第4話 水面下で蠢く危機

 落ち葉の色づく遊歩道を、羽澄俊は散策した。陽は高く、気温は暖か。たまに微風が吹くと、紅葉はハラリハラリと、滞空しつつ落下した。まるで、羽澄の眼前で踊りを披露するかのように。



「ここは、平和なんだろうな。きっと」



 この島には競争がない。義務もない。ただ起きて寝て、腹が減れば十分な食事を味わえる。根岸が楽園と言い切るのも理解できた。


 そして、全員が赤の他人という状況も、プラスに働いている。見知らぬ間柄であるからこそ、楽になる部分もあるのだ。



「この島でやり直しが出来る? いや、そんな簡単には……」



 しかし羽澄は、何かを取り戻した実感がある。今では四季の移ろいや、香りなどに心を動かされるようになった。人生を踏み外してから数ヶ月。今更になって秋の便りに浸る事になるとは、想像もしなかった。



「人は変われるもんかな……。知らんけど」



 静かで豊かなひとときが、傷ついた心を癒やすようだ。この環境なら、この施設ならと、期待させるだけの要素が揃っていた。


 だが運命は唐突に、虚を突く形で動き出した。



「ん……? 何だ、今の音は」



 どこかから物音が耳に届く。聞き間違いで無ければ、言い争うような響きに思えた。唐突に漂う緊迫感が、腹に冷たいものを走らせた。



「誰かケンカでも? いや、それらしい奴らはどこにも……」



 しかし、ただよう悪意は陰らず、物音も鳴り止まない。そして肌に刺さるような怒号までもが、森の奥深くから響いた。



「騒ぐんじゃねぇよオラ! もう一発殴られてぇのか!」



 羽澄の身体は咄嗟に動いた。反射的に、声の鳴る方へと走り出す。



「一体何事だ?」



 羽澄は遊歩道から外れて、木々が生い茂る森の奥へと向かう。手つかずの雑草を掻き分けて、ひたすら彷徨う内、彼はようやく見つけた。音の発信源は茂みの向こう側だ。


 歩み寄り、覗き込む。2つの人影。上から覆いかぶさる男。押さえつけられるのは、華奢な体つきの少女だ。


 それを目にした瞬間、羽澄の腹は煮えた。そして反射的に叫んでは、2人の前に躍り出た。



「そこのお前、何やってんだ!」



 羽澄の声に男が反応した。服装は青ツナギの『共成者』である。ともかく化物ではないと、内心で把握した。



「アァ? 何だテメェは。関係ねぇ奴はすっこんでろ!」



 確かに羽澄は2人と無縁である。顔に見覚えすら無い。無いのだが、押さえつけられた少女を眺めるうち、フツフツとした怒りが込み上げてきた。


 羽澄が介入する正当性としては、それだけで十分だった。



「その子を離せ。今すぐだ」


「ケンカ売ってんのか、ヒョロガリのクソ野郎。殺されねぇうちに消えろや」


「別に、ケンカを売りに来た訳じゃない。ケンカってのは対等の相手同士でやるもんだ。この場合は駆逐、あるいは駆除と言うべきだろうよ」


「急に訳の分からん事をグチャグチャと。クソうぜぇなテメェは!」



 男は立ち上がると、たちまち羽澄を見下ろす形になった。かなりの大柄だ。平均的な羽澄よりも、頭2つ分は高い。


 男の威圧は続く。羽澄は相手を睨みつつも、そっと手で合図を出した。


 少女に逃げろと伝えたつもりであるが、立ち去る気配は無い。1つ当てが外れた気分になる。



「消えろクソチビ。それとも、まともな口がきけなくなるくらい、ボコしてやろうか?」


「この島が自由だからって、何でも許される訳じゃない。犯罪行為は全部禁止だ」


「ハッ。勘違いすんなよ。オレ達は『同意』の上で愉しもうって所だよ。そうだよな、篠束ァ?」



