紋章のカニは、餅つきの模様を描くか?

オロボ46

本編・紋章のカニは、餅つきの模様を描くか?【前編】






 夜空を見上げてみると、満月が浮かんでいる。


 中でウサギが餅をついている、黄色く丸い、満月。




 ふと、胸の中に目を向けると、カニの木彫りが震えている。


 その額には、立っているピクトグラムの形をした紋章が、輝いていた。 




 ワタシはその紋章を、赤子を慰めるように左手でなでる。




 その下では、たくさんの人が集まっていた。


 みんな、上を見上げているけど……お月見って、みんな足を止めて月を見上げるのかな。


 特に……警官はまるでショックを受けているみたいに目を見開いているけど……




「……も、もしかして……生きているのか!?」




 ……あ。


 違った。




 みんなが見上げていたのは、満月じゃなくて、




 カニの木彫りを抱えて、商店街ののぼり旗に串刺しになっている……ワタシだった。





「おーい! “イザホ”ー!」




 子供の声が聞こえるとともに、人混みの中から小さな影が出てくる。


 涼しげな紺色の浴衣を着た、二足歩行で駆け寄ってくる白ウサギ……


 “マウ”だ……!




「買い出し中にベランダから落ちそうって聞いて焦ったけど、“彼女”はだいじょうぶー!?」


 マウの声に、ワタシは手にしているカニの木彫りを掲げる。

 それを見たマウは「よかったぁ」と、小さくかわいい右手でほっと胸をなで下ろす。


「……な、なあ、あの子の知り合いか……? あの子、血が一切出ていないのだが……」

「おまわりさんは気にしなくてだいじょうぶなの。イザホはあの程度では死なないんだから」


 戸惑う警官に、マウは説明してくれた。

 警官の言う通り、のぼり旗に貫通したワタシの腹は、液体の一滴もこぼれていない。人間であれば、赤い液体血液がのぼり旗に付着し、ドクドクと出てくるんだよね。


「内蔵とかはだいじょうぶなのか……?」

「それも平気だよ。というか、その前に早く引き抜いてあげてよ。ボクたち、腹ぺこなんだから」


 警官は「簡単に言われてもなぁ……」と、雑居ビルの2階に立てかけられたのぼり旗に串刺しになっているワタシを見上げていた。










 その後、警官や近隣住民の協力もあって、なんとかのぼり旗から引き抜いてもらった。


 ただ、さすがにすぐに開放されることはなく、マウ共々ともども、近くの交番にて事情徴収を受けることになっちゃったけどね。




 ワタシの名前は、屍江稻 異座穂シエイネ イザホ

 マウとともに、商店街の近くで私立探偵事務所を構えている。


 今回は、いつもお世話になっている人からの紹介で、その人の友人である木彫り職人の依頼を受けていた。

 どうやら、お月見の日に遠くで暮らしている家族が危篤状態になってしまい、ワタシたちに依頼が回ってきたのだ。


 その木彫り職人の住居は彼の仕事場でもある雑居ビルの3階。

 そこの留守番をするのが、今回の依頼。


 だったんだけど、カニの木彫りが落ちそうになって……


 手を伸ばしたワタシまでも落下し、下の階に立てかけられているのぼり旗に刺さる羽目になった。


 それでも生きているのは……ワタシは、人間ではないからだ。

 複数の死体のパーツがつなぎ合わせ、【紋章】と呼ばれる技術によって人格を持つ存在……


 ワタシは、ワタシ自身の存在を【フランケンシュタインの魔女】と呼んでいる。











「ふーっ、やっと開放されたよ」


 商店街の中にある雑居ビルを上がりながら、マウはのど元の紋章を青く輝かせながらつぶやいた。

 マウはウサギだけど、体に埋め込んだ知能を高める紋章によって二足歩行で歩き、のど元に埋め込んだ紋章から声を出すことが出来るんだよね。


「それにしても……あのおまわりさん、今日配属されたばかりの新人さんだったとはね。どうりでイザホのことを知らないわけだ」


