ケニヤサハナム

上雲楽

背後

"月は笠着る、八幡種蒔く、伊佐我等は荒田開かむ

志多良打てと神は宣まふ、打つ我等が命千歳したらめ


早河は酒盛は、其酒富る始めぞ


志多良打は、牛はわききぬ、鞍打敷け佐米負せむ"


「アラブの北斗七星の民話って知ってる?」

 唐突に常世先輩に投げかけられた。町外れの喫茶店は静かで暴徒の影はない。

「急になんですか?」

「僕は君を含めた女の子たちに集中砲火を食らっていたからね」

と笑った。私たちの母校は仏教系の元男子校で、私たちが入学する数年前から共学になっていた。

「三人姉妹とそのお父さんがいたんだけど、お父さんが殺されるんだよ。それで、犯人を突き止めた三姉妹は夜になると黒い服を着て、お父さんの棺桶を先頭に、犯人の家の周りを回り続ける。犯人はその姿や泣き声におびえて、外に出られなくなる。三姉妹は犯人を許すことなく、今もその周りを回っている……。君たちが、先輩のせいですよ!って囲んできたことをまだ覚えているもの」

「先輩が、講堂の仏像の後ろの扉を開けてみようって言うから」

「冤罪だよ。提案したのは君らだってば」

私がわざとらしく宙を見上げ首を傾げてみると、先輩も冗談めかして、頬を膨らせてみせた。

「はは。すみません。でも気になったから。そういえば、その頭どうしたんですか」

喫茶店に入ったときには帽子を被っていてわからなかったが、先輩の頭はしっかりと剃髪されていた。

「実家を継いでね。生臭坊主だけれど」

「もしかして、講堂のあの扉の中に何があったのかも知ってます?」

「四人で一緒に見たじゃない。岩波文庫の千一夜物語。意味が分からなくてみんなで笑ったな」

「そうでしたっけ?そんな場所に本なんて入れるものなんですか?」

すると先輩が鋭い目を上げた。

「いいや、普通はありえないことだね。千一夜物語が入っていたのには意味を感じる。この前、円仁の入唐求法巡礼行記の中公文庫版とライシャワー訳の比較をしてたんだけど」

「円仁って、遣唐使の?」

私は、どうでも良さそうにレモン水をすすってみた。

「そう、最後の遣唐使。そして円仁が夢を見た一節、三千大千世界を計量することのできる秤を買う夢の話が、ライシャワー版だとカットされているんだよ」

「へえ」

私はスマートフォンを取り出し、『入唐求法巡礼行記』と検索してみた。『入唐求法巡礼行記研究会』というサイトを見かけて原文を表示しようとしたが、メンテナンス中とポップアップするだけだった。

「最近、それは夢じゃなくてカモフラージュかもって学説があってね。重要な仏宝だか経典だかを手に入れたけど、どうやらそれを隠しているんだって。先日、河南省で円仁の名前が入った石板が見つかったってニュースがあったでしょ。偽造かどうかで揉めていたけど、真実なら仏舎利を地中に隠したらしい。それなのに地中には仏舎利の容器も何もなかった。それにあの廃仏毀釈運動の中で素直に、仏舎利を隠しましたなんて石板に書くと思う?これは二重の目眩ましだよ。円仁はきっと何かを日本に持ち帰ったんだ。三千大千世界を量ることのできる何か……。これもきっとメタファーだよ。入唐新求聖教目録にも入っていない秘匿された経典……」

「それって陰謀脳ってやつじゃないですか?円仁の幻の経典?たしかにロマンチックですけど」

「これを見ればわかるよ」

先輩はカバンから黒いUSBメモリを取り出して渡してきた。

「何ですか?」

「僕は監視されているからね。それに君以外のあの女子二人もきっと」

「なんだか大げさですね」

「円仁が持ち帰った秘経ってことになっているけれど、それは違う。9世紀に書かれた千一夜物語の最古の写本。その漢訳だよ」

 家に帰りそのUSBメモリを開いてみると、確かに経典のスキャンデータのようなものが入っていた。何百枚にも渡るそれに漢字めいた文字列を認めることはできるが、達筆過ぎるうえに画数の多い漢字だらけで、文章どころか何の文字なのかすら認識できない。

