第26話 昔日の舞台小屋:三題噺#67「芸」「橋」「石」

 僕がまだ子供だった頃、ゴールデン・ウィークや夏休みには田舎の祖父母の家に度々帰省していた。

 子供心に、祖父母の実家への帰省は楽しくてワクワクするイベントだった。厳密に言えば、祖父母の家というよりも、その周囲に広がる田舎町に僕は心を惹かれていたのだ。それもこれも、普段はニュータウンに暮らしていた事の反動だったのかもしれない。その事に気付いたのは、うんと大人になってからだけど。


 特に僕が心を惹かれたのは、町の外れにある舞台小屋だった。そこへ向かうには古ぼけたを通らねばならなかったのだけど、橋を渡る時から、僕や弟やいとこなどはワクワクし通しだった。塗装が剥げて土気色になった欄干には、かつては極彩色の装飾が施されていた名残を見出し、かすかに軋む音を耳にしては、何処かにキツネやタヌキが潜んでいるのではないか。そんな風に想像を巡らせることが出来たのだから。

 もちろん、そんなワクワクのメインディッシュが、舞台小屋である事は言うまでもない。あの舞台を一度見れば、誰だって魅了される事は請け合いさ。

 そしてその舞台を何度も何度も見た僕は……舞台小屋の放つ淫靡な空気に、すっかり取り憑かれたと言えるだろう。さもなくば、大学を出てからわざわざ演劇の道に進もうだなんて考えたりしないだろうから、ね。演劇の道が、俳優として生きる事がはるかに大変な事だって言うのは百も承知なのに。


 舞台小屋は確かに小ぢんまりとしていたけれど、独特の雰囲気を放つ建物だった事には変わりないかな。懐かしさと共にエキゾチックさも駆り立てるような外観と内装を具えていたんだ。

 役者はたったの二人きりで、しかも子供だった僕たちとほとんど変わらない背格好だった気がするんだ。その上舞台小屋にいる時は大体仮面とか面布で顔を隠していたから、彼らの素性はまるで解らなかったんだけどね。まぁでも……子供なのかもしれないってちらと思ったりしたのは、ある意味当たっていたかもしれないかな。それは後々話すけれど。

 子供みたいな役者たちが僕たちに見せてくれたのは、実に様々な物語だった。彼らは幾つもの仮面を持っていたから、どんな役にでもなれたんだ。老いも若きも男も女も、それこそ鬼や狐、神の役にさえ、ね。

 物語の内容自体は後々になってから知ったんだけど、物語の背景を知らなかった頃でも、僕たちは夢中になって舞台を眺めていたんだ。もちろん、後々になってから彼らが演じていた物語を知って、一層魅力的だと思う気持ちは強まったんだけど。


 もちろん話はこれで終わりではないよ。ここまでだったら、ただ単に少年の日の不思議な思い出話にしかならないもんね。そんな話じゃあないんだよ、この舞台小屋の話はね。


 一か月ほど前に、僕はもう一度あの舞台小屋を見に行こうと思ってあの橋を渡ってみたんだ。子供の頃は大きくて長くて多くのワクワクが潜んでいるように思えたんだけれど、残念ながら、大人になった僕にしてみれば、あの橋は単に古ぼけた小さな橋だったよ。

 それでも舞台小屋に行けばワクワクした気持ちを味わえるかもしれない。街灯に集まる蛾のように僕は足を進めたんだけど……舞台小屋なんてそこには無かったんだ。

 ただ、その代わりと言わんばかりに、壊れかけた祠が、雑草まみれの荒野にちんまりと残されているだけだったんだ。祠の中には小さな像が三体あって、そのうちの二つが何となくあの役者たちに似ている気がしたんだ。中央にある大きい物は、何というか名状しがたい雰囲気を漂わせていたけれど。


 地元の人の話によると、あの場所には忘れ去られた旧い神様を祀っていたらしいんだ。何故廃れたのかはもう解らないけれど、その神様は色々な側面を持つ神様で、能や芸事をも司っていたという事だったんだ。


 あの幼い日に僕たちが見たモノは、果たしてこの世の光景だったのか――その事を思うと、背筋がゾクゾクして思わず興奮しちゃうのさ。

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