月夜野古書店の花廻り屋八雲さん

宮本宮

一幕・月夜野古書店にて

 ギギギ……と錆びついた扉の開く音がした。お客さんかしらと僕はN氏の書いた、猫の小説から顔を上げる。鏡に視線を移し、自分の顔を見た。


 童顔で人の良さそうな顔をした、白濁の左目を持つ少年がうつっていた。白濁した左目だけが忌々しい。この左目は普通じゃないから嫌いだ。ただ顔をまじまじと凝視されなければ気がつかれまい。

 量販店で販売されているワイシャツに黒のスラックス。黒髪には寝ぐせがあるものの、これは愛嬌だ。身だしなみに問題はない。


 扉へ視線を向ける。


「こ、ここは……」


 どこか呆然とした顔色の悪い学ラン姿の少年が声を漏らす。僕はN氏の小説を本棚に戻してから少年の問いに答えた。


「ここは月夜野古書店つきよのこしょてんです。何かお探しですか? 古書から古民具、骨董品まで取り扱っていますよ」


 僕は営業スマイルを顔に貼り付ける。僕の営業スマイルは、ご婦人方にはそれなりに人気があるが、少年に効果があるかは謎。

 少年は僕と年齢が近いそうだけど、少しでも高い商品を売りつけてやり、最低賃金の給料をアップさせてやろうと思う。

 少年はゴクリとツバを呑みこんでから、大きな旅行用のキャリーケースを転がし、店内へ入って来た。


 月夜野古書店の店内の灯りは白熱電球しかなく薄暗い。錆びついた扉が閉まると、再び古い紙とインク、カビの匂いが世界を満たす。少年は重そうなキャリーケースを転がしながら、僕のもとへ向かってくる。

 蓄音機から奏でられる音楽なんて上等なものは月夜野古書店にはない。そのためか、キャリーケースのタイヤが転がる音が、やたらと大きく聞こえた。


 僕の前に立った少年の背は高く、まるでモデルのようだな、と思った。何を食べたらこんなに背か高くなるのだろうか? と少年の顔を見上げる。

 僕はチビではないけど、そこまで背は高くない。痩せすぎてもいなければ、太りすぎてもいない。

 店主曰く「中途半端」だそうだ。それなので、背の高い人に対して羨望の念を抱いてしまう。


 少年は顔色が悪いものの、同じ男ながらにドキッとしてしまうほどの美少年であった。温和で上品そうな顔をしているが、とても意思の強そうな瞳をしているのが印象的だった。彼が近づくと、なんだかいい香りもする。

 物語の主人公ってこんな感じの人なのだろう。


「人を探して、ここに来ました」


 心臓が跳ねるが、少年に悟られぬように、僕は不審気に頭を傾げてみせた。


「古書店に、人探しですか?」

「人探しです。あなたは花廻り屋八雲はなめぐりややくもさんですか?」


 花廻り屋八雲とは、月夜野古書店の店主の名前。


 僕はへたくそな、何も知りませんよという芝居をやめた。

 白夜の魔女こと花廻り屋八雲さんの名前を知っているということは、ただの古書好きで、たまたま古書を求めに月夜野古書店に現れたというわけではないようだ。

 僕のお客さんじゃないから、猫を被るのをやめよう。


「違うよ。僕は小泉っていうの、よろしく。で、八雲さんになんか用?」


 少年は少し躊躇った後、意を決してキャリーケースを開けた。


 通路が開いたキャリーケースでふさがってしまったが、貴重な古書にはぶつからなかったので良かった。僕は開かれたキャリーケースの中に視線を向ける。キャリーケースの中には、体育座りをした人形が入っていた。


 腰あたりまでのびた漆黒の髪、化粧が施された陶器のような白い肌。すごく精巧な少女の人形だ。

 でも、着せている服は死人に着せるような死に装束なのが、センスがない。

 この美しい少女の人形が部屋にあるだけで、僕はきっと毎日幸せな気分になるだろう。

 さらに起き上がって挨拶でもしたら、この世で起こる不幸の一つくらいはあっさり解消されるはずだ。


「ん? いや……これは、人形じゃない!」


 十五、六才くらいの少女の死体じゃないか!

