飯のおかわりをしなかった。あと唐揚げが冷えていたが美味かった。
「で、今日は何するんだ?」
朝食後、遊ぶメンバーが集まっている。なお、颯人と九十九はいつも通り気ままに出掛けているし東雲と灯凛、光彩はいない。このリア充共め。
「基本は自由だ。夕食後集まって欲しい」
「夜のイベントか〜花火とか?」
夢咲が目にキラキラと星が入ったかのようにテンション上がっている。花火好きなんだな。いや、嫌いな方が少ないか。
「花火は気が早くないか?」
「確かに! 八月のイメージだね」
実際のところ七月にも花火大会はあるが八月が多い。ラブコメ脳としては八月後半でのイベントのイメージだ。
「夏の夜といえば肝試しであろう」
会長が腕を組みながらいつもの調子で話す。
「き、肝試しとかやめようよ……」
「おやおや、夢咲は肝試しは嫌かね」
怖いの苦手なんだな。一応、覚えておくか。
「完備されている島なんだから出ないだろ」
「そうとは限らんぞ?」
ヌッと会長の後ろに現れた藤原が肩に手を置く。
「ひぎゃぁぁぁあああッ⁉︎」
「うわぁぁぁぁぁっ⁉︎」
突然の事に驚いた会長の様子に夢咲も驚いている。会長はともかく夢咲もああいうリアクションするんだ。
「お姉ちゃんんんぅぅぅ」
時雨先輩に抱きついて泣いてしまっている。
「ほらほら、泣いてしまったよ」
「すまん、得意そうだと思っていたのでな」
いや、どう考えてもそうなるオチは見えていただろ。
「つーか片瀬と小田原は?」
「準備中だ」
「準備? さっきの話からするにやっぱり肝試しなのか」
「そうだな。プレゼンツバイ生徒会ということだ」
「なるほどね」
肝試しの主催が生徒会とか中々聞いたことない。折角だし楽しそうだし参加してみよう。
問題はそれまでの時間をどう過ごすか、だな。色々誘惑があるが、ここは宿題をさっさと終わらせた方が良いかもしれない。後に残しておくと終わらせられるかどうかの不安で夏休みを楽しめなくなってしまうからな。
「あ、俺ちょっと用事思い出したから昼はパスにする」
「分かった。また夜に会おう」
その後は如月と郁と合流し、宿題に勤しんだ。二人は突然やってきた俺に対して不思議そうに見ていたが、黙々と宿題に取り組む俺を見て、負けていられないと机に向かっていた。
ーーそして夜が訪れる。
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