 篠束(シノヅカ)とは少女の名前らしい。男は今度は少女へ歩み寄ると、彼女の髪を強く掴んだ。その拍子で、少女は顔に大きなアザを刻まれているのが見えた。


 彼女は、荒々しい問いかけに答えようにも、唇がわななくばかり。吐き出された声も言葉にならなかった。



「ほれ見ろ。嫌だって言わねぇだろ。だから同意だ、同意」


「それは怯えてるだけだ。とにかく彼女を離せ。痛い目を見なきゃわからないのか?」


「あぁ、クソうぜぇな。テメェはどんだけ頭が悪いんだ、周りを見てみろ。監視カメラはねぇし、見回りだって1人も通らねえ。つまりは何したってバレねぇってこった」


「それがお前の理屈か。クズの発想だな」


「この島じゃ、強いやつが正義だ。クソ弱い奴らは自分の身さえ守れねぇんだよ」



 ここで男が弾けたように嗤い出す。勝ち誇った顔には、罪悪感など一握すらも無い。



「何ならテメェもやるか? オレが飽きた頃にくれてやるよ。まぁその頃には、この女もブッ壊れてるかもしんねぇがなぁ。もしかしたら死んじまってるかも!?」



 男の醜悪な高笑いが響き渡る。何がどう愉快なのか、羽澄には分からない。ただひたすらに虫唾が走るばかりだ。


 やがて男の態度が、羽澄に既視感を与えた。蘇るのは彼を理不尽にも陥れた、例の事件である。



――はい凶器に指紋べったり、ここに目撃者多数。真犯人おめでとう。


――蔵井戸さん、エグすぎっすよ! 全ッ然容赦ねぇし!


 ゲラゲラゲラ。

 ゲラゲラゲラ。

 ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ。



 次の瞬間、羽澄は駆け出す。そして体重を乗せた拳で、男の頬を殴りつけた。



「その嗤い声を止めろーーッ!」



 全体重を乗せた拳で振り抜く。しかし生憎だが、羽澄はケンカ慣れもしていない。弓を引くように振りかぶった腕を、力任せに振り回すだけだ。


 子供の癇癪にも似た打撃法だ。大した威力もあるまい。暴漢も、その一撃をみくびり、頬で受けた。それを許してしまう程に、両者の体格差は絶望的だった。


 だが結果は予想を大きく裏切った。殴られた男は、地面を転がりながらフッ飛ばされていく。そして木の幹に激突する事で、ようやく留まる事を許された。



「グヘッ! てめぇ、よくも、やりやがったな」



 暴漢はアゴを砕かれても、なお意識を保っていた。怪我の重さに反して、立ち上がる仕草もスムーズである。


 迎え撃つべく、羽澄は再び構える。勝機は十分。そう見通せるだけの先制攻撃を叩きつけたのだ。


 間もなく暴漢と正面から対峙。その時、羽澄に向かい風が吹き荒れた。頬に風を浴びるうち、なぜか震えが止まらなくなる。胸の中でも冷たいものが駆け巡り、呼吸が圧迫され始めた。


 異変はまだ終わらない。それは羽澄ではなく、彼を取り巻く世界に侵食していった。



「な、なんだ……景色が!?」



 視界は瞬く間に色彩を失っていく。木々で色づく枝葉や落ち葉、蒼く透き通るような空も、目に映るもの全てが漂白してゆく。


 そうして現れたのは白黒一色。モノクロームな世界であった。



「一体、何が起きた!?」



 驚くべきは他にもある。暴漢の全身が黒い霧に包まれ始めたのだ。身体の概形をなぞるように蠢く霧は、次第に膨れ上がり、縦にも横にも倍化した。


 そのうち暴漢を包む霧が消えた。そうして現れた姿は、尋常の域を超えていた。巨人ともいえる身体に豚の顔、やや赤みのかかった肌。長柄の斧を持ち、全身も革鎧に覆われている。そんな化物が、悠々とした仕草で羽澄を見下ろした。