 人形は人間の造形に近づけば近づくほど、非人間的な特徴が目立つ。そのため、人間に造形が近い精工な人形になればなるほど、不気味に感じる不気味の谷現象というものがある。目の前の体育座りしている少女には、その不気味さがない。

 それどころか、とても幸せそうに眠っているように見えるのが印象的だ。きっとこの子は幸せな天寿をまっとうしたのだろう。 


「この子……大谷さくらを黄泉(よみ)帰(かえ)らせてほしい!」


 この死体の子……大谷さくらさんを黄泉帰らせるというのが、真田くんが月夜野古書店へやって来た理由か。


「美しい死体でございますなぁ」


 背中から声をかけられ、口から悲鳴が飛び出そうになる。振り返ると、月夜野古書店の店主である、花廻り屋八雲さんが立っていた。どうやら花廻り屋八雲さんはひと目で、さくらさんが人形ではなく、死体と看破したようだ。

 そして、あの微笑みは、新しい玩具(おもちゃ)を見つけたときの子供がみせる無邪気な笑みだった。


「あ、あなたが……花廻り屋八雲……さん?」


 少年もいつの間にか存在していた花廻り屋八雲さんに驚きつつも尋ねた。

 花廻り屋八雲さんは、黄金色の瞳を歪め、人を小馬鹿にしたように口角を吊り上げた。ふんわりと遅れて、花廻り屋八雲さんの甘い香りが鼻孔をくすぐる。


「小泉くん」


 花廻り屋八雲さんは僕を呼ぶ。すっかり色香に魅了されてしまっていた僕は、少し間抜けな声を上げてしまった。


 僕みたいな普通のつまらない高校生には、花廻り屋八雲さんの美貌は魅力的すぎて毒だ。黄金色の切れ長の瞳、人を小馬鹿にしたような口元、整った鼻筋、美しい人間で調べたら「花廻り屋八雲」との結論が出るに違いない。

 花廻り屋八雲さんの年齢は二十代前半だと思うが、ある時は僕より幼くみえ守りたくもなるし、ある時は成熟した三十代の女性にもみえ甘えたくもなる。身長は高く、八頭身のモデル体型だ。肌の色は白く、シルクのようなサラサラの銀髪をポニーテールにしてまとめていた。

 この国の生まれではなさそうな容姿だが、いつも和服を着ている。洋服を着てもきっと似合うだろうけど、和服を好んで着用している。


 一方で、性格は極めて悪い。自分がいかに魅力的な存在であるかを自覚しており、僕のようなクソガキに気のあるような言葉を投げかけ、その反応を楽しんでいる。

 世が世なら「気にくわない」「面白そう」「飽きた」という、すごく自分本位な理由で国をいくつも滅ぼしてしまいそうな、傾国(けいこく)の美女だ。


「月見そば」


 月見そばは、花廻り屋八雲さんの大好物であるが、それがどうしたのだろうか?

「作ってくださいまし。食べたいのでございます」


「いや、お店の営業中なんですけど……」

「今食べたい、のでございます」

「だから――」

「作ってくださいまし」


 これは……月見そばを食べるまで、絶対に何もしない、という構えだ。

 花廻り屋八雲さんのワガママに折れた僕は「はいはい」と答え、炊事場(すいじば)のあるスタッフルームへ向かう。

 スタッフルームとは響きは良いが、実のところは、ただの物置である。


「あ、君も月見そば食べる? えっと――」

「わたしは、真田。真田(さなだ)秋村(あきむら)です。そばは、いりません」

「うい」


 僕はスタッフルームという名の物置から、真田くんの様子を覗きつつ月見そばの準備を始める。別に高級フレンチ料理を頼まれたわけではないので、気楽なものだ。

 花廻り屋八雲さんは、帳場の定位置に腰かけると、煙管箱を手繰り寄せる。そして、桃の香りのする不思議な刻み煙草を煙管に詰めると、マッチで火をつけておいしそうに吸い始めた。


