当て馬令嬢のジョブチェンジ
円夢
当て馬令嬢のジョブチェンジ
カツ――ン……。
大理石の床に硬質な音を立てて、黄金のペンダントヘッドが転がった。
私、アリーチェ・ソルダーノ侯爵令嬢が初めて王宮に上がったその日、王太子殿下が手ずからかけてくださった首飾り。
そのチェーンが、たった今切れたのだ。
いや、正確には引きちぎられた。目の前に立つ金髪碧眼の美少女――ラーラ・ザネッティ侯爵令嬢の手によって。
光と影。太陽と月。金と黒。
見た目も性格も正反対の二人の令嬢が、王太子の寵愛を巡って競い合う様子は、連日のように面白おかしく王宮の内外で取り沙汰された。
金髪碧眼、愛らしい顔立ちのラーラと、黒髪紅眼、地味な顔立ちのアリーチェ。
王宮主催の舞踏会や国賓を迎えての晩餐会など、華やかな席には決まって伴われるラーラと、長丁場の議会や被災地の慰問など、重要だが地味な公務に限って駆り出されるアリーチェ。
――要は、目立つこと、美味しいことはすべてラーラの担当、面倒なことや辛いことはすべて私の担当ということだ。
カラン、カラン、カララララ……。
床に落ちたペンダントヘッドが弾み、回転しながら壁のほうへ滑っていく。その様子を見るともなく目で追いながら、私はふと首を傾げた。
――あれ? 私って、都合よく利用されてるだけじゃね?
てか私、何でこんなとこにいるの?
さっきまで親友のアパートで、DV彼氏と対決してたよね?
本命は別にいるくせに、親友の優しさにつけこんでキープした挙句、利用するだけ利用して、気に入らないとすぐに暴力をふるう最低男。
そいつを相手に「今すぐ彼女を解放しろ、さもなきゃ出るとこ出てやるから」って啖呵を切って、そしたら逆上したあの男が台所から包丁を持ってきて……。
――あー、なるほど。これが噂の異世界転生。
そして転生先は、見事に前世の親友と被る立場の女の子だった。
私はおもむろに記憶を辿る。
〈アリーチェ〉は不遇な少女だった。
由緒ある侯爵家に生まれながら、父母は跡継ぎの弟しか愛さず、何とか両親に認められようと学業に励むも、なまじ優秀だったばかりに王太子に目をつけられてしまった。
前世の記憶がある今ならわかる。あの王太子は最低だ。
アリーチェが愛に飢えていることを知るや、優しい言葉と贈り物で彼女を籠絡。妃候補として王宮に召し上げた。
そうして、彼女が完全に自分を信頼し、依存しきったタイミングで、もう一人の王太子妃候補としてラーラを王宮に迎えたのだ。
アリーチェが傷つき、怯え、唯一の心の拠り所である彼を失うまいと必死に縋る姿を見たいという、ただそれだけの理由から。
……カラン。
王家の紋章が入った黄金のペンダントヘッド。王太子妃候補の証であるそれが、壁に当たって動きを止めた。
王宮の廊下ですれ違いざま、ラーラがわざと袖口をひっかけて千切ったものだ。
落ちた拍子に欠けたのだろう。中央に嵌まった魔石は色を失い、ただの水晶に戻っている。
「まあ。ごめんあそばせ」
馬鹿にしたように謝るラーラに、つき従っていた侍女たちが「さすがにあれはやりすぎでは」と、青くなって固唾を呑んでいる。
けれど、このところ毎日のように王太子と過ごしていたラーラは、すでに自分の勝ちを確信しているのだろう。
「でも、こんなふうに〈証〉のペンダントが壊れるなんて。貴女はやはり殿下のご寵愛を失ってしまわれたのかもしれませんわね」
「ええ。まったくもって、ラーラ様のおっしゃるとおりですわ」
「そうやって、貴女はいつも私の忠告を無視して………えっ?」
ほぼ自動的に私の反論を封じようとしたラーラは、一瞬、言われたことが理解できなかったのだろう。呆気にとられた顔で私を見た。
私は彼女ににっこり笑いかけ、「ですから」と言葉を継ぐ。