 明らかに人ならざる存在だ。物の怪、化物の範疇で、界隈ではオークと呼ばれる生物である。



「な、なっ、何だコイツは!?」



 オークが、眼を赤く煌めかせて吠える。それだけで羽澄の全身が震え、思わずよろめいた。


 雄叫びだけでも凄まじい威力。羽澄は次第に戦慄を覚えていく。



「化物……こんなヤツ、実在してたのか!」


「クックック。妙な気配がすると思えば、マギカ・コアを持ってやがるのか。しかも覚醒前かよ」


「マギカ、コア?」


「しかもビビり散らかすとか、最高じゃねぇか。こりゃあ、たっぷりとマギカが吸えそうだなぁオイ!?」


「マギカを吸う? さっきから何の話を」


「これから死ぬテメェには関係ねぇよ!」



 オークは強く踏み込むと、掲げた大斧を一気に振り下ろした。


 羽澄は咄嗟に退く。躱した。しかし飛び散る小砂利が顔にかかり、視力を奪われてしまう。



「しまった、目が!」


「なんだ、もうお終いか? 歯ごたえが無さすぎんぜ!」



 羽澄は、霞む視界で敵の動きを見た。


 踏み込み、腰溜めに構える斧。薙ぎ払いだ。そう読み切った瞬間、その場で屈んだ。頭上を重たい音が、殺気とともに過ぎていく。



「チッ、運良く避けやがって。勘だけは鋭いんだなぁ?」


「誰がお前なんかに殺されてやるか」


「その強気もここまでだ! グォアアーーッ!!!」



 オークが、羽澄の眼前で吠えた。


 衝撃を真っ向から受けた羽澄は、途端に目眩を覚えた。世界が更に白んでいく。そしてその場で膝をつき、荒い息を吐いた。



「これで終いだ! くたばりやがれ!」



 暴力的なまでの気迫と殺意が、羽澄の全身を打つ。次の瞬間には、身体を真っ二つに両断されるだろう。


 羽澄は、崩れそうな膝を奮い立たせた。そして退がらず、前に踏み込んだ。それは半ば無意識的だった。



「こんなやつに、簡単に、殺されてたまるかよ……!」



 せめて一撃。自分が闘った証を、理不尽さに抵抗した痕を刻んでやりたい。何も出来ず、されるがままで終わる事だけは許せなかった。


 もう2度と悪意を、無抵抗で受け入れる気はないのだ。



「力だ、オレに力さえあれば!」



 羽澄は渇望した。殺気を前にしても怯まぬ強さを、心の底から求めた。


 あらゆる暴力を、非道を、悪逆を死滅させるだけの力を。魂が純粋に願い、求めたのである。



「力を寄越せーーッ!」



 羽澄は徒手空拳で迎え撃った。丸腰の、握り拳のみで。


 すると右手のタトゥーが痙攣し、肌を焼くような痛みを放った。何かが起きる。そう感じた瞬間、彼の右手には大振りの剣が出現した。


 龍鳴剣だ。主の危急存亡の間際になって、ようやく出現したのだ。そして、オークの振り下ろしを刃で受け止め、鍔迫り合いになる。



「何ぃ!? こいつ、どこから剣を……!」


「これで五分じゃないのか、ブタ野郎」


「舐めんじゃねぇ。オレ様と力比べをしようってのか!」


 

 真正面からの押し合いだ。押して、返される事を繰り返す。力はやはり五分。決着はまだつかない。



「クソッ。ヒョロガリの癖に、どこにそんな力が」


「今度はこっちから行くぞ!」



 羽澄は1度飛び退くと、剣を構えて突進した。腰溜めにした刷り上げの一太刀。しかし、オークの柄によって凌がれてしまう。


 諦めずに攻撃を仕掛ける。振り下ろし、突き、袈裟斬り。気迫を込めて打ち込みはするが、全てをあっさりと捌かれてしまう。



「クックック。驚かせやがって。所詮はガキのケンカ、素人剣術って所だな。その程度じゃオレ様は倒せねぇよ」


「うるさい! 今すぐブッ殺してやる!」



 羽澄はもう一度飛び退き、振りかぶる。そして咆哮を響かせた後、脇目もふらず突進した。


 仕掛けるのは決死の一撃とも言える全身全霊の一太刀。しかしその最中にも羽澄は、オークの動きを冷静に見極めた。両足を踏み込み、受ける態勢を示す。それを見て取った瞬間、羽澄は勝利を確信した。