「花廻り屋さん。あなたが死者を蘇生させる……黄泉帰りの禁術を扱える、という話を聞きました」

「まぁ、そんなお喋りさんは誰でございますか?」

「言えません。名前を出さない約束をしました」

「まぁ……クフフフ。K大学のO教授でございますか」


 花廻り屋八雲さんは、あっさりとお喋りさんを特定して加虐(かぎゃく)的(てき)な表情を浮かべる。真田くんはわずかに動揺したようで、一瞬だが身体が震える。


「そうでございますか。そうでございますか」


 花廻り屋八雲さんは、紫煙をはく。

 K大学のO教授といえば有名な同性愛者だ。真田くんの美貌にあてられて、つい黄泉帰りの禁術を口にしてしまったのかな? 


「教授のおっしゃったとおりだ」


 真田くんは呟く。


「では、お金にも興味がないこともお聴きになられましたか?」


 花廻り屋八雲さんは、つまらなさそうに話の先手を打った。

 僕はお金に興味があるのだけど、花廻り屋八雲さんは、いくらお金を積まれても興味を示さない。そのくせ、僕のお賃金は上がらない。悲しい。

 グツグツと鍋のお湯が沸騰してきたので、そばの生麺を放り込み、丼に汁を注ぐ。


「こちらはどうですか?」


 真田くんは、学ランのポケットからハンケチに包まれた棒状の物体を取り出し、帳場机に置いた。

 できあがったそばに卵をのせて、花廻り屋八雲さんの座る帳場へと持って行く。割り箸と一味唐辛子も忘れてはいない。


「あ、月見そば!」


 花廻り屋八雲さんは、いつもの人を小馬鹿にしたような笑みではなく、少女のような微笑みをみせた。

 興味が、真田くんが帳場机の上に置いた物から、すっかり月見そばに移ってしまう。

 真田くんは花廻り屋八雲さんの変わりように、驚いたような顔をした。しかし、すぐに落ち着いた凛々しい表情となる。


「これは明治期の文豪である、N氏が愛用していた万年筆です」

「小泉くん」


 鑑定しろとのことだろう。「はいはい」と答える。

 僕はハンケチから万年筆を丁寧に取り出し、白熱電球にかざし、メーカー名を確認する。その後、割り箸の袋に二、三文字書いてみた。セピア色のインクだ。N氏はブルーブラックが嫌いだったとの伝記の記述と一致する。

 N氏といえば万年筆に関するエッセイや手紙を残したことでも知られる大文豪だ。書かれた小説は教科書にも載っているし、勉強が嫌いであっても、この国に住んでいるのなら顔くらいは見たことがあるはずだろう。


 最近は、医者のN氏のほうが有名だけど。


 そんなN氏が愛用していた万年筆は、史実ではすでに逸失している物品だ。


「おそらく、U氏から贈られN氏が愛用した万年筆ですね。伝記が間違いなければ、本物の可能性が高いです」

「クフフフ。あの鼻たれ小僧が文豪でございますか。懐かしい、懐かしい」


 花廻り屋八雲さんは、箸を止めて呟いた。


「では、さくらの黄泉帰りの禁術を……」

「まだ、お代が足りませんなぁ。この程度では」


 花廻り屋八雲さんは、月見そばの卵を箸で潰し、笑みを浮かべた。


「わ、わたしが払える物だったら、なんでも支払う! たとえ、わたしの命が欲しいというのであれば支払う!」

「……命? あなた様の? クフフフ。面白いことをおっしゃりますなぁ」


 花廻り屋八雲さんの安い挑発に、真田くんは苛立たし気に奥歯を噛みしめた。それが愉快だったのか花廻り屋八雲さんは目を細める。


「あなた様とお嬢様の馴れ初め……お聴きしとうございます」

「わたしとさくらの馴れ初め?」

「月見そばがなくなるまで、お相手にいたしますわ」


 僕も帳場に腰を下ろし、真田くんを見上げた。真田くんは気まずそうに首の後ろを手で撫でた後、申し訳なさそうに口を開く。


「馴れ初めなんて、あなた達が楽しいと思うようなことはないです。そもそも、さくらと初めて会ったときのことは覚えていません」

「覚えてない? なんで?」


 僕はつい尋ねてしまった。


「生まれたとき、病院の隣のベッドにいたのが、さくらでした。それから十六年の付き合いです。隣同士の家で同じ学校、気がついたらさくらが……好きになっていた。だからあなた達が期待するような、運命的で面白い話はありません」


