空の魔石虫と二人のバンディット

野々村鴉蚣

プロローグ

「追え! 絶対に逃がすな!」


 無数のライトが夜闇を切り裂き、黒い集団が怒号と共に駆け抜けた。彼らは片手に懐中電灯を持ち、もう片方の手には小さな杖のようなものを握りしめている。場所は海沿いの工業団地だろうか、遠くから波の音が聞こえる。しかし、それをかき消すようにサイレンが鳴り響く。施設のあちらこちらに備わっている回転警告灯が真っ赤な光を撒き散らし、夜の闇に溶け込むような、黒い作業着に身を包む集団が湧いて出た。


「絶対に取り返せ!」


「あれはまだ試作品なんだぞ! それが世に出れば面倒なことになる!」


「この失態が国にバレたら、始末書どころじゃ済まないぞ!」


 先ほどまで寝静まっていたはずの工場一帯は、さながら蜘蛛の巣を散らしたかのような大騒ぎに発展していた。その騒ぎの原因こそが、今鉄格子を超え、猿梯子に手をかけた二人の女性であった。


 二人ともボディラインがくっきりと見える黒一色のライダースーツを身に着けている。片方は小柄な体形で、腰に黄色いウエストポーチのようなものを身に着けていた。全身の黒に対し、あまりにも明るすぎるその黄色が、まるで世闇に浮かぶ夜光虫にさえ錯覚する。

 またもう一方の女性は大柄な体格で、サイズが合っていないのか、大きな胸とお尻が今にもライダースーツを突き破りそうなほど張っている。彼女の姿が懐中電灯に照らされる度、曲線美が際立って見えた。しかし、そんな肉感的シルエットとは相いれない巨大な棍棒――いや、メイスを背負っている。


 大きいものを担いだまま、大きな胸を意識しつつ猿梯子を登るのは至難の業だろう。先頭を行く大柄な女は、猿梯子の途中で突然止まって声を上げた。


「ねぇ、きぃちゃぁん、つかれたぁ、休んじゃだめぇ?」


「馬鹿なんですか? なぁお前馬鹿なんですか? 今めっちゃ追われてるんですが?」


「だってぇ、腕痛いんだもぉん」


「うるせぇですよ! いいから登ってください! 早く登れってば! 登れぇ!」


 二人がそうこう言い争いをしている内にも、続々と黒い作業着に身を包んだ男たちが迫ってくる。


「おい! るりちゃん! もうすぐそこまで来てますけどぉ!」


 きぃと呼ばれた小柄な女が金切り声を上げる。しかし、るりと呼ばれた大柄な女は猿梯子に備え付けてある背かごにもたれ掛かったまま、一向に動く気配が見えない。むしろそのままの姿勢で眠ろうとさえしている。緊張感の欠片も感じ取れない姿に、きぃは苛立ちを見せた。


「寝ないでください、ちょっと、動いてください。動け、動けって言ってるんですけどぉ!」


「もぉ、きぃちゃんうるさいよぉ。今目の前にチーズフォンデュが浮かんでるのにぃ」


「お前それ食ったことないじゃないですか! 一生食えない体にしますよ? 早く登ってください、お願い、お願いしまするりちゃん様、何でもしますから! ってかマジでお前状況考えてくださいよッ!」


 そうこうしている間に、数名の男たちが猿梯子に手をかけた。彼らも焦っていたのだろう。同時に複数名が登ろうと手を伸ばしては、誰が先に行くか揉めている。統率は取れていないようだ。しかし、距離にして約十メートル程度。すぐに追いつかれてしまう距離だ。悠長に留まっている暇などない。


「ぎゃぁぁ! るりちゃんお願いします! 登ってください! もうすぐそこまで来てますから!」


 きぃの悲痛な叫びに、渋々といった表情でるりは動き出した。だが、もう遅かったようだ。足元に集まる複数の陰が、突然手に持った杖を二人の女性に向ける。


「逃がすかよ無法者バンディット、やっと射程圏内だぜ」


「ちょこまかと走り回りやがって」


「お前ら、撃て!」


 男の合図と同時に、杖の先から紫色の光が放たれた。バリバリとまるで落雷のような音を立てたそれは、躊躇なく二人の女を目掛けて飛んでいく。

 一斉に放たれた攻撃が着弾するのにかかった時間は、ほんの一瞬だった。猿梯子に衝突した無数の光は、耳障りな金属音を辺り一面に響かせた。その際発生したあまりにも強力な光は、その場にいた全員の目を一瞬奪う。


「やったか!」


 目が慣れた頃、男たちの誰かがそう口にした。誰しもが瞬きを数度繰り返したのちに、息をのむ。


「居ない……!」


 先ほどまで確かに煙突の猿梯子を上っていたはずの二人が、すっかり見えなくなっていた。


「居たぞ!」


 誰かが叫ぶ。懐中電灯で照らした先を見やれば、先ほどの煙突とは反対側に位置する楔式足場へ移動していた。距離にして約三メートルくらいだろうか。「いったいどうやって?」と誰かが呟く。

 よく見れば猿梯子に備え付けてある背かごが破損していた。恐らくそこから跳躍したのだろう。とはいっても、電撃の浴びせられる中、不安定な足場から三メートルもの跳躍。さながらサーカスだ。どのようにして一斉射撃を潜り抜けたのか、誰にも分からなかった。

