17 エルフ、物思いにふける

 筋肉痛に苛まれながら、俺は木炭を床暖房の中に入れて熱する。

 シロガネは外に出る必要などないのに床暖房の維持に付き添ってくれていた。『こいつは目を離したらダメだ』とか思われているのだろうか。


 部屋に戻れば夜風と月明かりがレンガの家の窓から差し込んでいる。耳をすませば虫の鳴き声が聞こえてきて、どこか風情を感じさせた。


 羽毛の寝袋の上に寝転がろうとするとシロガネが後ろに座り、背もたれになってきた。視界の端に注目をすればコメントが続々と流れ込んできている。

 そのほとんどが安否を気遣うものであったり、シロガネについてであったり。


 その中でもっとも目を引いたものが――


『どうして女神を殴ろうとしているの?』


 というものだ。


「女神を殴る理由ねえ。正直、女になったことでの不便ってあんまりない。このまま戻ったら学籍とか弄るのは面倒だろうけれど、そのくらいだ」


『割り切りがすごいなー』

『じゃあいよいよもってなんで女神を殴りに行くのかが分からない』


「そんなの簡単だよ、身勝手だからさ。自分勝手な理由で人を振り回してこちらの意見を聞こうともしない。……母親を思い出すんだ」


 探索者をしていた父親が生きていた頃から生じていたわずかな軋轢。それは配偶者を失って家庭が不安定になったことで関係性が壊れてしまった。束縛が強くなり、なにをするにもお伺いを立てねばならず。家に押し込めていた時間、母は外で作った男と再婚の話を進めようとしていたのだろう。


 結局、俺との仲も決裂した。俺はそのあとは中学に通いながら、探索者業をこなしながら一人暮らしをしていた。

 その後、色々とあってネットの友人であった師匠の元に行き、今に至る。


 人生を悲観していた時期もあったがそれは昔の話だ。

 師匠のおかげで稼ぎやダンジョン内での立ち回りも安定して生活も立ちゆかなくなることはなくなった。


『闇深案件だなー』

『性別が変わって動じないってのは凄いねー。変生へんせいして性別が変わっちゃった子でも最初は落ち着かないのに』


「そこらへんはねー、やっぱりレガリアがあるからじゃないかな。収支だけで見ればもの凄いプラスなわけだし」


『普通はそうならないって話だよ』

『割り切りがエグい』


 ダンジョンで生き残るコツは現金になることだ。プラスとマイナスを正しく勘定できないことが続けば判断を間違えて大きな失敗をしてしまう。感情に振り回されないというのは才能のようにも思えるが、これはれっきとしたメンタルトレーニングの効果である。


「探索者やるだけならこっちの方が強いしなあ。それはそれとしてあの自分勝手な女神は一度お話をしないとね」


『マジで探索者やるために生きてるな……』


「気になることはたくさんあるけれど、あえて気にしないようにしてるんだ。ちゃんと感情を処理できる時にやってる。だからそういう不安とかはちゃんと解消できている」


『俺はちょっとそういう風になれないわ……』


「ならなくていい、ならなくていい。俺はやりたいことがあるからそういう風に振る舞っているだけで、自分の道にいらないことならやる必要は全くないって」


『そこまでしてやりたいことってなんなの?』


「……それは内緒。明日も筋肉痛が続くみたいだから、木炭でも焼いてみるよ」


 撮影画面を外の焚き火に向けて、ごろんと寝転がる。

 窓から差し込む月明かりをぼんやりと眺めて、届くわけがない星に手を伸ばし、ぎゅっと拳を握る。


 俺は、家を出たことを間違いだとは思わない。

 贅沢なことだと切り捨てられることは承知だが、実家で衣食住が揃った生活をしても大事なものだけは得られない。


 父さんがかつて夢見ていた万能薬の開発。父さんが死んでからは俺のものになったこの夢は、実家にいたままでは叶えられない。

 だから、これでいい。

 女にされてからちらついてた母さんの顔を脳内から振り払う。そうしていると、ペロリとシロガネがこちらの鼻を舐めてくる。


「ワン」

「やめろよ、くすぐったい。……わかった、わかったって。ありがとな」


 俺がシロガネを抱きしめてわしゃわしゃと撫でると彼は上機嫌に喉を鳴らすのだ。

 ほのかに暖かいシロガネを抱いたまま、俺はゆっくりと眠りに落ちていった。

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