 私は溜息を吐いて画像データ以外のファイルを開いてみる。文書ファイルは先輩の書いたレジュメ、あるいは日記のようなものだった。それによると、千一夜物語の語り手であるシャハラザードが耀魄宝について言及した物語が書かれているらしい。飛白書の解読は難しいだろうから和訳を記す、と書いてあるが、そのあとの文章は文字化けしていて読むことができない。文字化けの再変換を試みるが、エラーが表示されるだけだった。先輩が陰謀論に染まってしまったことは少しショックだった。こんなに凝った偽書のようなものを用意するなんて、それなりの知識、恐らく大きな組織による集合知が必要だろう。妙な宗教などにハマっているならなおさらショックだ。そのとき、子供の足音が後ろから聞こえた気がして振り返ったが、そこに誰かがいることはなかった。

 千一夜物語と北極星について検索してみたが、特に該当するような物語はなかった。レジュメでは中国神話が千一夜物語に流入し、その後失われた物語であると述べていたが、この怪文書にどれほどの信頼性があるのだろう。

 耀魄宝と聞いて、私は勤めている特別支援学校の行事で北極星の観測をしたことを思い出した。ほとんどの生徒は義務的に望遠鏡を覗くと、すぐに飽きてしまって、隅で談笑ばかりしていたが、熱心に望遠鏡を覗いている生徒がいた。

「星に興味があるの?」

と私が聞くと、車椅子に座った彼は静かに、

「ミトラ教に興味があるんです」

と話した。

 その車椅子の生徒は中国出身だが日本語を流暢に使いこなした。家では養蚕業を行っていて、すれ違うと独特の匂いがした。

 ミトラ教に北極星信仰なんてあっただろうかと疑問に思って、図書館で私はそれらに関する書物を漁っていると、奥のカウンターで、浮浪者が叫び声をあげていた。浮浪者が図書館で暖をとるのは珍しいことではないが、あの暴れ方は最近になって増えたものだ。しばらくして警官と、スーツを着た坊主の男が来て、その浮浪者を連行していった。警官が来たときには安堵を覚えたが、同時に、叫び続ける浮浪者を機械的に連行する警官たちに対して薄ら寒さも感じた。

 暴徒の増加により、都心ではガラスや銅像が破壊されたり、徒党を組んで叫び、街角を専有する様子が連日報道されていた。

 どうやら、ミトラ教がバビロニア占星術を中国に持ち込み、バビロニアの十二星座・二八宿と、当時の中国の十二支・二八宿が融合したらしい。そして、七曜とミトラ教の呪術的な側面が、中国道教における北辰信仰と結びつき、のちに、北斗妙見信仰へと発展し、北斗七星と七曜に関する占星術理論と摩多羅神の秘儀が栄えたと、文献にはあった。門外漢なのでよくわからないが、日本だと妙見菩薩と摩多羅神に北斗七星が結びついているそうだ。一体いくつの宗教がくっついているんだろう。千一夜物語も借りてみようと思ったが、全て貸出中となっていた。

 先輩のレジュメにも似たようなことが書いてあった。失われたシェヘラザードの物語は千一夜物語の最終盤にあたり、一種の終末思想が語られている、と。

 調べた文献では、ミトラ教と弥勒菩薩の関連と終末思想の流れには触れられていたが、妙見菩薩は関係しているのだろうか?妙見菩薩は優れた視力という意味を持ち、善悪や真理をよく見通すそうだ。円仁の夢、三千大千世界を計量することのできる秤を思い出したが、それはただの連想ゲームだ。それに千一夜物語のラストは王が改心してハッピーエンドだったはずだ。

