「普通の人」ってマジおらん ⦇大長⦈

 こんにちは、たてごと♪ です。

 「宿敵」と書いて「とも」と読む? なるほど、宿敵ともだち100人できるかな。


 ……はい(

 さて、なにかと「普通の人」って求められがちですよね。

 特にパートナーを探す場合では、より慎重に相手を選んでしまったりするものでしょう。

 そして何かに突出した人って、引き換えに欠点もまた抱え込んでる感じなので、ビミョーにき合いづらい。

 だから「普通を」って指向になるわけですが、これってい換えれば「可もなく不可もなく」、要するに平均的って事ですよね。


 そして、〝平均的な人には出会いやすい〟って、思っちゃうもんじゃないですか。

 これ、激しくワナなんですよねえ。

 まあ今回、確率統計やら割合に対する、感覚についてのお話です。



     †



 まず統計的な考え方としては、〝全体のおよそ半数が、平均のはんちゅうとみなせる〟ってわれます。

 それで例えばIQ値でも、90〜110が〝平均〟とされますが、つまり50%の人たちがこの範囲に含まれるわけですね。

 とすると、たとえば「平均的な顔の人」ってやっぱり全体の半数くらいだろうし、「平均的な収入の人」だって全体の半数くらいだろう、って推定されます。

 だからこそ〝相手は簡単に見つかるはず〟って、っきりと考えてしまうわけですけども。


 確率統計の授業で、「サイコロの目の確率」の話、習いますよね。

 すなわち1の六面体サイコロを振ったとき、6の出る確率は〈6分の1〉である、と。

 それが、サイコロ2で両方6の出る確率、となると〈(6分の1)²〉という計算になって、〈36分の1〉となり。

 3の場合はさらに〈(6分の1)³〉になって、しめて〈216分の1〉となると。

 つまり確率的な要素が複数あるとき、その要素数が増えれば増えるほど、実現する確率って階乗的に小さくなってくわけですね。


 これに沿って考えると、どうでしょう。

 たとえ「平均的な顔の人」が全体の〈50%〉いるとしても、要素1つ加えて「平均的な顔と収入の人」になれば、〈50%²〉=〈25%〉。

 その調子で、「髪」「体格」「年齢」「性格」「くせ」「趣味」「能力」「学歴」「人脈」「居住地」などと10項目ほども追加したら、〈50%¹²〉=〈0.024414062525%〉です。