 とはいえ、今はそんなことなどどうでもいい。男たちからすれば、本来一般人立ち入り禁止区域にある工業団地内へ侵入した女二人をとっ捕まえることこそが優先事項なのだ。彼女たちの芸当に関しては、あとでいくらでも聞き出しようはある。


「追え! 絶対に逃がすな!」


「ひぇぇえ! きぃちゃん、すぐにバレちゃったよぉ!」


「つべこべ言ってないで走ってください! るりちゃんのせいでせっかくの緑玉爆風エメラルドストーム使っちゃったじゃないですか!」


「えー、あと二個もあるからいいじゃん」


「よくないですよ! 盗むのにどれだけ苦労したと思ってるんですか!」


「また取りに行けばいいよ」


「簡単に言わないで下さいよ! いつも忍び込むのはぼくなんですから!」


 二人の会話は、無数の男たちに追われているとは思えないほど陽気なものだった。そんな彼女たちを一瞬で黙らせる存在が表れる。


「よぉお嬢ちゃんたち。盗んだもの、返してくれないかなぁ?」


 先回りしたのだろう。他の作業服を着た男たちとは明らかに風格の違う、スーツを着こなすスラリとした男性が二人の前に立ちはだかった。

 男は胸ポケットから手帳のようなものを取り出す。そこに浮かび上がる文字を見て、女性二人は顔を見合わせた。


「やっぱりこれは委員会が絡んだ品で間違いないんですね」


 きぃが訊ねると、男は口角を上げて眉を下げた。それを見て、きぃは腰のポーチに手を伸ばす。


「その中にブツが入ってるとみて、間違いないかね?」


「えぇ、でも渡さないですよ。これはもうぼくたちの物ですから」


「違う違う。それは君たちのような無法者バンディットが扱っていい代物じゃないんだよ。というか、そもそもこの世界には知らなくていいことの方が多いんだ。君達はどうやらこれまでも色々と盗んできたらしいね。そんなこと我々は放置できないんだ。故に、今ここで極刑を課したところで、私が罪に問われることはないのだよ。意味は分かるよね?」


 男は左手に黒いグローブを身に着け、右手には腰から抜いた短い杖のようなものを握りしめていた。その杖は、先ほど男たちが紫の電撃を放ったものと同じだろう。


「さぁ、お縄についてくれないかい。可愛い無法者バンディットさん。でなければ私が殺人犯になってしまう。いやもちろん、私の罪は上層部が綺麗に揉み消してくれるのだがね」


 突如、男の杖が紫色に光ったかと思うと、電撃がさながら蛇のごとく身をくねらせるように二人へと迫った。


「危ない!」


 るりが背負っていたメイスを振りかざす。と同時に巨大な氷の柱が足場から発生した。紫色の電撃は氷に弾かれる。が、そうなることくらい見越していた。男は即座に距離を詰め、左手のひらを氷の柱に押し付けた。


「爆炎!」


 声に合わせグローブは赤く発色する。その光は即座に炎へと姿を変えた。左手から発射される炎で氷の柱を破壊し、男はさらに前に出た。左手を燃やしたまま、こぶしを握り締めて。


「甘いな! 無法者バンディットめ! この私はここら一帯を任されているエリート。魔石を盗むことしかできない君たちが勝てるわけないだろう」


 男の杖が紫色の光を放つ。拳も届く距離だ。回避できるはずがない。燃え盛る拳か、それとも変則的な電撃か。しかし現実は男の思った通りにはならなかった。突如男の体が宙を舞ったのだ。電撃は不発。男自身、一瞬の出来事で何が起きたのか理解できなかった。分かるのは下腹部に響く鈍痛と酷い吐き気。


「もー、急に女の子に近づいたらダメなんだからね!」


 豊満な胸を揺らしながら怒る女の声が遠くから聞こえた気がした。男の意識が遠くなる。


「るりちゃん、行きますよ」


「あ、うん。またねおじさん」


 男はうずくまったまま、自らの一番大事な箇所を必死に抑えながら悶絶する。


「ま、待て……逃げるな」


 男の声には耳も貸さず、二人の影はどんどん小さくなっていった。


「い、痛そう」


「日下部さん、大丈夫ですか?」


「金玉、でっかいメイスでゴンってされてましたよ」


「つ、つぶれてません?」


 作業着の男たちがゾロゾロと集まる中、日下部は奥歯を噛み締めつつ声を捻り出した。


「私の事はいいから、あの子たちを追え。絶対に取り逃がすな」


 しかし、もう二人の姿は見えなくなっていたようだ。


「すみません日下部さん、もうどこへ行ったのか……」


「畜生、本部に連絡しろ。女の無法者バンディットが二人。監視カメラの写真を使って顔を割り出せ。呼称は確か……大きい方がるり、小さい方がきぃだ。絶対に見つけ出せ。そして奪い返せ。あのリボルバーが世に出てしまうのは非常にまずい。魔法道具の存在は何があっても隠匿するんだ!」


 日下部の言葉を皮切りに、作業服の男たちが行動を開始した。監視カメラの映像を確認する者、本部と連絡を取る者、侵入経路を調べる者、日下部を介抱する者。熟練と呼ぶには無理がある動きだ。それでも彼らは統率が取れていた。無法者バンディットを見つけ出すという共通課題が、彼らを突き動かしているようだった。

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