聖女の姉さん、お務め御苦労様です ~シャバの風は冷たい

アソビのココロ

第1話

 ぴゅう、と枯葉を舞わせる風が寒い。

 上着の襟を立てる。

 雪じゃなくてよかったと前向きに考えるべきか。

 足元がグスグスになるのは好きじゃないから。


「お世話になりました」

「もう戻ってくるんじゃないよ」

「……できれば戻りたくはないですね」


 平和な日々が続くなら、私がここに戻ることはないだろう。

 院長の乾いた笑いがうつろに響く。


「アリサはいい子だよ。ただ生まれた時代が悪かった」


 そうかもしれない。

 少なくとも私には否定する根拠がない。

 どっちにしても私の貴族としての未来は閉ざされた。


「……辛かったら戻ってきてもいいんだよ?」

「院長、戻ってくるなって言ったところじゃないですか」

「ハッ、そうなんだけれどもね」


 心配してくれているのはわかる。

 六年も一般社会から離れていたのだ。

 現在の世情はサッパリわからない。

 とりあえず家へ帰ろう。


「達者でね」

「院長こそお元気で」


 院長と別れる。

 しばらく歩いた後、ちらと振り返ったらまだ院長はこちらを見ていた。

 鼻の奥がツンとなったのは、シャバの風が冷たいせいばかりじゃない。


「アリサ姉さん。お務め御苦労様です」

「あっ、ヴィクターかい? 立派になったね。見違えたよ」


 一つ下の弟ヴィクターが、私の退院に合わせて迎えに来てくれたらしい。

 一五歳にもなれば、そりゃあ大きくもなるわ。


「オレ、学校では騎士科に在籍してるんですよ」

「騎士科? どうして領主科じゃないの?」


 ヴィクターはカーナル子爵家を継ぐ身だ。

 もちろん領主科出身でないといけないことはないが、騎士と領主では求められるノウハウが違う。

 人脈だって違う。


「父さんは姉さんが婿を取って、子爵家を継ぐべきだって考えてるんだ」

「えっ?」

「僕も父さんの意見に賛成だ」

「む、ムリだよ……」


 私は王立貴族学校で学ぶ機会を奪われた。

 誰が貴族だって認めてくれるだろう?

 それなりの婿なんて、常識で考えて来てくれるわけがない。


「実はオレは領主科の女子で仲のいい子ができてね。婿に来ないかって話があるんだ」

「そうなの?」

「ああ。だから姉さんが家を継いでくれると助かる」

「わ、わかった」


 シャバから六年も離れていた私に何ができるかわからないけど。

 可愛い弟のためだ。

 当主である父さんの意向もある。 

 役立たずと言われぬよう、精一杯頑張ろう。


「ただうちではミリーが反対してる」

「ミリーが?」


 ミリーは六つ下の妹だ。

 私の入院前はおねえさまおねえさまと慕ってくれたものだ。

 でも別れた時にはまだ幼かったから、ほとんど私のことなど覚えていないだろうなあ。


「ミリーは姉さんの処遇次第でカーナル子爵家を継ぐか他家に嫁ぐかの選択を迫られるだろう? 学校のコース選択の関係もあるから」

「ああ、そうだね」


 王立貴族学校には一一歳になる年に入学し、六年間通うことになる。

 最初の二年間は教養課程で全員が同じことを学ぶ。

 専門課程に分かれるのは三年目からだ。

 ミリーは遅くともそれまでに領主科を選ぶか淑女科を選ぶか決めねばならない。


「ミリーは来年入学だっけ?」

「そうだね」

「ミリーが子爵を継ぐ手だってあるだろう?」


 いや、貴族としての心得が全くない私が他家に嫁ぐなんて、それこそあり得ないか。

 まだ領主の方が可能性があると父さんは考えたんだろう。


「……学校に通えるのはちょっと羨ましいと思っちゃう」

「姉さん……」


 まあいい。

 家に帰って相談だ。


          ◇


 ――――――――――妹ミリー視点。


 不始末を起こして矯正修道院送りになっていたアリサお姉様が帰宅しました。

 わたくしに対して大きくなったねと、粗野でぎこちない挨拶をされました。

 全く貴族の令嬢らしくないです!