「喰らえ! 渾身の一撃だーー!」


「来いよヒョロガリ! 押し返してやるぜ!」



 羽澄の強烈な振り下ろし。切っ先が、オークの掲げる大斧の柄に迫る。それらが触れかけた瞬間。羽澄は剣の軌道を大きく変え、脇に構え直す。


 思いつきのフェイントだ。しかし十分効いた。攻撃を受け止めようとしたオークは、バランスを崩して身体が真横に泳ぐ。



「なっ!? このガキ!」


「隙ありだ、この野郎!」



 ガラ空きの脇腹を渾身の力で蹴り飛ばした。それだけでオークの巨体は大きく吹っ飛ばされる。木々の枝をへし折り、地面を何度もバウンドしながら転がってゆく。


 追撃のチャンスだ。しかし、そう確信した瞬間、世界は再び様相を変える。周囲には奪われた色彩が戻り、見慣れた光景が蘇ったのだ。


 それは、羽澄が頼るべき物との別れを意味していた。



「あっ、剣が!」



 龍鳴剣は、光の粒子を散らしては消えた。掌に痕跡を欠片さえ残さずに。



「どうする。追撃するか、いや、武器が無いしな……」



 気がかりは他にもある。被害者の存在だ。身じろぎせずに倒れ込む少女を、独り残して良いものか。迷い、悩み、やがて結論を導き出した。



「うん。まずは安全第一!」



 羽澄は、篠束という名の少女を起こそうとした。しかし意識は戻らず、瞳は閉じられたままだ。


 まずは健康状態を確かめる。怪我はあるか、出血は見られるか。目立つのは頬の打撲痕くらいのもので、他に手傷は見られない。


 加えて、着衣の乱れも僅か。首元のチャックを少し下げられた程度だ。つまりは、最悪の事態を免れたのである。



「どうやらギリギリで間に合ったらしい。不幸中の幸い、地獄に仏」



 羽澄は篠束を抱きかかえて走り出す。敵の反撃は警戒した。目に映るもの、聞こえるもの全てに気を配る。


 しかしいずれも杞憂。オークから一切の妨害を受ける事無く、中央棟へと辿り着いた。すると受付スタッフから咎められた。



「どうしたんですか!? 何か事故でも?」



 羽澄が手短に事情を説明すると、態度も軟化。医務室に連れて行くよう、強く勧められた。そして、スムーズに受診できるよう、内線まで入れてくれた。



「その医務室とやらは2階か。急いで向かおう」


「う、うぅ……」


「気がついたか? 良かった」



 羽澄の腕の中で、篠束が目覚めた。


 その場で立たせてみると、彼女は両足で立つことが出来た。歩くことも問題ない。ただ少し、瞳が虚ろなだけだった。


 それからは2階まで付き添い、医務室の前までやって来た。篠束は、階段でも特に手間取ることもなかった。外傷に関して言えば、大きな心配は要らないように思える。



「ここまで来たら平気だろ。怪我の手当はプロに譲る」


「あの、お名前を教えて貰えませんか? 後日、改めてお礼がしたいので」


「羽澄だ。でも礼とか気にすんな。別にお前の為じゃ無かった」



 半分は成り行き、もう半分は耐え難い怒り。激しい衝動があって、悪党を打ちのめしたに過ぎない。感謝を口にされても、感じ入るものは少なかった。



「ともかく治療して貰え。オレはもう行くから」


「はい。本当に、ありがとうございました!」



 篠束とは、そこで別れた。


 無事に篠束を送り届けた羽澄だが、まだ終わりではない。森の中に潜んでいるだろうオークを、野放しにするのは危険すぎた。討伐にしろ捕まえるにしろ、何か対策を施すべきである。


