第2話 母親
そのまま誠司は眠ってしまい変な時間、朝五時に目を覚ました。今日もバイトは夜六時からだが先の事を考えると憂鬱である。それに家族と顔を合わせるのが気まずいので部屋から出たくなかった。
「……腹減った」
しかし昨日の夜は結局何も食べなかったため流石にとてつもない空腹感に襲われる。冷蔵庫に夕食の残りがあるかも知れないと考えリビングに向かう事にした。
足音で家族を起こしてしまわないようにゆっくりと歩きながらリビングを目指す。すると些細な物音にも敏感なきなこがリビングで寝ていたが目を覚ましてしまい吠えた。
「ワンっ!ワンっ!」
「しーっ!静かにして……!」
暗がりで誰か分からなかったため吠えたらしく誠司の姿が確認できるとすぐに大人しくなった。
「クゥ〜ン」
安心してソファに寝転がって落ち着くが一度大きく吠えてしまったため寝室がリビングに一番近い母親が目を覚ましてしまった。扉が開き眠そうな顔を覗かせる。
「きなこぉ、どうしたの……」
そして眼鏡を掛けて誠司の存在に気付く。
「あれ?誠司何してんの……今何時?」
枕元で充電していたスマホを取り時間を確認。驚きと同時に呆れた声をあげた。
「五時?何でこんな時間に……」
少し呆れたように理由を聞いてきたため仕方なく答える。
「あのまま寝ちゃってさ、腹減ったから……」
「も〜風呂入ってないし歯も磨いてないでしょ?どんどん不潔で不健康になってくじゃん……」
「これからやるよ……」
すると家の中の別の扉が開く音がした。この方向は聖良の部屋か。きなこの声でまた起こしてしまったらしい。
「眠い……」
目を擦りながらリビングにやってくる聖良。それを見た母親は尋ねる。
「もう起きちゃうの?」
「うん、朝練七時からだけど目ぇ覚めたから起きる」
聖良は高校で部活をやっており中々の強豪校のため朝練があるのだ。いつもは六時に起きているらしいが今日は目が覚めてしまったので起きる事にした。
「てかやっぱ誠司じゃん、だからきなこ吠えてたんだ」
そう言いながら擦り寄って来るきなこを撫でる。そして朝食を食べるために冷蔵庫を開けた。そこで誠司も腹が減っていた事を思い出す。
「俺も」
聖良が開けた冷蔵庫を覗き見る。すると聖良は嫌そうな顔をしながら離れようとした。
「結局風呂入ってないでしょ?寝汗もかいたろうから更に臭い……」
「これから入るから」
「でもあたし先だからね、朝練あるし」
「わかってるよ……」
そう言いながら聖良は冷蔵庫にあった夕食の残りが乗った皿を手に取る。
「お母さん、これ食べていい?」
「誠司の分ある?」
「あー、一人分だこりゃ」
皿を見る限り一人分しかない。すると母親も部屋を出て皿と冷蔵庫を覗く。
「うーん、後は納豆くらいか……」
そして誠司の方を申し訳なさそうに見ながら言った。
「元々誠司のために残してたものだけど聖良に譲ってくれる?朝練のために体力つけなきゃいけないから」
「えー?俺のだったんでしょ?」
自分が昨日食べていたらこれは無かったはず。その場合はどうだったのだろう?そう考えるが母親は退かない。
「どうせあんた夜まで何も無いんだからいいでしょ?聖良は部活も塾もあって大変なんだから」
また誠司の気持ちを踏み躙るような発言。しかしここで反発しては何を言われるか分からない。
「分かったよ……」
引き下がるしかなかった。夕食の残りを美味しそうに食べる聖良の隣で仕方なく納豆ご飯を食べる。腹が空いているから個人的にはガッツリ食べたかったのだが。
「よいしょっ……」
隣の部屋では母親が布団を片付けている。その隙を見計らってか聖良は誠司に話しかけた。
「あー部活辞めたい」
楽しんでいると思っていたのに突然辞めたい発言をした。誠司は驚いて母親の方を見るが聞こえていないようだ。
「何で……?」
「こんな早く起きなきゃだし練習キツいし。元々お母さんに無理やり始めさせられた感じだからなー」
驚いた、本当はやりたくなかったのか。
「じゃあ塾とかも?」
「うん、正直そこまで勉強したってさ。成績悪い訳でもないのに無理しなくていいでしょ」
すると顔を近づけて来て耳打ちをし始めた。
「お母さんさ、あたし達のこと信用してなさすぎ。そこまで心配しなくても良いのに過剰に色々やらせて来る」
その言葉を聞いて気付いた。今の聖良は昔の自分なのだ。
「俺もそうだったな、ガキの頃から色んな習い事やらされたり中学入ったら強い部活入らされて……」
すると母親がやって来て顔を覗かせて来る。
「何コソコソ話してんの?」
内容は聞かれていなかったようなので安心だが少しモヤモヤする気持ちが残った。
「別に何でもないよ」
そう言って誤魔化し納豆ご飯をかき込んだ。そして母親も少し納得がいかないままキッチンの方へ進む。またその隙を見計らって聖良が話した。
「誠司の鬱もお母さんの影響大きいでしょ絶対」
「確かにな……」
言われてみればそうだ。しんどい思いをして母親の期待に応えて来たが結局上手くやれず鬱になった。ただ辛い思いをしたからではなく母親の期待に応えられなかったというのが大きいのだろう。
「俺も期待されたけどダメで聖良の方に向いちゃったのがショックだったのかな……」
「なんかごめん」
「お前は悪くないよ……」
そのような会話を繰り広げている間に朝食を終えた。そのまま聖良が先にシャワーを浴びに行く。母親と二人きりになってしまった。気まずい沈黙が流れる中で母親は仕事のために化粧をしている。