 ……結構、近所の人でもワタシの正体を知っている人は少ないと思うけど。

 買い物袋を両手に階段を上がるマウを見ながら、カニの木彫りを抱えるワタシは思わず首をかしげた。


 まあ、気にしても仕方ないや。

 3階へと上がったワタシは、アトリエの扉へと近づく。




「それにしても、怖くなかった? “コヅキ”さん」




 ドアノブに手をかけようとした時、マウが声をかけてきた。


 すると、ワタシの胸の中でうずくまっていたカニの木彫りが、モゾモゾと動き出す。




「……うん。たたきつけられて木片バラバラになるかと思ったよぉ」




 自らの意思でワタシの顔を見上げるそのカニの木彫り……“コヅキ”さんの額には、疑似人格としての機能を持つ“人格の紋章”が、青色に輝いていた。




 コヅキさん……

 彼女は、依頼主である木彫り職人が作ったカニの木彫りに、紋章によって人格を持った存在。依頼主がワタシたちに留守番を頼んだのは、置いていくことになったコヅキさんが心配だったからだ。


 今回、ワタシとコヅキさんがベランダから落ちたのは、先に買い物に行ったマウと別れて、ワタシが先にアトリエに入った時に、驚かせてしまったから。

 知らない人に驚いたコヅキさんは、思わずベランダに飛び出して落下したのをワタシが手を伸ばし、一緒に落ちてしまった。


 ……今度からは驚かせないようにしなくちゃ。

 取り調べが終わってからは、ワタシたちのことを怖がっていないみたいでよかったけど。




「そういえばぁ……どうして、この人、黙りっぱなしなのぉ?」


 アトリエの中での出来事を思い出していると、コヅキさんは木製のハサミでワタシを刺しながらマウにたずねた。


「イザホはね、まだまだシャイなところがあるから無口なんだ。と言っても、ボクにはイザホのことは顔を見ただけで分かるんだけどね」


 自信満々に答えるマウに対して、ワタシは喉をなでる。

 さっきの警察の取り調べも、全部マウが答えてくれたからなぁ……あとでお礼を言っておかないと。


 そんな思いを胸の中でめぐらせつつ、ワタシは入り口の扉を開いた。







 木製の匂いが香るアトリエ。


 窓際に置かれた満月のような木製の巨大なフレームが、まっさきに目に入る。


 そして周りを見渡すと、ベッド代わりに使っていると思われる毛布が掛けられたソファー、たくさんの木材と木工用の道具、そして、作品たち。




「……すっごいごちゃってしているね」


 初めて見たアトリエの光景に、マウはあんぐりと口を開けていた。それに対してコヅキさんは「そう?」と不思議そうにつぶやく。


「これが普通じゃなぃ?」

「うーん、住めば都ってやつ……? いや、ちょっと違うか」


 改めて部屋を見渡してみると、マウが驚くのも仕方ない。

 依頼主はここを住居代わりにも使っているって言っていたけど……足元が木材だらけで、移動が大変じゃないかな……


「それよりも、早く下ろしてよぅ」


 コヅキさんが駄々をこね始めたので、とりあえず作業台のところに置いておこう。


「あ、イザホ。キッチンはさすがに独立型クローズドキッチンみたいだね」


 ふとマウは、入ってきた入り口とは別方向の扉を見て鼻をふすふすと動かした。


 ……もしも、キッチンまでもがこの木材だらけの部屋にあったら。

 火が苦手な死体であるワタシは、胸に埋め込んだ紋章で考えた妄想を打ち払うように首を振った。


「それじゃあイザホ、早くアレやろ!」


 そうだね。

 ずっとマウ、楽しみにしてたもんね。


「やるって……なにするのぅ……?」


 不思議に思ったコヅキさんに対して、マウは手に持ったビニール袋を上げた。




「餅つきだよ。今日、イザホと一緒にやろって約束したんだ」










 独立型クローズドキッチンの中は、雑居ビルの一室とあってか割りと狭く、コンロは大人ふたりが横に並ぶだけで埋まりそうだ。ひとり暮らしなら、このぐらいでも十分そうだけど。