 お父様もお母様も、お姉様に婿を取ってカーナル子爵家を継がせる方向で考えているようです。

 そりゃあお姉様は学校にも通わず、浮世離れした修道院で更生に励んでいらしたわけですし?

 お姉様の今後のことが親として心配だというのはよく理解できます。

 そしてお兄様とわたくしを他家に出して繋がりを得ることで、三人の子を有効に活用できるという考えもわかります。

 お姉様がうまく婿を得られれば万々歳でしょう。


 でもそんなうまくいくはずがないでしょう!

 矯正修道院に六年も押し込められるような不出来なお姉様ですよ?

 六年って満期の矯正期間ですよ?

 誰が婿に来たがると言うのです!


 わたくしが他家に嫁ぐとしても、実家がバカにされていれば肩身が狭いではないですか!

 何故家のことに考えが及ばないのでしょう?

 お兄様が婿に出るならば、わたくしが子爵家を継ぐべきでしょう?

 お姉様の存在は知られぬようにして、領に閉じ込めておけばよいのです!


 お父様とお母様がやって来ました。

 カーナル子爵家の家長であるお父様の考えが絶対であることは理解しておりますが、わたくしの意見も聞いてもらわなければ……。


「本日、アリサが聖ヨマム女子矯正修道院から戻った」

「アリサ、よかった……」

「めでたいことだね!」


 お父様もお母様もお兄様も大歓迎です。

 いけません。

 わたくしが問題提起しなければ!


「ダメです!」

「ミリー、一体どうしたんだい?」

「お父様の考えでは、お姉様に家を継がせると聞きました。間違いないですか?」

「ああ、間違いない」

「いけません! お姉様は矯正修道院におられたのでしょう? 修道院出身者がカーナル子爵家の当主なんて知られたら、侮られてしまいます!」

「……事情を知らぬ者ならば、ミリーの言う通りかもしれぬが」

「そんな家とは付き合わねばよいのです。わかってくれる家もありますよ」

「他家との付き合いを制限するということですか? わたくしには納得いきません! チャンスを狭めてどうするのです! お父様お母様らしくもない考え方ではありませんか!」

「ミリー、説明するから落ち着きなさい」

「いいえ、落ち着けません! お姉様が何をやらかして矯正修道院行きになったのか知りませんが、何故お姉様にそこまで配慮せねばならないのか、わたくしには理解できません!」

「ミリー、黙りなさい」

「わたくし自身の将来にも大いに影響することなのです! 王立学校のコース選択の件もありますし、大体お姉様を……」

「黙れ」


 ゴツン!

 あっ……な、何?

 お姉様のゲンコツ?

 ふらふらする……。


「ヒール!」

「な、治った……」


 えっ? 回復魔法?

 お姉様は魔法が使えるの?

 だって魔法科の講義を受けているわけでもないのに?


「ミリー、言いたいことがあるかもしれないが、まずは父さんの言うことを聞こう」

「ヴィクターの言う通りだ。戦場では自分勝手な判断をしたやつから死んでいく」

「せ、戦場?」


 お姉様は何を言っているの?

 矯正修道院に閉じ込められていたんでしょう?

 混乱します。


「ミリー、いきなり殴ってすまなかったな。これが一番早いと判断した。悪く思わないでくれ」

「えっ……はい」

「アリサ、さすがの魔法だな」

「いえ、当然です」


 当然なの?

 あっ、回復とか治癒の魔法って聖属性が必要で、ほとんど使い手がいないのではなかったでしたっけ?

 お姉様って実はすごい人?


「ミリーにはアリサの事情を話しておくが、他人に漏らしてはならぬ。下手をすると処罰されることもあり得る。よいな?」

「はい、わかりました」


 今、わたくしの頭の中には疑問が渦巻いています。

 修道院と戦場と魔法が結びつかないのです。


「アリサは聖女なのだ」

「は?」


 聖女って、回復とか浄化とかを行う?