「今日こそは外出なさい」
沈黙を破った母親の一言は誠司の心を抉るようなものだった。波風を立たせないためにも誠司は仕方なく頷いた。
「分かってるよ……」
そして更に母親は傷を抉る事を言う。
「あんただけダラダラされてると腹立つからね、あたし達は大変だってのに」
本当は言い返してやりたいが話が通じる気がしない。ぐっと我慢しながら返事だけした。
「うん、分かってるから……」
しかし母親は止まらない。
「本当に分かってる?昨日も結局まともに動かなかったから言ってるの」
流石に我慢の限界が来た。
「だから分かってるんだって、それしか言いようがないでしょ?」
「何それ、分かってるなら出来るでしょ?今もダラダラしてないで早く動いて!」
「分かってても出来ない事はあるんだよ、それに聖良がシャワー出るの待ってるんだって!」
結局言い合いになってしまった。
「何でそんなキツい言い方するの?偉そうにして!」
やはり少しでも言い返すと癇癪を起こしてしまう母親。
「俺だって頑張ってるよ!鬱病治そうとしてバイトだって始めた!まずは短い時間から少しずつ頑張っていこうって!」
思わず強い言い方をしてしまう。
「そっちの都合に合わせて無理した方がいい?そしたら壊れちゃうよ俺!!」
最悪な気分だ、口を合わせば喧嘩してばかり。もう母親と関わる事さえ嫌になる。
「無理しろなんて言ってない!頑張ってるように見えないから見せてくれって言ってんの!」
「っ……!!」
もう何も言えない。言う事が出来ない。母親が怖すぎる、もうやめてくれ。すると……
「もうやめてよ!」
シャワーから上がった聖良が怒鳴った。目には涙を浮かべている。
「お母さん言い過ぎだよ、言い返せないからってストレスぶつけてさ!」
そしてとうとう泣き出してしまった。
「あたしが小さい頃から喧嘩ばっかり!もう嫌だよ、やめてよ……!!」
しゃがみ込んで啜り泣く聖良を母親は抱き寄せる。
「ごめん、ごめんねぇ……」
母親も涙を流しながら強く聖良を抱きしめるが誠司は一人で嫌な気分を抱えたままだった。
「何だよ……」
そのまま逃げるように脱衣所に入りヤケクソになりながらシャワーを浴びた。昨日頭皮に出来た傷にシャンプーが染みて痛い。
そしてシャワーから出てリビングに戻ると既に聖良は登校しており残った母親がソファで項垂れていた。無視して自室に戻り着替えようとしたが呼び止められる。
「待って」
振り返るとこちらに目は向けないままで誠司に声を掛けていた。仕方なくその場で立ったまま話を聞いてみる事にする。
「あたしも頑張ってるのを分かって?鬱病じゃなくても辛いのは辛いんだから……」
結局自分の話か。しかしここでまた突っかかっては新たな波を生むだろう。だから黙る事にした。
「……」
「何も言ってくれないの……?」
しかし引き止めて来るのがこの母親。
「あんたが心配なの!このままじゃ本当にダメになるから!!」
部屋に戻るまで母親の声が途絶える事はなかった。扉を閉めても微かに聞こえて来る。
「これ以上心配かけないで!お願い、ちゃんとして!!」
ちゃんとしたいのは山々だ、しかし鬱病が大きい障壁となって上手く動けないのだ。
自室の閉じられた扉を背に誠司はしゃがみ込んでしまった。抱え切れないストレスをぶつけようにも大きな音を立てては母親にバレてまた問題になってしまう。なので我慢してストレスを抱え込む事を選んだ。
☆
そのまま時間を過ごしているとまた母親が帰って来た。きなこが嬉しそうに擦り寄る。
「ハッハッ」
「ただいま〜疲れたよぉ」
今朝の落ち込んだ雰囲気はさっぱり消え去りいつものように振る舞っている。しかし誠司はまだ緊張していた。恐る恐る声を掛けてみる。
「これからまた次の仕事行くの……?」
「あ、うん。本当大変だよ……」
するといつも通りのリアクションを取った。もう今朝の事は大丈夫なのだろうか。安心感と同時にその程度の事なのかという不満も募る。
「で、今日は外出たの?」
「きなこの散歩は行ったよ……」
「まぁまだいいか」
少し偉そうな反応を見せてイラッとするがあまり言わない方が良いだろう。
「あのね、今ばあちゃんに会って来たんだけどさ。誠司のこと心配してたんだ」
今日は祖母の介護に行っていたらしい。やはり孫の心配はしてくれているようだ。
「今の誠司には前みたいな活気がないってさ。確かに前までは凄い一生懸命だったよね」
そうだ、その意味は分かる。一度頭を整理してから誠司は母親に本心を話した。
「母さんに認められたかった、褒められたかった。それだけが目的で頑張って来たんだよ……」
初めてその事に気付き話す事が出来た。それを聞いた母親は少し驚いたような目をしてから言った。
「そっか……」
それだけだったが何か深い感情が込められているのを感じた。なのでそれ以上何も言わずに誠司は黙っていた。
「…………」
そして母親は結論を口にする。
「一生懸命になれる事が見つかれば変われるかもね」
その通りだった。母親を振り向かせること以外に何か夢中で頑張れる事があれば誠司は変われるかも知れない。
「うん」
近いうちに見つかるだろうか。期待と不安を同じくらい抱きながら誠司は今日もバイトに臨むのだった。
つづく
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