 十分運命的な話であると思う……。てか、真田くん十六歳で僕より年下か。それにしては、落ち着いているな……。


「でもそれって、真田くんはただの幼馴染で、片思いの相手のために、八雲さんに命をも支払うと言っているのかい? 八雲さんに『やっぱり命をかけるのはウソでした!』はつうじないよ。正直、黄泉帰りはお勧めしないな」


 真田くんは、冷静に「違います」と応じる。

 僕は首を傾げた。


「違う? えっと、何が?」

「わたしはさくらを想い、さくらはわたしを想ってくれていたんです。片思いではありません」

「いや、そんなことじゃなくて……。真田くんとさくらさんは相思相愛で、さくらさんが死んで悲しいから、命をかけてでも黄泉帰らせたい、と? そんなの……」

「悲しいからとか、そんな言語化できる程度の感情から生まれる決意じゃない! さくらはわたしの一部なんだ。身体の、そして精神の! さくらがいない今、わたしが生き続ける価値も意味もない。もうすでに死んだも同然なんだ! さくらが彼女自身の寿命をまっとうできるなら、わたしは命をかけることになんの恐れもない!」


 真田くんはひときわ大きな声を出す。


「だからって……そんなの普通じゃ……」


 僕にはわからない世界に足を踏み込んじゃったぞ。いくら相思相愛だと思っているからって自身の命を賭けるなんて、狂気の世界であるといっても過言じゃない。


「面白いお話でございますなぁ、ねぇ、小泉くん」


 楽しそうに笑う花廻り屋さん。笑うところありました? 今の話。


「そんな愛するお嬢様をあなた様は殺した、と。クフフフ。面白いでございますなぁ」


 花廻り屋八雲さんは手を叩いた。


「だから、そんなに笑う話じゃって、え? 真田くんが、さくらさんを……殺した?」


 上品に口元を拭くと、愉快そうに花廻り屋八雲さんは首肯した。すでに月見そばをたいらげたようだ。汁まですっかり飲み干している。

 僕は、花廻り屋八雲さんから真田くん、そしてキャリーケースの中のさくらさんへ視線を這わせた。

 真田くんはただですら顔色が悪いのに、さらに血の気が失せて死人のような真っ青

な顔で、花廻り屋八雲さんを見下ろしていた。


「……だ、誰から、その話を? 誰も知らない、その話を……」


 花廻り屋八雲さんは「クフフフ」と愉快そうに笑い、真田くんの質問には答えないようだ。真田くんは悔しそうに息を吐き、よく通る声で言う。


「わたしはさくらを殺していない――」

「因果(いんが)としては、あなた様が殺したようなものでございましょう。それに、なれたじゃございませんか、お嬢様と一心同体に」


 真田くんは目を見開く。ただ言葉が継げず口をパクパクとさせていた。花廻り屋八雲さんは、その顔を覗き込むようにして微笑んでいた。

 二人の話が、微妙に噛み合っていない気がするが、二人とも嘘をついているようには見えない。

 でも、さくらさんは死んでいる。

 ……いったいなにがあったのだろう? それに、さくらさんと真田くんが一心同体になれた? どういうことだ? 

 僕が口を開こうとすると花廻り屋八雲さんは、人探し指を立てて口元にあてる。水を差すなとのことだ。

 花廻り屋八雲さんは瞳を歪ませ、口を開いた。


「初めての女というものは尊く錯覚するものでございますよ。クフフフ。他の女を抱けばすぐに忘れてしまうじゃないのかしら? 小泉くん、君ちょっと遊郭(ゆうかく)へ連れて行ってあげてくださいませんか?」