「独立型にしているのはもちろん、コンロがIHコンロなのはさすが木材を扱う職人さんだね。ちゃんと意識してる」

「センセェ、言ってたよぅ。部屋を分けているのは、アタチに燃え移らないためだってぇ」


 マウの言葉に、アトリエの作業台に居座るコヅキさんが説明する。

 キッチンの中からも、アトリエの様子がガラス越しにわかるようになっている。腕のハサミを上げている様子が、手を挙げているように見えるのが微笑ましい。


「それで、何作るのぉ?」

「ふっふっふっ よくぞ聞いてくれました!」




 マウは「じゃーん」と、自信満々に手に持つビニール袋からそれを取り出した。




「……あ、カウンターに届いてないや。イザホ、持ち上げて」


 ワタシはコヅキさんが見えるガラスの高さまでマウを持ち上げた。




 マウが持っていたのは……餅米と、麺棒。

 ワタシの足元に置かれたビニール袋の中には、きな粉やかたくり粉が入っている。




「これで、餅つきするんだよ!」

「……それだけでぇ? もっと大きいうすきねが必要でしょぅ?」


 コヅキさんの疑問に対して、マウはちっちっちと首を振る。


「これができちゃうんだなぁ……それじゃあイザホ、始めよっか!」


 ワタシはマウを1度床に下ろして、うなずいた。




「……あ、コヅキさん。コンロと同じ高さぐらいの、なんかちょうどいい台とかあるかな?」

「あ、それならセンセェが使ってたパイプイスがいいと思うよぅ。場所は――」




 コヅキさんが教えてくれたパイプイスをキッチンに移動させて、マウをその上に載せる。


「それじゃあイザホ、改めて確認しよっか」


 ワタシはうなずくと、左の手のひらに埋め込んだ長方形の紋章に触れる。


 半透明のディスプレイが、ワタシの手のひらに展開される。

 昔、紋章が普及する前のスマートフォンという機械と同等の機能を持つことから、【スマホの紋章】と呼ばれているものだ。


 ワタシはスマホの紋章で料理レシピのアプリを開き、炊飯器で行う餅つきのレシピを開いた。


「このレシピを見て思ったけど……スマートフォンは紋章で代用されたけど、炊飯器とかまだまだ現役の家電もあるんだね」


 マウはレシピをのぞきながらつぶやく。


 たしかに、紋章が発達する以前の時代から変わらない家電が存在している。

 紋章を炊飯器に使うことによる需要が多くなれば、また変わるかもしれない……という考察を、最近ネットで見たことがあるけど。




「さて、まずは……」 




 コンロとシンクの間に置かれているワークトップに置かれていた炊飯器から釜を取り出すと、マウが釜に餅米を入れる。


 そして水を入れて短時間で研いだら、水を入れ替え、普通のご飯を炊く時と同じように炊飯器にセットし、スタートの文字を押した。




「炊くまでの間、どうしよっか」


 マウの言葉を聞いて、ワタシは左胸人格の紋章に手を当てて考える。

 ……待っている間、アトリエの中を見てみようかな。




「ねぇ、よかったらこれ読むぅ?」




 コヅキさんが、作業台の上に置かれた小さな本棚から、1冊の本を、木製のハサミで取り出した。


 その本の表紙には、大きな満月の写真が写っていた。


「それって、満月の写真?」

「そぅ。センセェの作品作りの資料なんだよぅ。結局ボツになっちゃったけどぅ」


 本を差し出すコヅキさんに、マウは確認を取るようにワタシを見る。


「イザホ、読む?」


 ……ワタシは別にいいかな?

 満月だったら、今なら窓の外を見れば本物の月が見えるから。


「だったら、ボクに読ませて!」


 コヅキさんから本を受け取ったマウは、その場で立ち読みを始める。


 ……とりあえず、ワタシは明日のスケジュールの確認でもしておこっかな。

 左手の手のひらに埋め込んだ紋章に触れて、スマホのディスプレイを呼び出して時間をつぶした。




 餅米が炊けたことを知らせるアラームが鳴り響くと、ワタシとマウはキッチンに戻る。


 炊飯器から内釜を取り出し、ぬれ布巾の上に乗せる。

 ……これでよしっと。


「イザホ、ほいっと!」


 マウが投げてきたしゃもじを左手で受け取る。

 パシッと気持ちいい音にワタシの紋章が震えた。




「いよいよ、餅つきの始まりだよっ!」




 マウはそう宣言すると、手にした麺棒で餅を打ち付けた。


 


 ぺったん




 ぺったん




 なんどかついたのを確認して、ワタシは手にしたしゃもじで餅をひっくり返す。




 ぺったん




 ぺったん




 餅をひっくり返す。




 ぺったん




 ぺったん……




 大好きなマウと一緒に、餅をつく……

 なんだか、共同作業みたいで楽しくなってきた。









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