第八話 告白は食事の後で(その六)

 頸椎が折れたことを確かめると、俺は両手の力を抜いた。

 おまえは間が悪かったよ、門井。最初は見回りに来るあの先生を此処に呼ぶつもりだったんだ。

 流石に二人同時に相手は出来ない。どちらか片方と二人きりになるには門井の方が都合が良かった、ただそれだけだったのだ。

 放課後に居残っていたのも、俺に興味を持つ相手を待っていただけだった。忘れ物を取りに来た隣のクラスの男子とか、あるいは先輩を捜しに来ていた下級生の女子とか、人気の無い校舎の中でやって来る者は意外に居る。そして思って居た以上に見つかりにくい。

 動かなくなった門井を屋上のコンクリートの上に置き、そして衣服を脱がせた。下着は勿論、靴や靴下まで全部だ。他意は無い、ただ単純に邪魔だからだ。そしてあらぬ方向に曲がってぐらぐらと動く頭もまた思いの他に邪魔だった。だがもう、馴れたものだ。そして俺も服を脱いだ。着ている物を汚したくはなかったから。

 一糸まとわぬ裸身が目の前に転がっている。綺麗なものだなと思った。そしてコレが見納めだとも。

「ぐっ」

 唐突な腹痛に悶絶する。腹の中でのたうつ様が気色悪い。ガサガサと身体の奥から音がする。腹部を押さえる掌へ、脈うち蠢くさまが直に伝わってくるのも閉口モノだ。鳥肌が立つ。慌てるな、あと少しだから待っていろと舌打ちした。段々、収まりが付かなく為ってきている。この数日で特に酷くなってきている気がした。

 ひょっとして、もうあまり猶予が無いのだろうか。

 門井の内太股、大腿静脈に齧り付いて体液を吸い上げた。喉の頸動脈でもいいがコチラの血管の方が太いからより手っ取り早い。先に血抜きをした方があまり汚れなくて済むからだ。

 死んだばかりだ。まだ熱くて、門井の体温が俺の全身に満ち満ちて行く感触があった。そしてものの数分でその大半を吸い上げ終わると、今度は文字通り血の気の失せた真っ白な腹に食い付くのである。本格的な食事の始まりだった。

 胃液を吐き出して皮膚を溶かし、溶けた肌や脂肪を吸った。そしてもう一度胃液を吐いて内臓へと至り、同じくジュース状に溶けた肉を吸い上げる。それを繰り返して遺体を骨にしてゆくのだ。誰かに教わったわけじゃない。腹の中のコレがそうしろと囁いて、俺はただソレに従っているだけだった。

 こんな食事の仕方をする生き物が居るのかと怪訝に思い、ネットで検索してみたらハエとかクモとか、結構な種類の昆虫がこの方法で食事をするのだと知った。だとするなら俺の腹に居座るコレもムシの類いなのだろうか。

 そう言えば子供の頃に読んだ本、ファーブル昆虫記の中に、ドロバチのアオムシ狩りという一節があったなと思い出した。ドロバチはアオムシを狩り仮死状態にして巣へと運び、卵を生み付けて子供の生き餌にするのだそうだ。だとすれば、俺はさしずめアオムシの役割か。やがて俺の中で羽化して腹を食い破り、抜け殻になった俺を捨てて次の犠牲者を捜し求めてゆくのだろうか。

 しかし俺は今まで、こんなヒトに憑いてヒトを狩らせ、同族喰らいをさせる生き物など聞いたことがない。単純に俺が知らないというダケなのかもしれないが。

 色々思い悩みながらも食事は進み、門井の胴体部分はほぼ空っぽになった。食せる部分はまだ沢山残って居るが、もう俺の腹は膨らんでこれ以上は入らない。文字通りパンパンである。

 まるで妊婦のような腹だと自嘲するが、まぁいつものコトだ。食べ残しはあるが放って置いていい。また残飯を綺麗に食い尽くすあの小さな生き物たちが集まって来て、骨どころか血の跡すらも残らず舐め取り、何事もなかったかのようにしてくれる。この場所にはもう何人も連れ出したけれど、コンクリートの上に微かなシミが残って居るだけだ。

