第3話 きつねの火遊び:3

 ヤコから少し距離を置き、携帯の画面を見やる。電話の主は間宮だった。


「もしもしマミッチ。どうしたんだ」

『おう……政信か。また暇でも持て余してるんだろう?』


 携帯の向こう側から間宮の笑い声が響く。その笑い声は普段よりも高く、かすれているように感じたのは気のせいだろうか。


「質問の答えとしてはイエスだよ」

『そ、そうか。それじゃあさ、今クラブにいるんだけど寄っていかないか』


 俺の返答を聞くや否や、間宮は畳みかけるようにそう言った。興奮した彼の息遣いが届くような気がして、俺は少しばかり違和感を覚えた。そんなに俺に会う事を楽しみにしているのだろうか。

 クラブの場所について伝えると、間宮は声のトーンを落として続ける。


『実はな、そのクラブで知り合った妖怪の兄さんに可愛がってもらってるんだ。それで、兄さんに政信の話をしたら物凄く興味を持ってさ。だからさ、俺としても政信が来てくれたら嬉しいんだ。友達としてさ』

「ははははは。マミッチもそんなに堅くならなくても良いだろうに。行くよ行くよ。俺だって、そろそろ色んなひとたちに挨拶回りしたいと思っていたし。なんてったって、俺は玉藻御前の末裔だぜ?」

『そう……だよな』


 間宮の声に若干の湿っぽさを感じたが、俺は特に気にしなかった。今俺が意識を向けているのは、すぐ傍で控えているヤコの事だった。間宮の言うオーナーとやらも妖怪だろう。そんな風に考えた俺の脳裏に、あるたくらみが去来したのだ。

 俺の存在を兄さんとやらに知らしめ、ついでにヤコに身の程を知らしめるチャンスではないか、と。


「なぁマミッチ。ツレがいるんだけどその子も連れて行っていいか? ちなみに妖狐の女だけど。やっぱり?」

『……お、おう。構わないよ政信。あんたのツレだから、きっと可愛いんだろう?』

「見た目だけは、な」

『そうかそうか。そりゃあ期待できるぜ』


 そんな風にして、俺は通話を終わらせた。携帯をしまってから振り返り、ヤコの方を真っすぐ見やる。


「ヤコ。友達がクラブで遊んでいるみたいだから、そっちに行こうと思ってるんだ。ついでだから君も連れて行こうと思うんだけど、良いよな?」


 元よりヤコに選択肢を与えるつもりは無い。嫌がったとしても無理やり連れて行くつもりだったし、そうする事を俺は密かに望んでもいた。

 ところが、ヤコは特に嫌がる素振りを見せなかった。むしろ妙に従順でしおらしい態度でもって付いて行くと言っただけだったのだ。相手が野良妖怪、それもあの間宮が一目を置いているであろう男だと知った上で、だ。


「ふふふっ、マサ君ってやっぱり度胸があるし、妖怪たちと一緒にいる方が楽しそうだね」


 指定されたクラブへと向かう道すがら、ヤコの放った言葉が俺の耳をくすぐった。俺はこの時、初めてヤコが可愛く感じられたのだ。だがそれも次の瞬間には砕け散ってしまう。


「度胸のある所とか、妖怪に関心が向く所って、やっぱり叔父の源吾郎さんに似たのかな?」

「はぁ?」


 気が付けば、俺は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。まさかここで、源吾郎叔父の事を引き合いに出されるとは。


「馬鹿言うな。源吾郎叔父なんざ妖力ばかり無駄に持っているだけの腑抜けだよ。先祖の血も、受け継いだ能力の使い方もすっかり忘れちまった憐れな社畜野郎なんだからさ」

「私はそうは思わないよ? だって源吾郎さんって、組織の幹部補佐として多くの妖怪を束ねているって話だもの」


 組織に従って動いている事こそが、権力におもねる腑抜けである事を物語っているではないか。そんな風に思った俺であるが、ふとある事を思い出した。

 源吾郎叔父はどうした訳か女妖怪たちに好かれやすい性質だった。よく考えれば、ヤコも小娘とはいえ女である。成程そういう事だったのか。納得しながら俺は言葉を紡ぐ。


「そうか、ヤコ。もしかしたらあんたも源吾郎叔父によろめいた女狐の一匹かい? やめとけやめとけ。叔父なんざ野望も何もかも忘れた日和見野郎なんだから、面白みも何もありゃしない。それに未だに玲香さん一筋だから……あんたみたいな仔狐が付け入る隙も無いさ」


 源吾郎叔父が子煩悩で愛妻家である事もまた、有名な事だった。もちろん甥である俺もその事はよく知っている。

 妖怪社会は人間以上に恋愛や結婚について寛容で、場合によっては一夫多妻などを実現する事も出来るという。源吾郎叔父だって、その気になれば第二婦人や妾や愛人を得る事だってできたはずだ。だが源吾郎叔父は玲香さんだけを妻として一途に愛し、二人で子供たちを育てていた。子供の数の多さに目をつぶれば、人間でありがちな共働きの夫婦と変わらぬ振る舞いだったのだ。

