左利き

ミドリ/緑虫@コミュ障騎士発売中

左利き

 俺は右利き。俺が密かに好意を抱いている同期の佐倉は、左利きだ。


「なあ吉野。一緒にランチ行こうよ」


 と声を掛けられてランチに向かい、「お二人様ですね、カウンターへどうぞ」なんて案内されると、何故かあいつはいつも俺の右側に先に座って、俺をあいつの左側に座らせる。


「なあ、これ美味しそうじゃね?」


 なんて言って顔を近づける佐倉にいつも俺が心臓を高鳴らせているなんて、きっとこいつは気付いてもいないんだろう。


 男同士だからって安心して距離が近くなる奴、案外いるもんな。


 ――例外がすぐ横にいるなんて、考えもしないでさ。


「唐揚げの甘辛煮? なんか濃そうだな。俺こっちの魚定食にする」

「えー? それじゃ定時まで保たなくね?」

「お前みたいな肉食系と一緒にすんな。俺はか弱い草食系男子なんだよ」

「ぶ、お前それ使い方絶対違ってると思う」


 なんてくだらないことを言い合いながら、注文をした。


 俺たちは同じ営業の部署に所属している入社三年目の同期。明るい佐倉は外回りで、若干内気な俺は内勤だ。


 大手ではないけど小さくもない会社だけど、俺たちが就職した年は採用枠が少ない年で、営業部に割り振られたのは俺と佐倉の二人だけだった。


 だからだろう。普通だったら接点のなさそうな太陽みたいな存在の佐倉は、いつも律儀に俺をランチやら飲みやらに誘ってくれる。


 定食がくるまでの間、先輩がどうのとか今あの案件がどうなったとか、お互いに情報交換をした。


 ここまでは普通の同期だ。


 問題は、いつもこの後に始まる。


「お待たせいたしましたー!」


 元気な店員さんが、俺と佐倉の前に定食が載ったお盆を置いた。


「お、うまそ」


 男臭いけどつい見惚れるくらい格好いい顔に惜しげもなく笑みを浮かべた佐倉が、俺の定食を覗き込む。これもいつものことだ。


「お、魚定食もうまそう」

「やらねーぞ」

「けちくせえな。交換するからひと口くれよ」

「俺はそんな油ぎったやつはいらねえ」

「ちえっ」


 佐倉は口を尖らせると、割り箸を割った。


「見ろよ、すっげー綺麗に割れた」

「あーよかったなー」

「感情一切籠ってないよな」

「いいから食えよ。あと三十分しかない」

「え、まじ」


 そんなこんなで目の前の定食に向き合うのが、いつもの俺たちのスタイルだ。


 ……なんだけど。


 俺は右利き、佐倉は左利き。佐倉はいつも自分が右に座ると言い張るから、当然のことながらカウンターに並んで座ると二の腕が触れたり肘がぶつかり合ったりする。


 しばらくは魚定食に集中していたけど、佐倉の腕があまりにもピッタリと俺の腕にくっつくものだから、やっぱり気になり始める。


「吉野、ここの定食うまいな?」

「お……おう」


 前に何度か左右を交換しようと言ったけど、無駄だった。佐倉曰く、「食べにくい? そう? 俺は全然そう思わないから、吉野が俺を意識しすぎてるんじゃないの?」だそうだ。


 ……いや、普通に食べにくいだろう。


 なのに佐倉は、俺の二の腕に佐倉の二の腕をいつもさりげなさを装って触れてくるんだ。


「ひと口欲しいなあ。あーん」

「やらねえって言っただろ……」

「吉野はくれるって信じてる」

「お前な……」


 半分開けた口に笑みを浮かべられると、それがもっと嬉しそうになる姿を見たくなって、結局は口の中に放り込んでしまうのが俺のデフォルト。


 今日も根負けした俺は、佐倉の口に魚の一番うまそうなところを箸で掴んで差し出す。魚を箸ごと口に含むと、佐倉が幸せそうに微笑むのもデフォルトだ。


 箸を唇でホールドした後、ゆっくりと口を開くと赤い舌で箸の先をツー、と舐めるのも。


「……ん、美味しかった」

「そりゃーよかった」


 俺の顔は赤くなってないだろうか。


 この後、俺は残りの定食をこの箸で食わないといけない。以前箸を取り替えようとしたら、「俺そんなに汚い?」と悲しそうに言われてしまったから。


「吉野、今夜暇? 飲みに行かない?」

「暇は暇、だけど」

「じゃあ決定な!」


 二の腕をくっつけながら、佐倉が嬉しそうに返す。


 俺の耳元に顔を寄せると、小声で囁いた。


「よかった。俺と吉野の大事な話があったから」


 瞬間、米粒が喉を逆流して咳き込む。


「ゴホッ! ゲホッ!」

「あー、落ち着いてってば」


 佐倉は俺の背中を撫でた。そこは背中じゃない、腰だ。……ちょっと待て、脇腹に手を回すんじゃない、変な気持ちになるだろ。


「……佐倉、飯食おうよ」

「うん、そうだね! ちゃんと食べて仕事を定時で終わらせたら、俺と二人で飲みに行かないとだからね」


 佐倉は脇に回していた腕を戻すと、再び二の腕をくっつけながら定食の残りを掻っ込み始める。


 ゴクンと呑み込む喉仏には、エロティシズムしか感じられない。


 ――佐倉の距離があまりにも俺にだけ近いから。


 だから佐倉に惚れてしまったのは、決して俺のせいじゃない。


 今夜聴く筈の大事な話って、まさかそうだろうか。


 大きな期待に、心臓が高鳴るのを止めることができなかった。

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