無世界物語

柿月籠野(カキヅキコモノ)

捜索

 妻が失踪しっそうした。

 誰も、何も言わないが、つまり、死んだと言いたいのだろう。

 一か月もの間、何の情報も得られないのだから、普通に考えれば、当然の結論である。

 しかし彼は、彼女の夫だった。

 警察だけでなく、いくつもの探偵事務所に依頼をし、仕事を辞めて、自分の足でも走り回った。

 彼は今日も、妻を探していた。

 妻の穂乃美ほのみと最後に会ったのは、一か月前の夜。

 おやすみを言って、朝起きたら、いなくなっていた。

 彼女がどんな人だった、彼女とどんな思い出があった、そんなことは、彼にはどうでも良かった。

 彼はただ、妻を探した。

 世界中の全ての道を歩き、全ての建物を探せば見つかる。彼は、そう考えるまでに、彼女を諦めていなかった。

 彼女を迎えるための家のかぎと、ほとんどから財布さいふと、彼女から連絡が来るはずの携帯電話だけを持ち、彼は、駅に辿り着いた。

 この町の全ての道と、全ての建物は探し尽くした。

 不審者として、何度も通報された。捕まりもした。

 これからも、そうして探せばいい。

 彼は、隣町となりまちへ向かう電車に乗り込もうとした。

 そこへ、彼の名を呼ぶ者がいる。

向井むかいそうさん」

 妻を探すこと以外はどうでも良かったそうは、怪しみもせずに振り返った。

 背後で、電車の扉が閉まる。

 彼の振り返った先には、二人の男が立っていた。

 二人とも、想より少し年上くらいで、どこかの会社員らしく、何の変哲へんてつもないスーツを着ている。

「こちらへどうぞ」

 片方の男が手でしめす先には、一人用かと思われる、小さなエレベーターがあった。

 昨日までは無かったはずだし、そのエレベーターは、のぼればそらくだれば土があるはずの場所に設置されている。

 だが想は、真っ直ぐにエレベーターの方へと歩いて行った。

 妻がいるのは、隣町かもしれないし、このエレベーターの先かもしれない。

 彼にとって、その確率は、どちらも等しかった。

 しかし。

「ちょっと」

 男のもう片方が、彼の腕をつかんで引き止める。

 ならば隣町へ向かわんと、彼は男の手を振りほどいて、きびすを返す。

「いえ、条件があるだけです」

 男は、慌てた様子もなく、彼の腕を掴み直す。

 条件があろうが無かろうが、彼は妻を探しに行く。

「持っていけるものは、一つだけです。あぁ、もちろん、服はお召しになったままで構いませんよ」

 何日も洗っていない服を脱ぎ始めた彼を見て、男が付け足す。

 想は迷わず、家の鍵を選んだ。

 金色のキーリングだけが付いた、金色の、金属の鍵。

 エレベーターの行く先で、携帯電話や金銭が使えるとは思えなかった。

 彼女を迎えるための鍵。

 それならば、どこへ持っていっても良いと思った。

「分かりました」

 男は、想がホームに投げ捨てた携帯電話と財布を拾い、丁寧に、布の袋に仕舞しまった。

「お戻りになられましたら、きちんとお返ししますので」

 想は返事もせずに、エレベーターの前に立った。

 戻った時に返してもらえるのなら、鍵は預けておいても良かったはずだが、何を持って行こうが、彼女が見つかる可能性は変わらないと、想は思っていた。

 金属の扉の横に付いているボタンは、上向きの三角形をしたものしか無かった。

 彼は、それを押した。

 上向きの三角形のボタンが白く光り、両開きの扉が開く。

 彼は、小さな箱の中に、足を踏み入れた。

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