ひと夏の遠出

こばたし

ひと夏の遠出

 連日の悪天候が信じられないくらい、晴れていた。肌を突き刺すような日光。蝉があちこちで鳴いている。梅雨が明けた。東京よりも、少し、遅く。その日、僕の大学生になって初めての夏が来た。

 かつて東京での華々しいキャンパスライフを夢見て受験戦争に志願した田舎者の僕は、桜舞う季節の中であっけなく惨敗を喫した。僕は仕方なく、滑り止めで受けた地元の大学へと進むことになった。浪人する気力は無かったからだ。しかし皮肉にも、周りの人間は良くできた奴らばかりだった。「春から東京××大学」、「NEXT→××学院大学」などと書いてある仲の良かった奴らのinstagramのプロフィール欄を見る度、嫌気が刺した。また、敗北感を感じた。そんな東京での学生生活を謳歌する彼らを横目に、僕は一人地元の中でもこれまた辺鄙な場所にあるその大学に、情けない足取りで通う日々を送っていたのである。

 五月の初頭、母がこんな話をしてきた。

「ねえねえ、聞いた?彩花ちゃん、○○学院大学に通ってるらしいよ。可愛くて頭も良くて非の打ち所が無いわね!」

「彩花」とは、幼稚園から中学校まで一緒で親ぐるみで仲の良い女友達だった。小学校の頃はよく彼女の家で遊んだり、またその逆も然りでとにかく仲が良かった。彼女は頭が良く、運動神経も抜群で昼休み僕ら男子に混ざってサッカーをすることもあった。そして顔も良かった、らしい。僕の周りでも彼女に好意を寄せる奴らは少なくは無く、よく「好きな人がいないか聞いてくれ」なんてお願いされることがあった。勇気を出して告白する奴もいたが、彼女は決まって「興味ない」と言ってから彼らの腹部にパンチを喰らわすのであった。そんな男勝りな性格のため、段々と彼女への好意を露わにするものはいなくなった。対して当時の僕はというと、彼女を可愛いとは思わなかった。なんなら「ブス」だと思っていた。よく喧嘩もしたし、僕の服で鼻をかまれたこともあったし、一緒に風呂に入ったこともあったし、とまあそんなわけで汚い面も人より見てきたし、あくまで彼女は家族みたいな感覚で、特別な感情を抱くことは無かった。

 けれど中学に上がってそれは変わった。スポーツ万能な彼女はなぜか吹奏楽部に入り、常に汗で濡れていた髪は艶やかなポニーテールに変わった。彼女は何だか急に、女の子らしくなったのだ。僕はそこで初めて、ちょっと可愛いと思った。しかしそれを自分の中で認めたくなくて、「あいつはブスだ」と自分に言い聞かせていた。性格も何だか穏やかになり、中学2年の夏に彼女は同じ部活の男子と付き合い始めた。その彼氏はドラムを叩いており、背が高くて顔もかっこよかった。僕はそれに酷く嫌悪感を覚えた。恋愛なんて興味ない、と散々言っていた彼女がありきたりな高身長イケメンと付き合い始めた、ということがとてつもなく気持ち悪かった。そしてそれと同時に、寂しさも感じた。人は変わるんだということを、身に染みて痛感した。中学に上がった僕らは、少なくとも2年と3年の2年間は、関わることは無かった。話しかけられても無視をしたりした。僕は彼女が嫌いになった。

 彩花は県内トップの学力の高校に進学した。僕は2番目の高校に進学した。親同士はよく会っていたらしい。僕の母親と彼女の母親は特に仲が良かったようだ。僕と彩花は高校の3年間では話すことも愚か、会うことも無かった。僕ももう気にしていなかった。そんな彼女が東京の有名私立大学である○○学院大学に通っているというのを聞いて、僕はその日、また一つ敗北感を味わうこととなった。

 夏が来た、と言っても夏休みはまだ一か月以上先である。だからこの一か月はただただ暑い大学生活を送るだけである。ある日、大学でできた唯一の友達である高橋がこんなことを言ってきた。

「お前、来週末暇?このバンドのライブ、高校の友達と行く予定だったんだけどそいつ来れなくなってさ、お前このバンド好きって前言ってたじゃん?だから暇だったらどうかなと思ってさ」

高橋は2枚のチケットを手でペラペラ振りながら言った。彼も地元の高校出身で、僕と同じ動機でこの大学に入った。4月の英語の授業でたまたまペアになり、そこから意気投合して大学にいるときはほぼ彼と一緒にいる。そんな彼から僕の好きなバンドのライブの誘い、僕の休日に予定もクソもないので二つ返事で承諾した。前々から彼がそのライブに行くことは聞いていたが、まさかこんなラッキーなことがあるとは。僕はその日が待ちきれない思いで、その2週間は体が軽かった。そのライブ会場が、東京だったというのもあったので。

 長い長い2週間を終え、僕らは夜行バスで10時間かけて東京に向かった。ライブは土曜日だったが、せっかくだからとホテルを予約して一泊することにした。東京は無論、地元と比べるのは失礼なくらい人が多かった。僕らは一旦荷物をホテルに置いて、ライブ会場へと向かった。そこは野外の音楽会場で、そこに隙間なく観客が入った。ライブが始まると誰の何かもわからない液体があちらこちらから飛んできた。けれどそんなのも全く気にならないほど、素晴らしいものだった。セットリストも全部僕の好きな曲で、テンションは終始最高潮のままだった。高橋は終始叫んでおり、終わる頃には喉が枯れて何を喋っているのか分からなかった。とにかく最高のライブだった。僕も高橋ほどじゃないが声は枯れた。現実とは思えなかった。現実逃避の意味を実感した。