 これだけで「1万人中に約2名」とかいう希少な数字になりますし、実際だと人を選ぶときにはもっと沢山の項目を、無意識に考慮してしまうもので。

 だいいち「普通」を求める場合、あらゆる要素に対して平均的であることを要求してしまうんじゃないですか。

 あと「性格」やら「くせ」なんかが、それぞれ1要素でカウントできるわけも無いですしね。

 そうやって要素数を細分化していけば、「ほぼゼロ」と言ってまったく過言じゃない確率になっていってしまうのが、想像にかたくないでしょう。

 そう、


  ◦ 〝平均的な王子様〟なんか存在しやしない


んですよ。

 ユメもチボーも有りませんわね(

 また、これってつまり、という事でもありまして。

 とすると、対人関係でのこつってやっぱり、「きょう」って事になるんですかねえ、、

 ただそれは、「個人個人の特性を受け入れて尊重する」って事ですから、悪い事ではないはず、とも思いますけれどね。


 ひいては、「ひとつの体系的な決め事が、誰かに完全にマッチすることは無い」とも。

 そうです、どんな決め事もかならず全員に対して不都合を発生させるんで、んですよ。

 逆に言えば、文句が出てたとしても必ずしも悪い決め事とは限らないのに、文句が出てる以上は不備があるんだろう、って思われがちなんですね。

 しんどいお仕事だとおもいます……、



     †



 すこし違う話になりますが、割合の感覚について。

 2021年の時点での日本で「43人に1人が億万長者」、なんてデータがありまして。

 この数字、けっこう多いって一瞬思いませんか。

 百分率に直すと2.3%になるんですが、さてこれは本当に、多いのでしょうか、少ないのでしょうか。

 感覚での判断になるので、人それぞれで違ういんしょうになるとは思いますが、これぼくは「メッチャ少ない割合」ってふうにます。

 なぜかって、学校のクラスって30余名くらいで構成されると思いますけど、その中に1人もいないかもしれない、って割合ですよこれ。


 で、その「43人に1人」をもとに〝それは特別な存在じゃないのだから、これを目指して投資をもっと考えるべきだ〟みたいな勧誘を、はたらく例が有るようなんですが。

 まず実現率50%を下回るちょうせんって、失敗に終わる公算が大きいわけですから、2.3%に入り込もうだなんてたくらみがもう無謀なのでは、っていうね。

 だいたいおかねって、仕事とかすれは増える物じゃあなくって、一定量だけ世をめぐってるパイの取り合いなので、みんなして億万長者になれるものでもないんです。

 勝率50%以上じゃないけなんてするもんじゃないですよ、もし損しても誘った人はてんなんか絶対しませんし。


 〝数字はウソつかない〟、なんてことばも有りますけども。

 これは、元データに正確に基づいてるかぎり確かにその通りなんですが、その数字を解釈するのは結局人間です。

 だから「それっぽい数字」なんて、いくらでも作れるわけですよ。

 いまぼくがやった、「集団の母数を置き換える」のもその手法の一つで、逆に「日本全体で280万人以上」って言ってみたら、大量にいるように思えますよね。

 そしてさらに裏を返して、「1億人以上が結局は億万長者ではない」と言えば、いんしょうはまた逆転するでしょう。

 こうして2.3%という割合を変えないままに、いんしょう操作ができたりするんですよ。

 現実的に割合を考える場合、ぼくのしたように「学校クラスの人数に置き換える」のがいちばん感に染むかなあ、とぼくは思ってます。



     †



 ほか、、だなんて場合も有りまして。

 どうやら著名な大学や研究機関なんかでも、好都合な結果が出るまで同じ実験をひたすら繰り返すとか、特定の特徴が出やすいサンプルばかりを集めるとか。

 そんな悪質な研究が、残念ながら絶えないようです。

 そういうのって、ぶっちゃけ〝何でもいいから成果挙げたい〟っていう、虚栄心のなせるワザなんでしょうけども。

 こういう〈確率や割合などの統計データを的に操作する背信的手法〉を、「p-hackingピー・ハッキング」と呼びまして。

 ここでの{p}は「Pピーprobabilityプロバビリティ valueバリュー)」の略で、〈仮説の整合性を測る指標〉のことだととらえておけば、まあ問題ないかと。