 御伽話の中だけの存在じゃないの?

 お兄様が説明してくれます。


「ミリーも就学前魔力検査を受けたろう?」

「はい」


 就学前魔力検査とは、王立貴族学校入学前に受ける検査です。

 専門課程に入った時に魔法科を選択する資格があるかを調べます。

 魔法科卒業者は宮廷魔道士や魔道具開発者など、魔法のエリートとして輝かしい未来が約束されます。

 残念ながらお兄様もわたくしも、魔法科入学に必要な魔力はありませんでしたが。


「姉さんは就学前魔力検査で、聖属性の素質と莫大な魔力が検出されたんだ」


 そこまでは予想ができます。

 だって何の苦もなく魔法を使えるんですもの。

 でも学校に通わず矯正修道院にいたのは、何か問題を起こしたからではないの?


「そして姉さんは聖女として聖ヨマム女子矯正修道院に徴用された」

「わ、わかりません」


 莫大な魔力が検出されたことと修道院に何の関係が?


「わからなくてもムリはない。我々も王家の使いと修道院長の説明がなければ知らなかったことだ」

「当時ミリーはまだ小さくて寝ちゃってましたからね」

「聖魔法の使い手が貴重なのはミリーも知っているだろう?」

「それはもちろん」


 魔法科に在籍している学生もほとんどが、地水火風の四大元素のいずれかの属性持ちです。

 回復魔法を使える聖属性持ちなんてほとんどいないはず。


「えっ? 待ってください。お姉様は聖属性でかつ莫大な魔力持ちですか?」

「そうだ。我が国にとって極めて重要な存在であることは理解できるだろう?」

「は、はい」

「魔力量が少なければ、おそらく魔法科の選択が許されただけだったろう。しかし莫大な魔力量を持っていたことがアリサの運命を変えた。バルハチア王国との関係が険悪になっていたことも癒し手の重要性を高めていた。アリサは貴族であったのにも拘らず癒し手として徴用され、厳しい魔法の訓練を受けることになったのだ」


 そ、そんなことだったとは。


「聖女クラスの癒し手が最も重要視されるのは戦場だ」

「これは騎士科で聞いたことだが、一昨年のバルハチア戦役では『ヴェールの聖女』と呼ばれる、顔を隠した癒し手のおかげで人的損害をごく少なく抑えられ、大勝利したと。『ヴェールの聖女』とは姉さんのことなんだろう?」

「多分。バルハチアに従軍した癒し手は私だけだったから」

「一人だけ? どうして?」

「大きな戦になる予定はなかったんだ。私は魔力が大きいから一人で十分だろうって」


 ええ?

 バルハチア戦役って大激戦だったんでしょう?

 見通しが甘いではないですか。


「功を独占する形になって悪かったと思ってる」

「「「……」」」


 お、お姉様の感想はどこかおかしいです。


「何故お姉様の名前が出ないのです? 『ヴェールの聖女』なんて……」

「王家にとって崇拝されるべきは神と王だけであるからだ。民間の聖女なんて人気取りの存在は、王家にとって邪魔だ、という考え方もできる」

「ええ……」


 わかりますけど!

 理屈はわかりますけど!


「普通、貴族の子女の修道院帰りと言えば、何か不祥事を起こしたんだろうと思われる。最長六年間の矯正期間を経て実家に戻される」

「私は癒し手だから矯正修道院である必要はなかったんだけど、貴族出身者が普通の修道院にいるのもおかしいからね」

「莫大な魔力を持った癒し手だからだ。アリサの存在は秘匿されていなければならなかった」

「おかしいですわ! お姉様は何も悪いことをしていないのに、矯正修道院帰りの汚名ばかり背負っているわけではないですか!」


 現にわたくしも勘違いしておりました。

 お姉様の名誉を回復しないと!


「最初に言ったな? 他人に漏らしてはならぬ、処罰されることもあり得ると」


 そ、そうでした。

 神と王以外に崇拝される存在なんているべきではないから?