 ただ血の跡は兎も角、遺骸は全部食い尽くすまで他人に見つからないよう、屋上の隅にある使われなくなった給水タンクの中へ投げ込んでおく必要はあるけれど。

 食事を終えて素裸のまま、ボンヤリと屋上に座り込んだ。夜風が随分と冷たいが気にならない。久方ぶりの暖かい血のお陰で、まだ身体にぬくもりが残って居るからだ。門井が生きていた名残が、冷たい俺の身体を人肌に温めてくれているからだ。

 虚ろな眼差しで虚空を見上げている門井だったモノに、「サンキュー」と声を掛けた。不謹慎だろうか。でも特に気にならなかった。

 どうやら俺はもう、ヒトとして必要なものが色々と抜け落ちてしまっているようだから。

 

 ふと気付くと、目の前の暗がりの中に誰かが居た。

「誰」と声を掛けたら「誰でしょうね」という返答があった。女生徒だ。小柄だが夜陰の中でも異様な存在感があった。酷いくせっ毛がまるでつたのようにうねっていて、歩み寄る度にソレがゆらゆらと揺れるのだ。

「この状態を見て驚かないんだ」

「そう返事できるあなたも相当なものよね。どうやら自我は残って居るようだけれど、それを喜んでいいのか悲しんでいいのか、判断に困るわ」

「きみは、誰なの。名札の色は一年生のようだけど」

 そこに書かれていた名前は確かに読めた。でもそれが本名なのかどうか疑わしかったからだ。それに俺が本当に聞きたいのはソコじゃあないし。

「名乗るほどの者じゃないわ。それにこんな暗がりの中でよく見えること。もう、色々と手遅れのご様子」

「俺をどうするんだい。通報する?」

「自首するとか言い出したら、むしろあたしが引き留めるわ。もうそんなものじゃケリが付かない状況だから」

「じゃあどうする」

「こうするわ」

 返事をした刹那、彼女が何をしたのか俺には理解出来なかった。

 だけど身体は勝手に反応していて、跳びすさって逃れようとしたらしい。らしいというのは彼女から離れられたのは俺の上半身だけで、ぽーんと軽く宙を舞ったかと思ったら、下半身から数メートル離れた場所に、どすんと少し重めの音を立てて落ちてしまったからだ。

 身体が二つにちょん切れたのだというコトは直ぐに理解出来た。だがそれよりも、全然痛くないという方が余程に驚きだった。非道く冷たく固い何かで、脇腹の辺りを途轍もない勢いで叩かれたような感触しかなかったからだ。

 そして視界の端には、異様に分厚い刀みたいな刃物を持った彼女が予想通りといった風情で溜息をつく様が見て取れた。

「危なかった。やっぱり孵化寸前だった」

 あらぬ方向を見てそんな台詞を呟いている。彼女の視線の先を見てみれば、ラグビーボールほどの大きさの蛆がジタバタと暴れてうねっていた。ひょっとして、アレが俺の腹に居座っていたモノなのだろうか。胴体を切られて飛び出してきたというコトなのか。

 辺りに生臭くて赤黒い液体がまき散らされている。俺の血なのか、それともさっき吸い上げた門井の血なのかは判別が付かなかった。

 そしてそれ以上に目立つのは、辺り一面に散らばった白くて小さくて楕円形のモノだった。

「あれは、卵か」

「そうよ」

 彼女は俺の独り言に短く答えると、お尻の辺りに下げた鞄から小さな小瓶を幾つも取り出してムシに投げつけた。瓶は当たると簡単に割れて、見事なまでの火炎を立ち上らせた。だが彼女は一つ二つの炎では満足しない。巨大な蛆や散らばった卵に目がけて、それこそ次から次へと執拗なまでに投げつけるのである。

 屋上はあっという間に火の海になった。

 最初は激しくのたうち回っていた巨大な蛆も、やがてピクリとも動かなくなって、異様な肉の焼ける臭いと黒ずんだ塊になっていった。卵は次々にポンポンと軽い音を立てて爆ぜ続けていた。しかしそれもやがて途絶え、その内に蠢くものは炎と煙だけになった。

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