 操作された数字には信用なんか置けないのは、当然ですよね。

 でも、そういう不誠実な統計にもとづく言説ってわりと、日常のなかでもあふれてたりするんですよ。

 たとえば


  ◦ 〝大きな食器で提供されるほど、つい食べ過ぎる〟

  ◦ 〝鶏卵は1日1個を超えて食べると、コレステロールの過剰摂取になる〟

  ◦ 〝広告コストと売上には、比例的な相関性がある〟

  ◦ 〝人は看守に任命されると、自然としゅうじんを虐待するようになる〟


のような説にはしんぴょう性が無いことが、のちに判明しています。

 たとえば最後のものも、海外の超有名エリート大学で行なわれた実験。

 でもこれは、囚人へのぎゃくたいにあたる業務がそもそも看守役に課されていた、とかいう大変お粗末なものでした。

 そんなんじゃあどうやっても、ぎゃくしんあおられるに決まってるでしょう。

 有名さなんか、ちっともアテにならんわけですわね。


 こういう説が広まってしまうのはたぶん、「事実にもとづくなら本当の事であるはず」という、一見とうそうでぜんぜんとうじゃないのせいですかね。

 なぜそれがとうじゃないかは、マスメディアなどでの〝情報切り取り問題〟を見れば一目りょうぜんでしょう。

 全容を示せてないデータを、全容そのものとして扱えるわけが有りません。

 たとえば在庫確認ですうかぞえ間違えても、「その数字自体は実際の勘定作業、すなわち事実に基づいている事には違いない」と、言えはします。

 でも、「かぞえたのは事実なんだから正しい在庫数なんだよ」だなんて、言えるわけが無いでしょう。

 つまり数字がウソつかないにしても、データの取り方が間違ってたらそのしますから、信頼できるかどうかは全然別の話なんですね。

 だから「ちゃんとかぞえました」と言い張ってもまるで無意味なのであって、どのようにかぞえたかをきちんと説明できることがもとめられるわけです。

 要するに、


  ◦ 事実であるということが、その情報の正確性を必ずしも担保するわけではない


んですよ。

 そんな感じの〈過程が間違ってるせいで出される間違った答え〉を、「びゅう」とうんですけども。

 だから〝数字はウソつかない〟ってことばは、むしろこのびゅうをごまかす意図で言われるもの、要するにべん

 そう認識してたほうが、いいかもしれません。

 ……踊らされとうない……踊らされとうないのじゃあ(


 最近また、〝サイコパスの人ほど、自動車をうるさく鳴るようカスタマイズする〟みたいな言説が、出てきたみたいですけども。

 これもぼくの理解や実例知識からしたら、違和感ハンパない話なんですよねえ。

 あれって本気で〝良い音〟だって信じてて、だから〝みんなに聴かせてあげたい〟みたいな動機の人たち、けっこう沢山いましたし。

 たぶん気に入った音楽を「親切で」布教しまくりたくなるのと同じやつで、アカンと思うシロモノだったら最初からそんなカスタマイズやらんでしょ。

 示威的な動機の人もいるとは思いますけど、知ってる走り屋さんにはそんな人はみられなかったし、なんか案外少数派なんじゃないかって感触ありますよ。

 あとその中に、サイコパスっぽい人は全然いませんでしたね。

 サイコパスの人っていうのは基本、自分が優位になる判断を選びたがるような感じで、そしてそれは人からの評価がとても気になるからこそのはずで。

 だから、優位に立つのに必要と判断したゆえに身近な人をれいてつあつかうことは有っても、不特定多数の人がいやがりそうな事をみずから進んでやるかなあ、とか。

 したら、なにか差別的な仮説を思いついた人が「p-hackingピー・ハッキング」によって、そういう傾向がさも有るかのようなデータをでっちあげたんじゃないの……なんてね。

 邪推しすぎ、ですかね。


 まあ、「みは基本NG」って話です。

 常識だとは思うんですが、ついつい失念しちゃうんですよねえ、これ。

 特に、数字が示されてる場合には。

 気をつけなきゃ。



     †



 ところでみと言えば、ぼくってなにか学術的な内容の話をする場合でも、出典をほとんど紹介しなかったりします。

 けっこう無礼に思われるかもしれませんし、申し訳なくも思ってはいるんですけども。

 なにぶんぼくって思考が異様にのろくて、数年前にかれた種がある日いきなり芽吹く、みたいな事もよく起こりまして。

 そのせいで出典元がどこだったかあくしきれない、ってのがあるんですね。

 もちろん出典なしの説明じゃあ、論拠がはっきりしなくなるわけですから、学術的な分野の人たちに対してだと通用しないんですけども。

 でもぼくの場合はべつに、論文をあらわすとか、大層な事をしたいわけじゃあなくって。

 ただ、考え方のをしたいだけですのでね。


 その場合、ヘタに出典を示してしまうと、〝ああ根拠あるのね〟みたいな安心感をもらたしてしまって、かえって思考停止を招くんじゃないかと。

 くわえて、他人の説をわざわざ伝えるって場合、自分が人気を集めたくてそういうパクり()をするんでしょうから、話が盛られてる可能性も否定できないわけで。

 ……ナイスブーメラン‼(

 でも、ほとんどの人って、出典が示されててもたぶん確認しないんじゃないですか。

 ……ぼくもあんま見ません(

 つまりこの出典表示の存在が、言説が間違って伝わる大きな理由のひとつなんじゃないの、ってふうにぼくは疑ってるんですけど、さてどうなんでしょうね。


 要するに、ぼくが出典を紹介しないのには、「ぼくのする話は基本疑ってくれよ」っていう、あるしゅのお願いを込めての事でもあったりするんですね。

 それに、出典元が明らかでない事でむしろ、もし僕がうっかり話を盛ってしまってたとしても元々の発言をじ曲げないで済む、って効果も有るかもしれません。

 あれです、明らかにキリストやしゃが言ってそうにない話を「キリスト教」「仏教」って名称で伝えられるタイプのアレ、ずっとへきえきしてるんですよねえ……、

 たとえそれが素晴らしい改訂や補足だったとしても、自分の考えを他者の名で語るのって、道義的にどうなんだろ。


 あと余談、これは直接関係ない話ですけども。

 〝とある説明文にURLなどの参照情報がただ含まれているだけで、学習効率は3割ほど低下する〟なんて研究結果も、出てるみたいですよ。

 あわせて、スマホを使用しなくてもただ身に着けているだけで集中力が低下する、みたいな傾向すら有るそうで。

 生物学的にぼくらの脳には、まともな並列機構がまだ搭載されていないので、複数のことが気になる状況に置かれるとどうしても、パフォーマンスが落ちてしまうらしいんです。

 よく〝作業に集中したいときには、気のかれそうな物はすべて遠ざけておく〟という手法が紹介されますし、これは実際に効果を挙げますが、要するにそういう事なんでしょうね。


 まあ「正確性を期すこと」と「出典元をきちんと示すこと」はまるで別物、って事で。

 説明のじょじゅつだけでなく、受け手への伝達までを考えると特にね。



     †



 そんなこんなでぼくは、「データによって裏付けられた説」よりも、「考えたらわかる話」のほうが好きです。

 いや、本当に好みの問題()なんですけども、ただめられたスタイルじゃない事は確かなんで、安易にマネしないでくださいね。

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