 その数日後から、調べ物どころではなかった。ある生徒がアゲハチョウの幼虫を筆箱に入れていた。周りの生徒は叫び声を上げ、逃げまどい、教室から出ようとしたが、教室の後ろ側の扉は封鎖されているので、扉にぶつかり倒れ込んだ。車椅子の彼だけが、じっと幼虫を見ているだけで、動くことはなかった。皆に落ち着くよう呼びかけるが私の声は届かない。人心が荒廃している、と思った。この学校にも、大仏を建てた方がいいのではないかとイライラしていると、車椅子がギイギイ動き出した。彼はつまみ上げたその幼虫をビニール袋に入れ、私に手渡した。その間だけは、他の生徒たちは黙って彼を見守っていた。

 しかし、それから数時間、数日経っても、授業中に騒ぐ生徒が絶えることはなかった。貧乏ゆすりをし、足をガタガタと踏み鳴らす者。叫び声をあげる者。私の授業を聞いているのは車椅子の彼だけだった。その彼の視線が私は苦手だった。

 疲れ切った帰宅途中、悲鳴が聞こえて、乗っていた電車が止まった。窓の外を見ると路上の道祖神の像が破壊されていることに気がついた。電車の遅延、運休は近頃、よくあることだった。原因は人身事故だったり刃傷沙汰だったり様々だったが、周囲の人はいつも、どよめくことなく呆れたように自身のスマートフォンへと目を戻すだけだった。

 それから、うんざりしていた私は、常世先輩に電話をかけてみた。しかし、おかけになった電話番号は現在使われておりません、と自動音声が流れてくるだけだった。番号を確認してもう一度かけ直すが、同じだった。

 その週末、私は先輩の実家の寺に車を走らせていた。おかしかった先輩の様子から、自殺すら疑っていた。その寺には学生時代には何度か遊びに行かせてもらったことがある。先輩が嬉々として仏具や経典の説明をするのを聞き流していた記憶がある。

 寺は家屋と一体になっており、敷地面積は比較的大きい。駐車場に車を停めて門の前に立つと、後ろからくすくすと子供たちの笑い声が聞こえた気がした。インターホンを押すと一人の僧侶が出てきた。常世先輩の友人だと伝えると、僧侶は叫ぶかのような表情のあと、ゆったりとした素振りで私を中へと案内した。

 僧侶は先輩の父だった。私が僧侶に、先輩と再会したときの様子を説明しているとき、馬鹿め……部外者に教えて……と呟いたのを私は聞き逃さなかった。

「彼は監視されていると話してました。不躾で申し訳ないんですが、もしかすると何か妄想というのか、そういったものにのめり込んでいる様子はありましたか?」

「実際に、我々は監視されているんです」

僧侶はこともなさげに言った。

「監視されているのはあなたも同じです。見てしまったんですよね?千一夜物語の写本を。毛越寺にあったものは全て焼けましたが、あの写本は、毛越寺の地下で1732年、常行堂を再建した際に発見されました。それ以来、ずっと秘匿されていたんです。摩多羅神信仰を、それを抑えるための千一夜物語を、流布させる訳にいかなかった。摩多羅神は、秘匿し抑制されるほどに増殖するんです。15世紀に発見された千一夜物語の写本をフランス語に訳した、アントワーヌ・ガランに対しても、奴らは監視を行っていたはずです。だから、千一夜物語の後半部分は失われたことにしなければならなかった」

「何の話ですか?奴らとは?」

「ミトラ教の残党ですよ。牛を屠る太陽の神。シェヘラザードは荒ぶるミトラを夜に留め、処女を救済する。ペルシャ人は知っていたんです。シェヘラザードたちに語り継がせなければ、そしてその語りが隠蔽され続けていなければ、ミトラが蘇ることを。56億7千万年後に太陽が寿命を迎えるまで、『シェヘラザード』は増殖し、秘匿されなければならなかった。しかし、円仁の写本にガラン写本……。全てを隠蔽することは不可能だった。志多羅神上洛事件はご存知ですか?あの時期はまだ円仁の写本が入唐新求聖教目録に記録されていましたからね。その結果、ミトラは北斗七星をも取り込み、夜の世界さえ支配するようになった。もはや弥勒……いいえ、シェヘラザードによる救済は不可能かもしれない」

