第13話 クラブハウスサンドウィッチ

「どう? あった?」


 居酒屋から出てきた佐藤優介に、閃石亜愛が駆け寄ってきた。つい今朝方恋人になったばかりだというのに、彼の表情は暗いままだ。無言のまま首を横に振る男を見て、閃石亜愛は眉尻を下げて肩を落とした。


「そっか、無かったんだね」


「うん……。よくよく思い出してみれば、公園で声かけらるまでは持ってたから」


「……それもそっか」


 佐藤優介の胸元から母の形見であるペンダントが無くなっていることに気づいてから、もう四時間が経過していた。

 帰り道、駅のホーム、落し物センター、公園、そして新入生歓迎二次会に使われた居酒屋。その全てに確認を取ってみても、目撃情報はなかった。太陽はもう頭のちょうど真上にある。


「ごめんね、こんなことに付き合わせちゃって」


 佐藤の擦れる声に、閃石は慌てて首を振って否定する。


「そんな、手伝うよ。探すの手伝う。だって、優介くんにとって大切なものだもん」


 彼女の優しい言葉に、佐藤は頭を下げて感謝を告げた。しかし、彼の内心は複雑だった。せっかく恋人の関係になったばかりなのに、最初にやることが落し物探しだ。

 幻滅されてしまうに違いない。

 佐藤にとって、ペンダントは本当に大切なものである。

 母の形見であり、思い出であり、約束なのだから。

 それを無くしたとあっては、後悔で夜も眠れないだろう。とは言ってもだ。今彼の前には恋人がいる。昨晩出会ったばかりで、まだお互いの事を何も知らない。これから互いにより深く知り合い、話し合い、思い出を作っていく相手だ。にもかかわらず、佐藤は自分の事を優先している。それが申し訳なくて仕方ないのだ。


「ありがとう、亜愛ちゃん。でも、もういいんだ」


 佐藤は必死に涙をこらえた。午前中いっぱい使って捜索した彼は、ようやく諦めがついたらしい。高ぶる感情を抑えながら、彼は唇をかんだ。大切なものを失うというのは、これほど辛いことなのかと知った。


「無くしちゃったものは、仕方ないからさ」


「優介くん……」


「だから気晴らしに、お昼ご飯食べに行こっか」


 佐藤の作り笑いは、下手くそだった。それでも、閃石は彼の意を酌む。


「うん、分かった。ねぇ優介くん、何食べたい?」


「なんだろ、何がいいかな」


 優介は空を見上げた。声が上手く出ない。鼻が詰まったのか、震える唇を必死に動かした。


「亜愛ちゃんが、食べたいものを一緒に食べたいな」


 彼の持ちうる限りの演技力をもってしても、涙を抑えることはできなかった。もっと映画の中に登場する主人公なら、上手く感情を隠すことができたはずだ。優介はますます自分を恥じ、責めた。そんな彼に、閃石はそっと寄り添う。