「……八雲さん、最近ではセクシャルハラスメントって言うんですよ。そういう発言は。あと僕は十七なので、風俗店には入れません」

「まぁ、残念でございますなぁ」

「わたしとさくらは、清い交際です」


 真田くんは真っ青な顔をして、僕たちのやりとりに水を差した。それを聞いた花廻り屋八雲さんは、心底楽しそうに声を上げる。


「ならば、ほかの女を試すのもよいではございませんかぁ。ご用意いたしましょうか」

「結構です!」


 思春期の男の子なんだから、「女」なら誰でもいいと言わんばかりの花廻り屋八雲さんの態度に、真田くんはとてもイライラしている。

 真田くんはなかなかに身持ちが固い人物のようであり、真田くんの性質を分かっているうえで、花廻り屋八雲さんは、真田くんをからかって遊んでいる。

 本当にいい趣味をしてらっしゃるよ。


「八雲さん。N氏の遺失した万年筆で、真田くんに殺人罪がつかないようにすればいいのでは?」


 このままだと、埒が明かないので僕は最善の妙案を提案した。


「小泉くんは引っ込んでいてくださいまし」


 言葉だけで人を殺すことができるならば、僕は即死しているであろう程の冷たい声色。

 真田くんは「ご心配、ありがとうございます」とほほ笑んだが、目が笑っていない。

 完全に藪(やぶ)蛇(へび)な発言だ、これ。


「うう、すみません……」

「クフフフ。わたくしは小泉くんの、そういう意気地のない……素直なところが好きでございますよ」


 今ものすごく罵られた気がする。


「しかし、まぁ、そうでございますなぁ、小泉くんもあなた様の肩を持つようなので、あなた様たちから、さらに対価をいただくことで、黄泉帰りの儀式をおこなってあげようではございませんか」

「対価とは、いったい?」


 花廻り屋八雲さんは、真田くんを指さした。


「あなた様には、お嬢様……大谷さくらしか愛せないという呪いを、かけさせていただきましたわ」

「そういう人生を左右する呪いは、ちゃんと本人の許可をとってからやるべきだと思います!」

「クフフフ」


 花廻り屋八雲さんは可愛らしく舌を出した。

 でも、対価をいただくと言ったわりに、相思相愛の真田くんとさくらさんの関係性をより強固にする呪いをかけるなんて、花廻り屋八雲さんにしては粋なはからいをするな。意外だ。

 もっと悪辣なことをしでかしてもおかしくないのに。


「……あまり、変わりませんが?」

「クフフフ。良かったでございますなぁ」


 花廻り屋八雲さんは、心底愉快そうに嗤(わら)った。


「では参りましょうか」


 花廻り屋八雲さんは、すくっと帳場の畳の上に立ちあがる。真田くんの表情が明るくなった。

 いつの間にか黒い革製のブーツを履いている花廻り屋八雲さん。


「土足で畳の上に立ってはいけません!」


 僕はつい注意してしまった。




 花廻り屋八雲さんは和装を好む。

 今日は、大正時代の女学生のような華やかな袴(はかま)姿だ。

 袴はスカートタイプの行燈袴で薄紅色をしており、おしゃれを意識してか少し袴の裾が短めだ。また腰紐をリボンができるように縛っている。おしゃれポイントが高い。

 上衣(うわごろも)にあたる着物は、大きな桜をモチーフとした地紋(じもん)に大小の桜が舞う、二尺袖である。


 今日、真田くんがさくらさんを連れてやって来ることを予知していたのか、それともただの偶然か、花廻り屋八雲さんの服は桜イメージしたものになっていた。

 外国人の血が入っているのだろう、花廻り屋八雲さんは不思議と和装が似合う……。


「さぁ、参りますよ。小泉くんも参りますよ。早くしないとお嬢様が腐ってしまいますわ」


 手を叩く。

 え、あれ? 僕もついていく流れなの?