「どうにもならないのですか? お姉様が可哀そうです!」

「カーナル子爵家からアクションを起こすことは許されない。しかし……」

「わかってくださる方もいるのですよ」

「「えっ?」」


 これについてはお姉様も意外そうです。


「姉さんが貴族学校に入学しなかったことと、突然現れた『ヴェールの聖女』を結び付けて考えている者はいるってことさ」

「アリサは癒し手として修道院行きになったのではないか、という問い合わせはいくつか来ている。当家として言えることは何もない、と返答している」

「聖属性持ちのため修道院に徴用されるなんて、ほとんど平民ですよ。貴族の絶対数は少ないんですから」


 ……つまり、お姉様がカーナル子爵家を継ぐなら、誼を結びたい有力貴族はあるということですのね?

 だからお姉様を跡継ぎに据えると。

 ようやくお父様お母様の考えを理解できました。


「いくらヴェールを着けていても、実際アリサに救われた者の中には『ヴェールの聖女』だと気付く者はおそらくいるだろう。アリサの社会的地位が上がることはあっても、下がることはない」

「よくわかりました」

「私も今説明されてようやく理解できたよ。この家にいていいんだね。私のやってきたことが認められたみたいで嬉しいな」


 今日初めてのお姉様の笑顔です。

 ……お姉様笑うと美人ですね。


「ですからミリー。あなたは淑女科を……」

「わたくしは領主科を選択します」

「「「「えっ?」」」」


 わかりませんか?


「まあコース選択の期限までは二年もあるから」

「お姉様、聖女の数は足りているのですか?」

「聖女と言うか、癒し手の数は足りているよ。もっとも私の魔力量はバカみたいに多いから、何かあった時には協力してくれと修道院長に言われているけど」


 貴族出身者でかつ癒し手の中で桁違いに多い魔力。

 『ヴェールの聖女』としての秘された名声。

 そして特定の相手なし。

 決まりではないですか。


「やはりわたくしは領主科を選択します」

「……まあ領主科でも悪いことはない」

「ミリー、領主科は座学が大変だよ」

「望むところです。それよりお姉様、礼儀作法を何とかした方がよろしくてよ」

「え? うん」


          ◇


 数日後、王家から非公式にサイラス第一王子とアリサの婚約が打診された。


「驚いた……ミリーはこれを予想していたのか?」

「王家がお姉様を囲い込みたくなるのは当然ではないですか。お相手がサイラス殿下というのは意外でしたが。殿下は既に婚約していらっしゃるのでしょう?」


 我が国はバルハチアとの関係が悪かったこともあり、サイラス第一王子は反対側の隣国マステニの王女と婚約している。


「マステニの王女は我が国に馴染んでいないとの噂は聞いた」

「いや、馴染んでないことはないよ。でも男女関係に関して奔放と言うか。留学生として通ってる学校でもいい噂を聞かない」

「婚約解消は既定路線のようですね。近々発表されるのでしょう」


 サイラス第一王子とアリサの婚約が決まれば、アリサが『ヴェールの聖女』であることはリークされると思われる。

 貴族学校にも通っていない子爵家の娘が第一王子妃なんて不条理だから。

 しかしアリサの素性を明かすことで、戦場で救われた軍や騎士団の圧倒的な支持を得ることができる。


「いいお話ではないですか」

「お妃教育が急ピッチで進められるだろうな」

「うえええええ……」

「姉さん頑張って。サイラス殿下はハンサムで感じのいい方だよ」

「知ってる。殿下が戦場に慰問に来た時に会った」

「お姉様、礼儀作法が先ですわよ」

「うえええええ……」


          ◇


 サイラス第一王子が『ヴェールの聖女』の献身的な働きに感銘を受け、自らの妃として望んだとアリサが知るのは後のことだった。

 厳しい訓練を経、戦場で強靭な精神を培ったアリサであったが、聞き慣れぬ愛の囁きを耳にして混乱するとは、自分でも考えていなかったそうな。

 めでたしめでたし。

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