 22時頃にライブは終わり、僕らはフワフワした気分のまま駅までの道を歩いた。なんだかこのままホテルに帰るのはもったいないような気がした。道中、高橋はドラッグストアに寄り、のどヌールスプレーと水を買った。そしてその甲斐もなくしわがれた声で彼は言った。

「なあ、せっかくだし、歌舞伎町とか行かね?」

僕はもうすっかり考える頭を失っていたので、これまた二つ返事で承諾した。そうして僕らは電車に乗り、ホテルとは逆方向に向かって行った。

 そこはホストやキャバ嬢、そしてその客と思われる人達で溢れ返っていた。上を見れば眩しい看板が、僕らの網膜を刺激した。僕はその慣れない、今後も慣れることのないであろう街の道を、首が痛くなるほど見回しながら歩いた。一方、高橋は僕のようにしながらも、時折携帯を見ながら歩いていた。僕らは大きな道を歩いていたのだが、高橋は急に「ここ、曲がるぞ」と言った。僕は「どっか向かってんの?」と聞きながらも、黙って歩く彼についていった。そこは車一台通れるかくらいの道だった。そしてそこを通り抜けるとまた大きな道に出た。高橋は「ここ左だわ」と言ってまた進んで行った。僕はいいかげんどこを目指しているのか知りたかったので「おい、どこ向かってんだよー」と再び聞くと、高橋は「ここだ」と言って立ち止まった。僕も左に曲がり高橋が見ている方を見ると、そこには「にゃんにゃんクラブ」と書かれた看板があり、その下の方に小さく「ピンサロ」と書かれていた。僕が唖然としていると、高橋が言った。

「ここ、前から調べてたんだよ。せっかく東京行くならやっぱこーゆーことしねえと楽しくねえじゃん!」

そして高橋は「ここ、評価も高ぇし」と続け、ついには「行くぞ」と僕に肩を組む始末。僕はいきなりのその状況に流石に動揺したが、その後再び高橋の口から出た「せっかく東京来たんだし」という言葉に乗せられ、あほな2人はその店の中へと吸い込まれていった。

 受付で料金の6000円を払い、僕らは各々の座席へと案内されて行った。中は暗く、流行りのJ-POPが流れていた。座席はネットカフェの個室くらいの大きさだった。僕はライブからのこの状況に、全部夢なんじゃないかと思わされた。10分ほど待った頃だろうか、所謂「ピンサロ嬢」という女性が入ってきた。その女性は、制服を着ていて、髪は金髪だった。強めの香水の匂いが、僕の脳を溶かしてしまいそうだった。ピンサロ嬢は僕の隣に座り、他愛もない会話が始まった。僕の頭は先ほどにも増してフワフワしており、聞かれた質問に詳細なことまで訳も分からずに色々と返してしまった。

「大学生さんですか?」

「あっ、はい!〇×県立大学に通っています!」

「え、遠いとこから来られたんですね」

「あっ、はい!生まれてからずっと住んでます!」

「へえ、高校はどこだったんですか?」

「あっ、〇×南高校です!県で2番目の高校です!」

「へぇ、そうなんだぁ、じゃあ中学は?」

「〇×第一中学校です!」

「じゃあ小学校は?」

「あっ、って、あれ?」

僕は小学校の名前を聞かれたところでおかしさにようやく気付いた。どうしてそんなことまで聞くんだろう。そんなことを考えているとピンサロ嬢が言った。

「小学校はー、〇×東小学校でしょう?」

僕はそれを言われた途端、心臓がかつてないほど速く動いているのが分かった。フワフワしていた頭の中が一変、恐怖で埋められた。そうしている僕にピンサロ嬢は体を寄せ、顔を近づけてきた。僕は端に追いやられ、やがて目を閉じた。するとピンサロ嬢は言った。

「目、開けて」

僕は言われるがままに、恐る恐る目を開けた。すると目の前にはちょこんと胡坐をかいて座ったピンサロ嬢がいた。そしてその顔は、どこかで見たことのあるような気がした。そして、思い出した。

「久しぶり」

「もしかして、あ、彩花…?」

そのピンサロ嬢はかつて、よく喧嘩をした、僕の服で鼻をかんだ、一緒に風呂に入った、あの彩花だった。僕はその状況を処理し切れずいた。何も喋れなかった。彩花も、何も喋らなかった。ただ、2人で目を合わせていた。しばらく沈黙が続いた後、彼女が口を開いた。

「私も、正直に生きれたらなぁ」

彼女は少し寂しそうな目で、そう言った。暗くても、それは分かった。そして無理してるように口角を上げて言った。

「なんてね、何でもないよ。してあげよっか?時間無くなっちゃうよ」

その顔は、中学校の時の彩花の顔だった。僕は到底そんな気分にもなれなかったので、「いや、いい、出る。」と言った。

「じゃあ出口まで送るから」

そう彼女が言って、出口まで2人で歩いた。

「じゃ、」

「ママには内緒ね」

「わかってるよ」

そう言って店を出ようとすると、

「トモ君!バイバイ!」

と彼女は、あの頃のように健気に手をブンブン振った。その呼び方をされるのは、実に久しぶりだった。

 店を出ると高橋が立っていた。

「おい長ぇよ!遅漏かよ!」

高橋は興奮した様子で歩きながら言った。

「俺のとこに来た奴くっそ可愛くてまじ耐えれなかったわ!可愛すぎ!普通に付き合いてぇ!」

僕は、正直に生きるって多分こういうことなんだろうなと思いながら笑った。

「で?智樹のはどうだった?可愛かった?」

僕は大きく伸びをして、あくびをしながら答えた。

「くっそブスだったわ」

夜の歌舞伎町は、暑くて眩しかった。






 

 

 

 

 

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