第5話 もう手のひらの上で踊ってやらない

「──どうぞ、ごゆっくり」


 ニヤニヤしながらそう言って、ウルが馬車の扉を外から閉めた。

 前には、黒毛の馬が二頭。

 ヴィンセント王子を祖国へと護送するための馬車なのに、肝心の彼は私とロッツを二人きりにするために御者台に座ると言う。

 

「ケット、酒」

「私は酒ではないですし、酒があったとしても殿下には一滴たりとも飲ませませんので」

「は? どういうつもりだ?」

「峠を越えたら、殿下に御者を代わってもらうつもりですけど? 飲酒運転、ダメ、ゼッタイ!」


 御者はケットという名の、すこぶる厳つい顔つきをした若い男だった。

 古くからヴィンセント王家に仕える軍人一家の出らしい。

 その、主人を主人とも思わぬ物言いといい、気合が入っているのは面構えだけではなかった。

 その後も、御者台の方からは彼とウルの軽妙な掛け合いが聞こえてくる。

 私はそれにくすりと笑ってから、向かいに座ったロッツを見た。


「ちょうど、ヴィンセントに戻るところだったのね」

「そうなんだ、陛下に……ウルの父上に呼び戻されてね。アシェラの婚約破棄のことは、途中でスピカが教えてくれたんだよ」


 スピカにはまだ婚約破棄の事実を連絡していなかったにもかかわらず、彼女は野ネズミの神様が知らせてきたと言ったらしい。

 まさか、大聖堂からついてきたあの野ネズミが、仲間に伝言でも頼んでくれたのだろうか。摩訶不思議なこともあるものだと思っていると、向かいから伸びてきたロッツの右手が、膝の上に置いていた私の両手の上にそっと重なった。

 

「アシェラには悪いけど、僕にとっては一世一代の好機だった。君に告白するなら、今しかないって──」


 随分と男らしい大きな手である。

 自分のものとはあまりにも違うそれを、私はしばし無言のまま見下ろしていた。

 そんな私を、ロッツもじっと見つめている気配がする。

 今宵このままロッツとともにヴィンセントに行くと宣言した私を、父は止めなかった。

 異国の公爵家同士の婚姻ともなれば、準備も体裁も十分に整える必要があるだろうに、ラインとのことを負い目に感じている父は私の意思を尊重してくれたのだ。

 嫁ぎ先であるフェルデン公爵家当主が、父自身の旧知であることも大きいだろう。

 そういうわけで、ロッツに抱かれたまま一人旅用の荷物だけ持って出発しようとしたところに、息を切らした乳母が駆け寄ってきて手製のケープを羽織らせてくれた。

 彼女は一度ぎゅっと強く私の手を握り締めてから、お嬢様をどうかお願いします、と深々とロッツに頭を下げたのだった。

 嘘偽りない愛情が編み込まれたケープが、今も私を包み込んで守ってくれている。

 それに勇気づけられるようにして、私はようやく顔を上げた。

 そうして、にっこりと微笑んで言う。


「ロッツは、大嘘つきね」

「……えっ?」


 とたんに固まった彼の下から右手を引き抜いて、私はその胸ぐらをつかみ上げた。

 綺麗な菫色の両目はぱちくりしているが、その奥は冷静にこちらの出方を観察している。

 私は、自分がそれに怖気付く前に、一気に核心を衝いた。

 


「すべては、あなたの計画通り。私もラインも、この十年、あなたの手のひらの上で踊らされていたのね──ロッツ・フェルデンさん?」



 最初にロッツの行動に疑問を抱いたのは、四年前──ナミが現れた時だった。

 私とウルは彼に誘われ、異世界から来たというナミに会いに行ったわけだが、彼女はその時ロッツの名前を知っていた。

 つまり、彼らはすでに面識があったのだ。


「ナミは〝摩訶不思議な光る板を持って現れただけの異世界人を自称する只人〟だった。ウルと引き合わせるに値する人材ではなかったわ。あなたは彼女と先に会って、それを確認したはずよ」


 それなのに、どうしてロッツはウルを会わせたのか?


「あなたがナミと本当に会わせたかったのは、ウルじゃない。ウルの行くところにならどこへでもついて行きたがったオリビア王女と──そして、私を会わせたかったのね」


 オリビアがナミを嫌うであろうことも、ナミが私を敵視するようになることも、ロッツは確信していたのだろう。

 ──性悪王女と悪役令嬢に寄ってたかってイジワルをされる可哀想なワタシ!

