第2話

 お昼寝から目覚めると、夕日が窓から差し込む部屋はオレンジ色に染められていた。

 父が亡くなってからというもの、小窓が一つしかない屋根裏部屋に押し込められていたリリアーナは、久しぶりに与えられた広々とした部屋に開放的な気分になりつつ、伸び伸びと背筋を伸ばすとベッドから抜け出す。


「さてと。ついに、未来の旦那様とのご対面ね」


 気合いを入れて身支度を整えようかと鏡台の前に立ったところで、ノックが聞こえ返事をすると昼間部屋まで案内してくれたメイドが入ってきた。

 スラッと背の高い彼女の名は、確かオリビアだったか。


「夕食のお召し物はこちらでいかがでしょう」

「わぁ、かわいい!」


 オリビアは淡いピンクの清楚なドレスを見繕い、リリアーナのプラチナブロンドの髪を、ブラシで優しく梳いてサイドを編み込みリボンで纏めてくれた。

 優しく壊れ物に触れるような扱いが、少しだけくすぐったい。


「あ、あの、こんなに良くしていただいて……ありがとうございます。嬉しいです」

 こんなに風に丁重に扱われたことのなかったリリアーナは、少しはにかみながらも、鏡越しに目の合ったオリビアへお礼を伝えた。


「いえ、私はなにも……」

 だが、目が合うとオリビアは、やはりなにかやましいことでも隠しているみたいに、気まずそうに視線を逸らしてしまう。


 自分が曰く付きの娘だという事実は、育てられた伯爵家の一部の人間しか知らない秘密だったのだし、そういう理由で怯えさせているわけではないと思うのだけれど……


「さあ、食堂へご案内致しますわ。そろそろ陛下のお支度も整っていることと思いますので」


 少し早口でそう言われ、そそくさと部屋を出て行くオリビアの背を、リリアーナは慌てて追いかけた。




「あ、あの! 陛下って、どんなお方なのですか?」

「えっ!?」

 廊下に出て歩きながら聞いたリリアーナの質問に、オリビアの声が裏返る。

 自分の夫となる方のことを、なにも知らないで嫁ぎにきたのかと、呆れられてしまっただろうか。


「恥ずかしながら、わたし生まれ故郷から出たことがなかったので、異国の情報には疎くて……勉強不足でごめんなさい」

 故郷というか、屋敷からほぼ出してもらえない半幽閉のような生活を送っていた、というほうが正しかったが……それを言うと警戒されてしまうかもしれないので黙っておこう。


「そ、そんな! リリアーナ様は、なにも……なにも悪くありませんわ」

「オリビアさん?」

「……本当に、なにもお聞きにならないまま、こちらにいらしたのですか?」

「はい」

 オリビアの探るような視線に首を傾げながらも、リリアーナは素直に頷いた。


「そう、ですの……お可哀想に」

「え?」

 オリビアがなにかぼそりと呟いたけれど、小さすぎるその声はうまく聞き取れなかった。


「陛下は……」

「陛下は?」

「陛下は……その、麗しくクールで頭の切れるお方ですわ。とても十八とは思えぬ風格で……」

 良く出来た人物のようだがメイドの反応を見るに、それだけではなく相手に畏怖を与えるような存在なんじゃないかとリリアーナは思った。


 まさか、国王だけは魔王のような見た目だったり?

 物語の挿絵でしか見たことのない魔物の姿を思い浮かべ、リリアーナは国王エドワードに興味を惹かれたのだが。


(でも、麗しいってことは、全身剛毛に覆われた獣とかではないのよね。たぶん。じゃあ、怖いのは見た目以外?)


「あの……やはり、お不安でしょうか。その、陛下と対面するのは……」

 急に黙り込んだリリアーナが、頭の中でくだらない妄想をしていたことなど分からないオリビアは、心配そうにこちらの様子を伺っている。

「いいえ、とっても楽しみですよ。わたしみたいな者を花嫁にしてくださるなんて」

 リリアーナが、ニコニコと答えた時だった。


「あ、オリビアさ~ん!」

 ハニーブロンドの長髪を揺らし、メイドの娘が一人可憐な小走りでこちらにやってきた。

「マーガレットさん、廊下を走ってはいけませんよ」

 オリビアに指摘され、マーガレットと呼ばれた娘はごめんなさいと軽く謝る。


「それで、どうしましたの?」

「陛下から伝言を頼まれて。自分は夕食を部屋で済ませるから、婚約者さんはお一人でどうぞっですって」

「ちょっ、ちょっと!?」


 マーガレットは、少し後ろにいたリリアーナの存在に気づかなかったのか、明け透けなことを言ってきたので、オリビアが慌ててそれを制した。


「え、きゃあ、ごめんなさい。もしかしてオリビアさんの後ろにいる人が、陛下の新しい花嫁さん?」

「新しい?」

「もう、マーガレットさん!」

 新しいという言い方に疑問を感じたが、それを聞き返す間も与えられず、さらに大きな声でオリビアがマーガレットを止める。


 すると「いけない、私ったら」と、大きなエメラルド色の瞳をよりまん丸にして、マーガレットは自分の口を両手で塞いだ。


 だが、今更取り繕ってもはっきりと聞いてしまった後だ。

 新しい花嫁ということは、エドワードには過去リリアーナの前にも別の花嫁がいたのだろう。

 それだけじゃない。城にいるにも関わらず、新しい花嫁のリリアーナと顔を合わせる時間を作る気はなく、勝手に一人で食べてくれと言っているようだ。


(わたし、歓迎されてない?)


 察するにそういうことなのだろう。


「あ、ごめんなさい。わたくし、もう行きますね。エドワード陛下のお部屋へ、夕食を持って行かなくちゃいけないので」

 マーガレットはとっとと自分の仕事へ戻っていってしまった。

 オリビアだけが気まずそうな顔をしている。

 元々、なにかあるなと察しての嫁入りだったのだ。そんなに気を遣わなくてもいいのに。


「えっと、わたしはどこで夕食を取ったらよいですかね?」

「そ、そうですわね……食堂は、お一人で食事を取るには広すぎますので、お部屋にお運びしましょうか」

「じゃあ、それで。お願いします」


 特に気にする素振りもなく、ニコニコと頷いたリリアーナの態度を見て、オリビアはほっと肩をなで下ろしたようだった。

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