「〈証〉のペンダントと共に、殿下の寵愛を失った私は、本日ただいまをもちまして王宮を去ることにいたします。どうぞ、殿下と末永くお幸せに」
「あっ……え、でも」
慌てたようなラーラの声を背に、私は貴婦人として許されるぎりぎりの速度でその場を去った。
自室に戻り、鍵をかけ、自力でドレスを脱ぎ捨てる。
寝台の足元の櫃を開け、被災地を慰問に行くときの装備を出して身に着けた。
恋愛にはぽんこつな〈アリーチェ〉だが、知力と体力は一級品だ。
飢饉で全滅した村に
頼りにならない王宮騎士団に代わり、実際に魔物を討伐してくれる人々を支援する「冒険者ギルド」を立ち上げた。
周辺国の重鎮と話し合い、魔物の害に対する相互扶助の仕組みを作り上げた。
自ら先頭に立って未踏破のダンジョンを探索したことも、一度や二度の話ではない。
そんなアリーチェが本気になれば、王宮を脱け出すことなど造作もなかった。
まして彼女を王太子に縛りつける〈隷属の首飾り〉が破壊された今、王太子にも、この国にも未練など欠片もない。
「待って!」
風に乗って、ラーラの悲鳴にも似た声が聞こえてくる。
「行かないで! 貴女がいなくなってしまったら、私――……」
遠からず、王太子は別の妃候補を王宮に連れてくるだろう。
そうして新しい令嬢を寵愛し、ラーラを「飽きられた元寵姫」の地位に落とすのだ。
そういうやつだ、あの男は。
けれど、華やかに着飾ることしか能がなく、公務も、まして体術の心得もないラーラには、アリーチェと同じ方法で王宮を脱け出すことは不可能だ。
「貴女が逃げたら、実家のご両親はどうなるの?」
責めるようなラーラの声に、私は束の間足を止める。
血の繋がった父母ではあったけど、愛された記憶は皆無だった。
そのくせ、王太子妃候補になった途端、掌を返して猫撫で声で擦り寄って来た顔と声………。
――うん、未練は全然ないね。
愛馬を引き出し、裏門に行けば、顔馴染みの門衛が恭しく敬礼してくれる。
「お出かけですか」
「ええ」
私は馬上で屈みこみ、彼の耳に口を寄せた。
「ここへはもう戻らないわ」
彼はかちゃりと面頰を上げた。精悍な顔の口許がふと緩む。
「どうかご無事で」
「あなたもね」
寂れた門を守るこの衛士が、かつては王宮騎士団長だったことを私は知っている。
〈アリーチェ〉に対する酷い仕打ちを王太子に諫言したために、閑職に追いやられていることも。
遠く、背後の王宮で人々の騒ぐ声が聞こえてきた。
どうやら追っ手がかかったようだ。
衛士はすらりと剣を抜いた。
「お行きなさい。ここは私が食い止める」
「でも」
躊躇う私の指先に、彼は素早く口づける。
「ご安心を。済んだらすぐに追いつきます」
驚き息を呑んだときには、愛馬は走り出していた。彼が平手で思い切り馬の尻を打ったのだ。
これはもしや、期待してもいいのだろうか。
辛い遠征に出るたびに見送ってくれた彼の眼に、疲れ果てて戻るたびに差し出された彼の手に、労わり以上の気持ちがこもっていたことを。
次第に高鳴る胸を抱え、私は馬を走らせ続ける。
彼は見つけてくれるだろうか。
隣国に亡命し、名前を変えて冒険者ギルドに登録した私のことを。
共に探索してくれるだろうか。
恋愛ゲームの舞台みたいな王宮から、RPGの舞台みたいな世界に飛び出しても、変わらぬあの目を、微笑みを、私に向けてくれるだろうか。
恋愛ゲームの当て馬から、RPGの冒険者にジョブチェンジした私が、元騎士団長にして後に国王となる彼と再会を果たすのは、もう少し先の物語――。
当て馬令嬢のジョブチェンジ 円夢 @LuciusVorenus
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