竜の秘宝は本が持てない 〜ゼロから始める神獣セラピスト業〜

朝夜 千喜

加護なき土地の花嫁




「お前が歌に聞く、南西の村の『竜の秘宝』か?」


 他人に命令を下すのに慣れた威圧的な声が、黄色い石壁の広間に響く。

 広間の中心を縦断するように白く抜かれた歩行路の先には声の主が座し、城に仕える戦士たちが十数人、路を挟むようにして控えている。

 路の中間にひざまずいたレイのつむじには、四方八方から痛いほどの視線が突き刺さっていた。


 歌に聞くって言っても、さすがにあなたほど有名じゃないと思うけど。


 ひっそりと心の中で思いながら、礼儀正しく頭を垂れたまま「はい」と答えた。顔の横に降り落ちたベールが呼気に揺れる。


「レイ・ドゥーベルトと申します、ジュード第一王子殿下。この度、王命によりこちらへ参じまし、」

「ふん」


 レイが言い終わらないうちに、ジュードは一段高い上座に置かれた椅子からおもむろに立ち上がった。かと思えばそのままゴツゴツと重たい音を立てて、白い路を一直線にレイのほうへ近づいてくるではないか。

 歩きながら、腰から下がった重たげな剣をジュードが抜く。砂漠の強い陽射しに、ぎらりと光る両刀の剣を見て、首の後ろが一気に総毛立った。


 嘘でしょ、どうしていきなり剣を抜いて近づいてくるのよ! ていうか待って、まさか、これ……斬ろうとしてない?

 そんなことある? だって、私、──仮にも花嫁なのに!?


 絶対に無いとは言い切れない嫌な想像に心臓が早鐘を打ち、呼吸が浅くなる。


「お、恐れながら殿下、それ以上は近寄られないほうが、」

「ここは俺の城だ。俺の自由にする」

「そ、れはもちろん、そうですけど、でも……っ!」


 逃げ出すわけにもいかず動けずにいると、パリ、床についた己の右膝からかすかな稲妻が走った。その閃光は瞬く間にレイの全身を覆い、獲物が射程圏内に入るのを今か今かと待ちわびている。


 マズイ……!


「っ殿下、お下がりください! 殿下、でん、」


 制止を無視して近づいてきたジュードの革の靴先が、レイの視界に入った──その時。

 剣を握る彼の右手を、レイの全身を駆け抜けた稲妻が捉えた。

 ──バチン!! 大きな音を立てて閃光が弾け、両刀の剣を吹き飛ばす。剣はくるくると縦に回転し、歩行路に音を立てて突き刺さった。近くにいた戦士が叫びながら身を引く。

 一方のレイは、久しく味わっていなかった衝撃で後ろにひっくり返ってしまった。地面に打ち付けた尾てい骨から、痺れと痛みが背骨を突き抜ける。こんなことが絶対ないように、と気をつけて暮らしてきたから、うっかり大ダメージを食らってしまった。


「いったあ……! う、うう……し、失礼を」


 悶絶しながらなんとか起き上がり、顔を上げる。レイの目の前にはまだジュードが立っていた。

 ジュードは電撃を浴びてかすかに震える空の右手をじっと見て、それからレイに視線を移した。

 広間に入ってからずっと顔を伏せていたレイは、そこで初めてまともに、かの有名な王子の尊顔を目にした。


 ──彼は、壮絶なまでに美しかった。


 背が高く、鍛え抜かれた身体は上等な絹に包まれてなお、一枚の岩のごとく。窓から差し込む灼熱の太陽が、彼の高く隆起した鼻筋にぶつかって濃い影を落とす様には独特の凄みがあり、戦士の証として後ろで編まれた辰砂色の髪は炎にも似ている。まさしく苛烈そのもの。なのに佇まいには気品が漂い、二十五の若さでありながら、すでに王者の風格に充ち満ちていた。

 中でも、その眼差しといったら。

 凍土に埋まった琥珀のような色合いの瞳は、研ぎに研がれた宝剣めいた鋭さで、強くレイを射抜いている。

 あまりの美しさと強さに気圧され、レイは言葉を失った。

 ジュードが彫刻のごとき口を開く。


「……まるでイバラの棘だな、花嫁殿」


 鼓膜を打つ低音に、心臓がまた鼓動を早める。

 レイは再び全身を駆け抜け始めた雷気を収めるために、ごくりと唾を飲むより他になかった。

 これが、私の夫……ジュード・ドラクル三世。

 この国──ドラクルを統治する竜族の末裔。そして、この世で最も冷酷で恐ろしい、──乱心の王子と呼ばれる男である。

 

 

 レイ・ドゥーベルトは本来、王子の妻になるような身分ではなかった。

 竜族以外にやんごとない身分のないドラクルでは、王子は歴代の姫が降嫁した家や、臣籍降下した家、そのほか竜王軍上層部や、竜王宮に勤める優秀な文官の娘を娶るのが習わしだ。

 一方、レイは世界の始まりとされる四の神獣の内の一である、始祖竜と交わった竜の一族が支配するドラクル王国の中でも、庶民も庶民のど真ん中。南西の小さな村・クフーラ出身の、ただの村娘だ。

 富はなく、美しく聡明だった母もすでになく、村で牛飼いを営む勤勉で実直な父と、幼い妹たちと暮らしてきた。

 出自だけ見れば、せいぜいが村の誰かの息子、良くても、近くの村の豪農ないし豪商の妻が関の山。今は幼い妹たち二人は、おそらくそのようなところに収まるはずだった。

 なら、王子に見初められるほど美しいのか、と言えば、生憎そうでもなかった。二目と見れないとは言わないが、平凡の域を出ず、母譲りとは胸を張って言えない。唯一の自慢はゆるくウェーブした腰まで届く栗色の髪だが、始祖竜の血を受け継ぐ見目麗しい竜族の王子からすれば、さほど心惹かれるものでもないだろう。

 ついでに言えば、国に轟く才気があるわけでもない。

 ではなぜ、こんな稀有な出来事──いや、災厄と言ってもいいかもしれない──が、その身に降りかかることになったのか。

 それはひとえに、彼女が生まれつき背負った不運が理由だった。

 

『竜の秘宝に手を出す奴には、雷が落ちる』


 ドラクルに伝わる古い言い伝えだ。

 竜の秘宝、とは、この国に生まれる娘たちのことを指す。ドラクルの娘は竜の秘宝、生まれついての宝物……娘たちはそういう子守唄で育つのだ。

 そしてそれは、単なる比喩ではない。

 ドラクルに生まれる娘は皆、『雷気』と呼ばれる電気を帯びて生まれるのだ。

 強い恐怖や悪意を感じたり、身の危険にさらされると、無意識のうちに身体全体がバチバチ弾けて、事象の排除に動く──言わば、あらゆる敵から身を守る自己防衛の反射神経の一つとされている。特に心を許していない男性へは強く反応するため、『貞潔の雷』とも呼ばれた。

 天候を操る竜を守護神に持った国に生まれる、娘たちの宿命である。

 だから彼女たちとお近づきになるためには、文字通り、死ぬ覚悟が必要だった。

 ただ、それも遥か昔の話だ。

 今では、雷気を帯びる、と言っても、せいぜいが生まれ落ちた時に発現する程度。それもパチパチとした静電気くらいのものだ。よしんばそれで収まらなかったとしても、時間経過とともに雷気は鳴りを潜めていき、五歳ほどを過ぎれば、娘はただの人になる。それが最近の実情だ。

 

 ──この国でただ一人、レイ・ドゥーベルトを除いては。

 

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