「私は監視なんてされて……」

言いかけて、車椅子の彼の視線を思い出した。単なるパラノイアなのは自覚している。

「最近の疫病についてもそうです。疫病をきっかけに、摩多羅神は再び、その存在を思い出された。いいや、摩多羅神が廃仏毀釈によって『摩多羅神』として認識されたからこそ、その力を取り戻し、障碍をもたらしたのか……。ガラン写本の出版から時期をまたず産業革命が起きたのは、偶然ではありません。太陽が、エネルギーが、『シェヘラザード』の領域を削り続けている。延年の舞、路舞は、千一夜物語の一節を踊りの形で輸入したものなんですよ。摩多羅神の力を抑えるために。摩多羅神が拡散する法則は、ユダヤの神と同じです。語るなかれ、見るなかれ。摩多羅神への語りと偶像こそが対抗手段なんです」

この父子はおかしくなっている。飲まれてはいけない。千一夜物語が摩多羅神を抑え込んでいた?そしてそれこそが摩多羅神を逆説的に活性化させる法則だった?それがミトラ教、かつて失われた神の信徒による陰謀であると?

「……ご子息はどこにいるんですか?」

僧侶は薄っすらと笑みを浮かべるだけだった。

 それからしばらく経って、ニュースで常世先輩が逮捕されたことを知った。容疑はいくつかの寺院への放火未遂。その寺は全て円仁が開基したものだった。先輩は動機を黙秘しているらしい。先輩が連行されている映像に映っていた私服警官は、髪を剃り上げていて、どこか僧侶を連想させた。

 その次のニュースで、現在の宮内庁にも語部が存在していたが、それが秘匿されていたと報道された。少なくとも戦後より前、もしかしたら古代からずっとその組織は維持されてきたのかもしれない。語られた祝詞は報道されなかったが、コメンテーターは寝物語でも話していたんですかねと茶化した。

 私はシェヘラザードのシステム、王を鎮めるための語りを確信したが、ヤマト政権の樹立した時代は千一夜物語の成立するずっと前だと気付いて、失笑した。単なるアナロジーに過ぎない。常世父子と同じく、既知の情報を都合良くパッチワークしているだけだ。

 共に仏像の後ろの扉を開けた学生時代の私の友人二人に、常世先輩が逮捕されたことを伝えようとしたが、電話は繋がらなかった。

 二人の名前を検索してみると、一人は爆破未遂で逮捕されていた。動機は黙秘しているが、犯行を図った場所は毛越寺。これも円仁の創設した寺だった。

 もう一人は新興宗教の開祖になっており、『山鲁佐德』を名乗っていた。調べてみると浄土宗系の団体で、太陽の暴虐を鎮める女性性の復活と他力本願を謳っている。教団は否定していたが、一部の報道では爆破未遂をした彼女もその幹部であったと伝えていた。

 彼女たちは常世先輩の妄想に取り込まれたのだろうか。しかし、その教団の設立は五年以上前、疫病が蔓延する以前のことだった。なぜこの段階で、私にはコンタクトがなかったのだろうか。教団が設立されたのは、ちょうど私が特別支援学校に勤め始めたころだった。その時期は精神的に参っていた。当時から、車椅子の生徒を毎年受け持っていた。そして、車椅子の生徒たちは皆、私をじっと見続けていた。

 不安に駆られて、かつて担任した車椅子の生徒の名前を検索してみた。SNSのアカウントがヒットし、その子は教団の信者であるとわかった。私は深呼吸する。これは偶然に過ぎない。

 私は、今受け持っている、あの車椅子の彼の名前も調べてみると、一つのレポートを見つけた。そのレポートは仏教系の読書サークルのホームページにあり、他にも会員の読書会の記録や論文が公開されていた。彼のレポートは『謀殺された円仁の秘経と摩多羅神信仰』だった。彼は間違いなく、知っている。