 かと言って、独りで無策に乗り込むのは危険だった。それが分かっているので、二の足を踏んでしまう。



「こんな時は、どうしたら良いんだ……」



 思い悩む羽澄は、ふと、すれ違う所員に目を向けた。彼の制服には腕章があり、『警備』という文字が大きく書かれていた。


 そこで羽澄は、咄嗟に呼び止めた。



「あの、すいません!」


「はい。何です?」



 所員は、比較的若い男だった。厳(いかめ)しさはなく、微笑みを向けるようである。


 しかし、それでも羽澄は口ごもった。流石に『化物が出たから退治に行こう』などとは言えなかった。


 その為に説明には少なからず、工夫が必要だった。



「女子が男に襲われかけた。それはどうにか助けたんですが、犯人は野放しになってます」


「何だって!? 許しちゃおけないね。場所は?」



 羽澄は素直に頼もしいと思う。所員が前のめりになり、真剣な面持ちになるの見るだけで、心に安堵が広がっていく。


 しかし、羽澄が詳細を語るに従い、その温度感は急速に冷えていく。



「森の奥か。監視カメラがない場所だな。何か犯行を裏付ける証拠でもあるのかい?」


「いや、持って無いけど。でもオレは見たんですよ」


「それだけじゃ厳しいね。ここでは偽証防止のため、目撃情報を無視する方針なんだ」


「じゃあ被害者の証言ならどうです? さすがに、それさえも嘘とは言わないですよね!?」


「気持ちは分かるけどね。規則は規則だよ」



 その冷たい言いぐさに、羽澄の腹は煮えた。お前の仕事は何だと、問い詰めたくなる。実際、語気は酷く荒々しいものに変わった。



「あのな、アイツは、被害者は顔に酷い怪我を負わされたんだぞ! それなのにお前たちは認めないのか!?」


「だから何度も言うけど、そういう決まり事なんだよ。まぁ、個人的には、嘘やイタズラの通報が減るから助かってるけどね」


「正気か? 通報の中には本物だって混じってるだろ!」


「君には分からないと思うけどね。一時期、事件のでっちあげとか、冤罪騒ぎが頻発したんだ。きっと揃いも揃って、娯楽に飢えてたんだろうな」


「そもそも証拠を出せという時点でおかしいんだよ! それを調べるのもお前ら所員の仕事だろうが!」


「生憎、僕らは警察じゃないんでね。君たち共成者には自由を与えてるだろ? 自由には責任がつきまとうんだ。その辺もキチンと学んで欲しいところだよ」


「クソッ、埒が明かねぇ……!」


「まぁまぁ、そうカッカしないで。この島には物騒な事なんて起きやしないよ。これまでに凶悪犯罪なんて一度も聞いたことが無いからさ。だから安心してノンビリしなよ」


「聞いたことがない? 聞く耳を持たないの間違いだろ!」



 羽澄は唾棄する代わりに、所員に背を向けた。そして憤慨冷めやらぬ足取りで、森の現場へと戻っていった。



「仕方ない。覚悟を決めて、もう一度行くか!」



 羽澄は手頃な棒キレを片手に、再び現場へと舞い戻った。恐怖がないと言えば嘘になるが、同時に開き直ってもいた。



「また襲われたら、その時はその時だ。もう一度ブチのめしてやる」



 そうして現場にやってくると、まず羽澄は争った形跡を見つけた。えぐれた地面に、生木の折れた跡。確かに、オークと激闘を繰り広げた場所である。しかし、付近をどれほど探しても、あの巨体は見当たらなかった。


 あらゆる気配に対し、注意深く神経を尖らせた。それでも、身が震えるほどの殺気や、モノクロームの光景はどこにも無い。



「まさかな。白昼夢や妄想ってオチじゃないよな……。今回こそ何か掴んでやる」



 執念に似た決意のもと、目を皿のようにして探し続ける。すると、ようやく足元で煌めくものを見た。小さな宝石にも似たそれは、ガラス片だった。


 這いつくばって付近を探してみると、残りの欠片も見つかった。破片を合わせる。そこで、彼は動かぬ証拠を掴めたと悟った。




「これって、モバイルバンドの!」



 貸し与えられた電子機器は、液晶部分が保護ガラスで覆われている。この破片は、その部品が破損したものだった。



「そういや、あの化物。最初はツナギ服を着ていたな。人間の姿に戻ったとかで、その拍子に壊れたとか」



 羽澄はそこまで口にすると、途端に怖気を感じた。つまり、化物は人間に擬態する。そして共成者の一員として、何食わぬ顔で溶け込んでいる。


 早い話が、どこの誰が敵か分からない。そして、いつ何時襲われるのか、それも見当がつかないという事だった。



「ともかく、この証拠を所員に突きつけてやる!」



 羽澄は暮れゆく日差しを浴びながら、中央棟への道を急いだ。頭上の空模様は快晴で、今まさに大きな夕日が沈もうとしていた。


 しかし彼の心は晴れない。首尾よく化物を撃退し、証拠品を手にしたにも関わらず、言い様のない不安に駆られるのだった。



 

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