「じゃあ、ゆっくりできるカフェにしよ。軽食もあるからさ」


 彼女の提案に、優介は頷くことしかできない。ふと脳裏には、母親と虫取りをした思い出が蘇っていた。

 母親に作ってもらった虫取り網を持って、森の中を駆け回ったあの日。

 オニヤンマの羽音を昨日のことのように思い出す。

 樹液を巡って争うカブトムシとミヤマクワガタの姿に少年心は何度もくすぐられた。

 森に巣を張るオニグモの大きさに恐怖した。

 草木をかき分けて、色んな所に行った。

 そんな中、偶然捕まえた無色透明の甲虫。

 カナブンほどの大きさで、キメ細かいカットが施されたダイヤモンドにも見えた。

 太陽光を乱反射し、赤にも青にも見える不思議な甲虫。それを母に見せたときの驚いた顔は忘れられない。


 母に「この森はお母さんとの二人だけの思い出にしようね。誰にも教えちゃダメだよ」と言われたその日、二人で甲虫を標本にした。

 母と初めて作った秘密の場所。今は亡き母親との思い出。絶対に忘れたくない宝物。


「土曜日なのに意外と空いてたね。ラッキーだったね、優介くん」


 閃石亜愛の言葉に、佐藤はハッとした。


「うん、そうだね。……えっと、亜愛ちゃんは何食べたい?」


 いつの間にか駅前の喫茶店に入っていたらしい。ずっとボーっとしていたようだ。


「私はねぇ、これ。特性パフェ! 見てみて、四月に合わせて桜パフェだって!」


「亜愛ちゃん、いきなり甘いものからいくの?」


「あー! 今太るぞって思ったでしょ! デリカシー無いなぁまったくぅ!」


 ぷんすこ! とほほを膨らませた彼女を見て、佐藤は思う。何を俺はグズグズと過去の思い出に浸って落ち込んでいるんだ。母親の事ばかり思い出して目の前の彼女は放置か? そんなマザコンじゃ、恋人を幸せになんてできないぞ。


「じゃあ、俺はサンドウィッチにしようかな」


「何味?」


「このクラブハウスってやつ」


「お、いいじゃんクラブハウス!」


 閃石亜愛は気持ちテンション高めに呼び出しベルを押す。気を使ってくれているのだろう。わざと明るく振舞ってくれているのだろう。佐藤の気持ちを考えて、嫌なことを考えないようにしてくれているのだろう。そんな行動が有難いようで、少し嫌だった。落ち込んでいる目の前で、わざとらしく楽しそうにされるのは、なんだか少し嫌な気がした。それがどういう理屈によるものなのか、彼自身分かっていないし説明も出来ない。ただ、目を背けたくなった。


「ねぇ優介くん。クラブハウスってさ、なんでクラブハウスって名前か知ってる?」


 佐藤は目線をメニュー表に固定したまま首を傾げた。


「さぁ、なんだろうね」


 興味なさげに応える彼へ、閃石は続ける。


「蟹なんか入っていないのにさ。挟まれているのはレタスにトマト、チーズにベーコン、卵焼き。クラブ要素ないじゃん」


「そうだね?」


「なんでか、知ってる?」


 閃石の言葉に、佐藤は再度首を横に振る。


「分かんない」


「昔、ゴルフのクラブハウスで振舞われたんだって」


「場所の名前?」


「そう。他にも、カジノクラブで振舞われたとか、ダンスクラブハウスで振舞われたとか、色々」


「結構説あるんだね」


 佐藤は目線を動かずにそう返した。


「ご注文承ります」


「あ、お願いします。えっとー、これとこれとこれと、あとパフェ一つ!」


 注文を聞き取りに来た店員と閃石が軽くやり取りをする。コーヒーが二人分、クラブハウスサンドウィッチが一つ、桜パフェが一つ。注文を聞き終えた店員が離れてから、閃石は続けた。


「大事なのはさ、場所じゃないんだ」


「どういうこと?」


 佐藤の目線は、メニュー表から動かない。


「思い出、なんだよ」


 ようやく、佐藤は閃石の顔を見た。


「みんな、どこかのクラブハウスで食べたサンドウィッチの味が忘れられなかったんだ。おいしかったんだ。だから再現しようとした。忘れないためにみんな作った。広まっていった。発祥はどこだったか今となっては分からない。それでも、おいしかった思い出だけがあの味を残し続けてくれたんだ」


「亜愛ちゃん……」


 佐藤の両目から、ぽつりと一つ、涙が零れ落ちた。


「みんな思い出だけは忘れないでおこうって思ったんだ。おいしかった思い出だけじゃない。そのクラブハウスで起きた出来事、出会った人、感じたこと、その全てを思い出せるようにした。だから、クラブハウスサンドウィッチはアメリカ全土に広まったの」


 彼女は佐藤の手にそっと触れる。そして、ハッキリと伝えた。


「思い出は、取り返さなきゃダメだよ」


「……」


「無くしちゃったなら、また見つけに行こう。今度は私と二人で」


「亜愛ちゃん……」


「私と、新しい思い出を作ろう。ね?」


 佐藤の視界は、もはや涙で歪んで何も見えないに等しかった。それでも、彼の気持ちに寄り添い彼を支え合おうとしてくれている女性の姿だけはハッキリと分かった。昨日出会ったばかりの女性とはいえ、今となっては頼りがいのある一人の恋人だった。

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