 そう、ナミが自分の状況を脚色することも、彼は分かっていた。

 明確な敵を持ったナミは、自分をちやほやする大聖堂とラインにどんどんと依存していく。

 聖女に選ばれた自分に酔うラインの心もますます私から離れていった。


「そもそもおかしいのよね。聖女なんてもの、ヒンメル聖教の経典にはどこにも載っていないの。それなのに、どうして大聖堂がナミにそう称することを思いついたのか……」


 ところで、ラインとの婚約破棄から三日が経ったが、その間、傷心のあまり自室に閉じこもったことになっている私を見舞った者が何人もいた。

 大司祭もその一人だ。

 一気に老け込んだ様子の彼を手厚くもてなしつつ、私は問うた。

 いったい誰が、最初に〝聖女〟なんて言葉を持ち出したのか、と。


「大司祭様は、ロッツだと言ったわ。ナミが現れたその日のうちに会いにきたロッツが、〝異世界から聖女が遣わされたのかな〟って呟いたんですって。あなた、覚えはある?」

「どうかなぁ。そんなどうでもいいこと、覚えてないかも」


 とぼけるロッツを一睨みして、私は続ける。


「あなたの行動が怪しいと思うようになったとたん、他にもひっかかることがいくつか出てきたのよね」


 私はここでロッツの胸ぐらを離したが、すかさずその手を握られてしまった。

 彼はそれに唇を寄せながら、美しく微笑んで首を傾げる。

 

「へえ、例えば?」

「そう、例えば──私が、ラインに引っ叩かれた時」


 とたん、わずかに強ばった目の前の顔に、私も微笑み返して続けた。


「侍従がすぐに飛び込んできたのよ。いつもはそんなことしないのに、あの時に限ってどうして扉の外で聞き耳を立てていたのか……思い返すと不思議なのよね」


 国王陛下も、この三日の間に私を訪ねてきていた。

 私とラインの関係がもはや修復不可能と悟った陛下は、これまでの彼の心ない行いを詫び、父の請求通りに慰謝料を支払うと約束してくれた。

 そんな彼に、ちょうど件の侍従が随行していたため、私はこっそり当時のことを尋ねたのだ。


「彼もね、ロッツに言われたのですって」


 そう告げても、目の前の相手が焦る様子はなかったが……


「今日はラインの虫の居所がよくないから、取り返しのつかないことにならないよう注意しておいた方がいいよって。実際に虫の居所がよくないのは私の方だったけれど……あの日、私がラインにぶたれることも、あなたの想定内だったのね?」

「──ちがう!」


 ここで、ロッツは初めて声を荒げた。

 一瞬口を噤んだ私に少しだけばつが悪そうな顔をして、ちがうよ、と繰り返す。


「あんなことになる前に止めさせるために、わざわざ忠告したんだ。ラインに嫌がられても同席しろって言ったのに、あの侍従ときたら……。僕は誓って、君に痛い思いをさせる気なんて、なかった」

「そう、じゃあ──」


 私はロッツの手を乱暴に振り払い、静かに問うた。


「私に、上級生とキスしているところを見せたのも、わざと?」


 ロッツは一瞬きょとんとした顔をした。

 かと思ったら、にっこりと微笑んで答える。


「そのつもりであそこにいたわけじゃないけど、君に見られたことには気づいていたよ。アシェラが嫉妬してくれて、うれしかったなぁ」

「最低……私があの時、あなたを好きだったことにも気づいていたのね?」

「うん、もちろん。アシェラが僕を好きになるのは真理だよ。だって、僕がそうなるように仕向けたんだもん」

「人の心をなんだと思っているのよ……」


 腹を立てたら負けだと分かっていても、どうにもムカムカとしてしまう。

 私は余裕のない表情を見られまいと顔を背けようとしたが、ふいに伸びてきた手にそれを阻まれてしまった。

 ロッツは両の手で私の頬を包み込むと、お互いの鼻先がぶつかり合うくらいにまで顔を近づけて言う。


「言っておくけど──僕が先に、アシェラを好きになったんだからね?」

「……え?」


 思いも寄らない言葉に、私は視線を上げる。

 とたん、菫色の瞳に全てを絡め取られてしまった。

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