「八雲さん。まだ営業中ですよ。お客さんが来たら困ります!」

「今日はもう誰も来ませんわ」


 僕の問いに、花廻り屋八雲さんは笑顔で応じた。花の咲き乱れるような満開の笑顔だ。背筋が凍るほど美しい。僕が渋い顔をしていると、ポツリと呟いた。


「お賃金を減らそうかしら……」

「喜んでお供します!」


 花廻り屋八雲さんは白々しく、「まぁ、すてき」と答えた。

 僕は便利道具を放り込んだ小さな袋を、ズボンのポケットへ突っ込む。


「あの……行くってどこへ?」


 真田くんが、首を傾げて尋ねる。花廻り屋八雲さんは当然、説明する気がないので、僕が代わりに真田くんの疑問に答えることにした。


黄泉国よもつくにへ、さくらさんの魂を迎えに行くの。O教授から、黄泉帰りの儀式について詳しく聴いていないのかい?」

「ええ。どのように儀式を執り行うか、詳細までは教えていただけませんでした」


 さすがに儀式の詳細までは、花廻り屋八雲さんが怖くて話せなかったのだろう。

 それにしても、死人を蘇生させるなんて、どう考えても胡散臭い話を信じて、死体のさくらさんを持って月夜野古書店まで辿りつけるなんて、真田くんは僕が考えている以上に危ない存在かもしれない。


「黄泉帰りの儀式で一番厄介なのが、魂を黄泉国へ取りに行くことなんだよ。普通、生きている人間は黄泉国へは行けないからね」


 黄泉国とは、死者が住む国。異界のことだ。


「お二人とも、お嬢様を布団に寝かせてあげてくださいまし」


 花廻り屋八雲さんが、煙管をくわえて言った。当然、花廻り屋八雲さんは自身はやる気はない。

 僕はスタッフルームの押し入れに置いてある布団を取り出した。

 布団を敷き、スタッフルームから出る。真田くんは死後硬直したさくらさんを悔しそうな顔をし、キャリーケースの中から出そうと、悪戦苦闘していた。

 死後硬直のピークは死後十時間から十二時間。死後三十時間から四十時間程度で徐々にだが硬直は解け始め、死後九十時間が経過すると完全に解けるらしい。

 さくらさんの硬直具合から昨日くらいに、殺されたのだろうと僕は分析する。


「お嬢様を乱暴に扱わないでくださいましよ」


 花廻り屋八雲さんは注意をする。口だけは出すけど、手伝う気はないらしい。

 煙管を吸い、桃の花の香りのする紫煙をさくらさんへ吹きかけた。


「あ、あれ? さくらの硬直が解けた」

「不思議でございますなぁ」


 不思議そうに花廻り屋八雲さんは呟くが、魔法を使ったのが僕の白く濁った左目から見ると、一目瞭然だった。

 魔法でさくらさんの硬直を解いたんだ。真田くんは気がついていないようだけど。

 真田くんは、花廻り屋八雲さんを一瞥(いちべつ)した後、すっかり死後硬直の解けたさくらさんを抱え、スタッフルームに敷いた布団の上に寝かせる。

 さくらさんの濡れたカラスの羽のような黒髪を愛おしそうに撫でてから、言った。


「行きましょう。黄泉国へ」


 僕は頷き、花廻り屋八雲さんは不敵に笑う。

 月夜野古書店には、店主の花廻り屋八雲さんの持つ金色の鍵でしか開かない扉がいくつかある。その扉の一つに、花廻り屋八雲さんが金色の鍵を差し込む。ガチャンという音がして、鍵が開いた。


「この扉の向こう側には黄泉比良坂よみひらさか、そして黄泉国がある。いいね、真田くん。さくらさんの魂を月夜野古書店まで連れてくれば、彼女の黄泉帰りが叶うよ」

「小泉さん、魂というのは人魂的なものですか?」

 真田くんはジェスチャーで、小さな丸を作る。お墓とかに浮かぶ人魂を想像しているのだろう。魂といえば、人魂だよね。

「手に収まるような人魂的なものじゃないよ。魂は布団で寝ているさくらさんと同じ形、同じ重さのものだね。生前のさくらさんの記憶も持っている」

「わかりました」


 花廻り屋八雲さんは、僕たちのやりとりを口の端を吊り上げ愉快そうな笑みを浮かべ見ていた。何か企んでいるのだろうけど、僕にはその企みの全容がわからない。

 どうせロクでもないことであることだけは、悲しいかな、分かるのである。


  

  

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