マクスウェルの悪魔

@sky-walker

第1話 がん発覚

 これは僕と彼女だけが知っている、宇宙の秘密についての物語だ。

 こう書くと誇張っぽい表現だが、あながち間違いではないと思う。僕は彼女と出会うまで、まあ平凡な人生を送ってきた。僕は地方の工業高専を卒業した後、二〇歳で化学メーカーに就職した。製造部門でプラント操業の仕事をして、人並みの収入を得てきた。とはいえ夜勤もあるし、大量の危険物を扱う関係で、半年に一度、健康診断が欠かせない。そう、彼女と出会うきっかけは、あの忌まわしい健康診断だったのだ。あれは確か、二七歳の時の健康診断だった。健診バスの中でレントゲン写真を撮った時、肺の内側のあたりに不吉な白いモヤが見つかったのだ。


「すぐに精密検査を受けるべきです」と産業医の先生に言われた。

 そう言えば最近、胸が苦しく、せき込むことが増えていた。でも僕は流行りの風邪をこじらせただけだろうと考えていた。コロナウィルスとかそういうやつだ。

 僕は仕事の関係で有機溶媒はよく使うが、暴露しないように安全対策はしている。タバコは一切吸わないし、酒はたしなむ程度。休日には足が訛らないよう、欠かさず一時間以上散歩をしている。交代勤務で生活リズムが不規則なのは否めないけど、僕の身体にはどこも悪いところなんかない。そう信じたかったが、僕は会社に事情を説明して、K**市中央病院で精密検査を受けることにした。CT、MRI、血液検査、尿検査、肺活量測定等、とにかく色々な検査を受けさせられた。


 診察室では白衣を着た中年の医師がパソコンの画面に向かっていた。

「一ノ関さん、気を落とさずに聞いてほしいのですが」と前置きして医師は言った。「あなたの肺の内側にね、悪性腫瘍が見つかったんです」

「悪性腫瘍」と僕は呟いた。「それは、がん、みたいなものですか」

「まあ、平たく言えば、そうです」と彼は言った。

 それから、聞いたこともない、よくわからない病名を告げられた。

 胚細胞腫瘍? 俺の細胞が突然変異か何かで無秩序に増殖して、俺自身の身体を蝕んでいる。あろうことか転移までしている。早く見つかって良かったのか、それとも死の烙印を押されたのか。

「このまま腫瘍を放置した場合、一年ともたないでしょう」と彼は言った。「大がかりな外科手術が必要です。今すぐ仕事は休むべきです」

「それほど深刻なんですか」と僕は言った。「現状を教えてください」

「一ノ関さん、あなたの胸、いやお腹と言うべきか」

彼は言葉を慎重に選びながら言った。

「人間のパーツがね、バラバラの状態で成長しているんですよ。皮膚とか目玉とか、脂肪とか骨とか、そういう人間の出来損ないが袋の中にぎっしり詰まっているわけです。場所が場所ですし、非常に厳しい状況と言わざるを得ません。まずは抗がん剤と放射線の複合治療を受けて頂きます。それから外科手術を計画しましょう」

「それで、助かる見込みはどれくらいありますか?」

「この際なので、きちんとお話ししておきましょう」

彼は僕の目をまっすぐ見て言った。

「私がこの場で都合の良いことばかり言っても、後で事実とのギャップに苦しむだけです。まずはありのままの現状を知って頂いて、納得した上で治療に進みましょう。私の見立てでは、あなたの五年生存率は三、四割といったところです。治療中、短期的に命を落とす可能性もゼロではありません。しかし、我々もベストを尽くします。どうか自暴自棄にはならないでください」

 僕はその日、ちょっとした興味で、ドラッグストアで買ってきた妊娠検査薬を使ってみた。まさかな、と思っていたが、そのまさかで陽性が出た。僕はこの世で最も醜い化け物の「母親」になってしまったらしい。僕は自分の運命を呪った。

 死刑を宣告されたみたいな、最悪の気分だった。

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