大河釣る 空を放して 竿垂れて

たけの はなお

 

 翔大は河口の岸壁に辿り着いた。足元で波が弾ける。あと一歩で海に踏み出す。

 そうは言っても、目と鼻の先は埋め立て地で、更に工場地帯が続いている。こっちとあっちの間は運河になっている。

 「…なんだ、

    ただのドン詰まりだぁ…」


 海からの風が小雪を巻き込んで吹き付けて来る。

 潮がやって来ている。河口を抜けて波が昇る。岸壁に波しぶきが上がる。

 フードの中で鼻先が湿る。うすら寒い。

 

 ぶつ切りの水平線に目を凝らす。

 風に抗う。海に向かって脚が踏ん張る。ふとした拍子に風が止んだら、前に放り出される。そのまま、ボチャンだ。

 台風で川を見に行って落ちるやつだ。

 波のうねりに魅せられている。地面が揺れる。引き込まれる。

 (…死んじゃうよ、これ。

   潮に揉まれて戻れねぇ…)

 膝が笑っている。波にもがく姿が沸いてくる。ふとした拍子にボチャンだ。



 海が見たかったわけじゃない。

 持て余して、ウロついていた。

 「ハラヘッタナ…」

 工場の町をはぐれて川の土手にやって来た。


 土手の上、ぐるり、雪雲が垂れて灰色の空が広がる。

 都市の境を流れる一級河川。

 岸のこっち側は工場がひしめき合う。

 はるか向こう岸には空港があるのが見て取れる。ジャンボ機が往来する。ひっきりなしに飛び交っている。

 土手脇の杭が目に入る。

 『◯◯川河口まで八〇〇メートル』


 「おぉ、海…」

 水平線を期待した。

 釣られ、川下に向かって歩いた。


 川岸の干潟を背にして並ぶ工場。干潟と工場に挟まれて土手が延びている。土手に沿ってトタン板の壁がそそり立ち、工場の音をゴンゴン、ゴンゴン響かせている。

 土手が途切れる。続き、仮設の足場が壁にくっ付き、干潟を渡っている。人が一人やっと通れるくらい。

 「行けんの?、これ。」

 壁の向こうが、ガラコン、ガラコン鳴っている。

 足場の下に波が被って来ている。泥だまり。ヘドロの匂い。手すりがない。壁に背中を張り付けるように進む。

 トタンがガンガン、ガンガン震えて押し返してくる。

 「…行けんのかぁ⁉︎…」


 

 「行けねえな、ドン詰まりだ…」

 足は出ない。

 持て余して放り出す。

 岸壁を後にした。

 


 『風と波。

   いつ行っても居やしねぇ。

    どっか、ほっつき歩いてやがる。』



 

 引き返して追い風で歩いた。

 土手の方まで戻って来た。川岸には土砂が堆積していて、草木が根付いている。水際に広がる葦の群れ。野鳥がしきりに鳴いている。招かざるものがやって来た。

 

 (…オシッコ…)

 急に。

 岸壁でガチガチに冷えた体がほぐれた。

 小一時間程前、町の自販機で缶コーヒーを飲んでいる。もう巡ってきた。

 ひとっ子一人いない。枯れ草を世話しなく踏み付けて、土手から川岸の方へ下りてゆく。吐く息が白い。 

 そこら辺ですればいいのに、なぜだか律儀に、行儀よろしく水際に寄って行く。

 ぬかるみを避けて、つま先だちで急ぐ。


 川辺の砂利にちょいと立つ。

 さざ波が寄せてくる。

 川面の息づかい。


 ほぉっと、

 さざ波を返す。向こう岸へ…


 浮かぶジャンボ機。

 時を手放す。波に委ねる。


 広がる空。

 弾ける空、?…


 「…あぁっ、あぶねぇ!」

 油断だった。

 川下に体が向いている。

 

 海からの風、色々巻き込んでやって来る。ぶわぁーっと弾けて、空に舞い上がる。押し返されて戻ってくる。

 (…あぁ、無理だ。)

 止められない。ひっきりなしに溢れてくる。弾けて、並んで、後から後から切りつけてくる。

 翔大は動けない。仰ぎ見る口。泳ぐ舌。気圧されて、のけぞって、枯れ草に絡む。かすれる音が呑み込まれる葦の狭間。時が遠のく。刹那の始まり。


 迫る風を持て余す。

 溢れる流れを持て余す。(コーヒー飲んじまった、仕方ない…)

 「翔大」を持て余す。

 

 波の狭間で生滅を繰り返す「翔大」。

 今回はいい所なく、葬られる。

 次回の「翔大」に期待する。

 「翔大」は巡る。


 【スマホがぐるぐる回り続けるときは、電源を入れ直す。】

 【システム障害。とりあえず電源切って、入れ直す。】

 

 「翔大」が建ち尽くす。

 風が「翔大」を揺らす。後ろへ。

 流れが「翔大」を後ろへ押しやる。


 風が、流れが、「翔大」を焚きつける。

 「翔大」が目を覚ます。沸きたってくる。

 海も空も呑み込んでいる肚の底。

 (…う、う、……し…ろ…、へ……)

 

 後ろへ。

 風に乗れ。

 後ろへ。

 流した分だけ。推進力だ。

 後ろへ!

 これで、いいのだ‼︎


 ……のけぞって、踏ん張っていた踵が後ろに跳ね返る。弾ける枯れ草。時を巻き返す。

 着地した脚が右に左に下がっていく。流れはそのまま。

 慌てない。手元は丁寧に。風に乗せて、流れを置いてゆく。


 烏が向こう岸へ渡っている。ボロボロな翼でヨタヨタ。

 眼下には、葦に包まれた翔大が後ろ向きでヨタヨタ。叫びあがる肚の底。舌が転ぶ。

 「…う、ぅ、……へぇ…」




 (…ありがてぇ、…タスカッタ…)

 枯れ草からコーヒーの匂いが薫っている。

 灰色の空を見上げて安堵する。火照った鼻先に降りるボタ雪。


 土手に戻ろう。町へ。


 葦の先から翔大の頭が覗く。ジェットの音がかすかに届いている。葦の群れに揺れる風の音。時が戻り、枯れ草を踏み締めて、時を合わせた。

 土手を登っていく。

 「ハラ…ヘッタナぁ……」

 持て余している。


 内陸に橋が掛かる。こっちの岸から、あっちの岸から、後から後からやってくる。巡っている。



 『居ねえと思ったら、

   からかいやがって。

    なんだ、居たんか、アイツ…』


 



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