 そのレポートでは、三千大千世界を見通し制御する秘経が、ペルシャから中国へ渡り、それが日本へももたらされたと仮定して、それが摩多羅神信仰の拡散と弾圧に利用されたことを述べていた。千一夜物語の名前こそ出ていないが、真実に迫っていた。いいや、真実ではない。これは先輩の妄想に過ぎない。

 吐き気を感じてカーテンを閉めにいくと、窓の外がやけに赤かった。外を覗くと、遠くのビルに火が上がっている。私はそこへ駆け出した。

 鎮火されたビルは、焦げ臭さを残すのみだった。そのビルの一室は教団の集会所である。灰臭い空気を肺に満たすと、ふわりと知っている匂いがした。養蚕農家特有の匂い。ふと振り返ると、野次馬の中に車椅子の彼がいた。

「先生、どうしたんですか?」

「あなたこそどうしたの?」

「焼け出されちゃいました。いつか起きるとは思っていたんですけど」

彼は力なく笑った。

「ここで火事が起きるのは、決まっていたことなんです。僕がいますから。先生、教団について調べてますよね?やめたほうがいいですよ。触らぬ神に祟りなし、です」

背筋が強張り、彼の目を凝視する。

「あなた、何を知っているの?」

「自分もよくわからないんです。ミトラ教がどこまで拡散しているのか。近頃の暴徒は予兆じゃなく、余波な気がします……。末法の世が到来する……。先生も早く逃げた方がいいですよ」

 ミトラ教、と生徒が言ったとき、周囲の人々が一斉にこちらを振り向いた気がしてあたりを見渡したが、自意識過剰だった。

 群衆から視線を戻すと、すでに彼は野次馬の向こうに去り、その後、学校に来ることはなかった。

 蘇民祭の中止が報道されたのは、その少しあとだった。観光客や報道の増加による運営の困難が理由とされていたが、私はそれが単なる観光客ではないと知っている。私は信者たちのSNSアカウントを複数監視していた。奴らはいくつもの蘇民祭に訪れる予定だった。それは、歯止めのきかない疫病を終わらせるために必要な行動だとしていた。『山鲁佐德』は、動画のなかでこう語っていた。

「人心の荒廃はすでに閾値を過ぎました。末法の世が到来しています。弥勒菩薩が一切衆生を救済する速度は、光速に拘束されないのをご存知ですよね。対して、我々の語りはせいぜい秒速340メートル。太陽光はもちろん光速です。拡散していくミトラに我々が持ちうる手段は、語ることによる相互確証破壊ではありません。全てを消し去り、浄土の到来を……。約束された56億7千万年後の救済を、確実なものにしなければなりません。我々がすべきことはもうおわかりですよね」

 信者たちは毛越寺に集まった。毛越寺の二十日夜祭は、中止とならず規模の縮小に留まっていた。

 私も今、毛越寺にいる。たどり着くのは簡単だった。光の失せた、しかしその奥に殺意のような鋭さを感じる、同じ目つきをした人たちの流れを追うだけだった。毛越寺に近づくにつれて人々は増えていき、私が移動の渦から逃れることはもうできなくなっていた。

 篝火と星だけが辺りを照らしている。寺の周りを群衆が隙間なく埋め尽くし、叫び声が重なり轟音となる。人混みの中で身動きがとれない。私の声は誰にも届かない。意味を成す言葉を発することすらできない。

「オンコロコロシャモンダソワカ」

どこからかそんな声が聞こえた。もしかするとそれは私の声だったのかもしれない。

 篝火の上空に北斗七星が見える。そこへ信者たちは憎悪と畏敬の視線を向けている。もうじき延年の舞が始まる。これが終わりなのかもしれない。私には何もできない。ここにたどり着いたのは、この様子を語らされるためなのかもしれない。

 呻き声と怒号のなか、私は語る。全ての仏像や仏具、書籍が焼かれても舞が残ったように、語り継がれることを祈る。しかし、きっとシェヘラザードの語りは、写本が残されていなければ消え失せていたと思う。我々はとっくに敗北していた。

 私の視界に北斗七星が煌々と浮かび上がる。それを最後に私は目を閉じた。

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ケニヤサハナム 上雲楽 @dasvir

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