 確か源吾郎叔父は妖怪として生きる道を選んだはずではなかったか。そんな事を思っている俺をよそに、ヤコは何処かうっとりとした表情を浮かべていた。それから弛緩したような表情でやだなぁ、などと言い始めたのだ。


「マサ君。私は源吾郎さんが心底愛しているのは玲香さんだけだって事もちゃんと知っているんですから。ええ、ええ。玲香さんは本当に素晴らしい女狐だもの」


 どうやらヤコは源吾郎叔父のみならず、妻である玲香さんに対しても心酔していたのか。とはいえ、源吾郎叔父への心酔よりもこちらの方が何となく解る気がした。異性愛者ヘテロセクシャルであったとしても、女の子がカッコいい女性に対して恋心に似た敬愛を抱く事は俺も知っていた。それに何より、玲香さんもある種の魅力を具えた女狐である事は認めざるを得なかったからだ。

 とはいえ、正直な所俺自身は玲香さんに対しては苦手意識を抱いていた。それは子供の頃の事がきっかけだった。親族たちが集まっていた夏のあの日、田んぼの畦道で遊んでいた俺の足許を、玲香さんは何の予告も無しに狐火で撃ち抜いてきたのだ。

 そしてその後で「驚かせてごめんね。でも足許にマムシがいたから」と、取り繕った笑顔で言ってのけるような女狐だったのだ。玲香さんの言葉は嘘ではなく、そこには確かに頭を貫かれて絶命したマムシが転がっていた。

 それ以来、玲香さんが恐ろしいひとであると思うようになった。俺よりも尻尾が多くて三尾である事も、経歴の為に荒事や殺しなどに慣れているという事も、そうした俺の印象を補強する事と相成ったのである。

 そしてその玲香さんは源吾郎叔父を夫に選び、都合八人もの子供を設けている。夫婦仲は驚くほど良好であるというが、冷徹な女傑であろう彼女が、何故よりによって源吾郎叔父を伴侶として選んだのか。それは永遠の謎なのかもしれない。俺は常々そう思っていた。


「やって来たぞマミッチ」

「おうおう政信。こちとらお前さんがやって来るのを首を長くして待ってたんだよう」


 クラブに入ると、ウェイトレスがすぐに間宮の所に通してくれた。間宮のやつ、俺が来るのを待つ間に色々と手配してくれたのだろう。やはり豆狸だけあってマメなやつだ。おやじギャグ顔負けの考えが脳裏をよぎり、俺は一人ニヤニヤしていた。

 それから俺は、当然のようについて来たヤコの肩に手を添える。


「んで、こいつが電話で言ってた女の子だよ。ヤコって言うらしいんだ」

「ヤコでっす。見ての通り妖狐なんだけど、君たちがマサ君の友達なんだね」


 ヤコは相変わらず距離感の近すぎる物言いだった。しかし、間宮や同席する妖怪男は不快感を抱いた様子はなく、むしろ面白そうに笑っている。


「はははっ。政信もこんな可愛い子と仲良くなったとは。やっぱり妖狐だから目端が利くんだなぁ」

「いや、そんなんじゃあないってば」

「あ、でもね。マサ君って結構優しくしてくれるよ。一緒にお茶したりもしてるしね」

「やっぱり友達じゃんか」


 間宮が俺とヤコとを交互に眺めながら笑っている。何処となく笑顔がぎこちないのは気のせいだろうか。それにしてもヤコのやつ、思っていた以上に自分のペースに相手を巻き込んでやがる。やっぱり油断ならん女狐だな。


 そんな俺が落ち着いて間宮や男妖怪と話ができるようになったのは、ヤコがお手洗いに席を外してからの事だった。

 狗賓だとかいう狼妖怪の男から聞かれたのは源吾郎叔父の事だった。いかついなりをして、あの源吾郎叔父の事を恐れているらしい。まぁ、単なる叔父で最近は交流が少ない事を言ってやったら落ち着いたけれど。

 場の空気が和み始めた所で、俺は二人に言ってやった。


「マミッチに狼の兄さん。あのヤコって女は別に友達でもカノジョでも無いんだよ。ただまぁ、最近俺の弱みを握ったと思い込んでいるみたいでな、ちょっくら付きまとってきやがるだけさ。

 だからその……あいつでもらっても構わないから、な」

「女を売るような真似をするとは……それはそれで将来有望だなぁ」

「何、小生意気な女ってやつは、ちょっとばかり痛い目に遭った方が良いんだよ」


 言いながら、俺は間宮の笑みが少し引きつっている事に気付いた。

 どうしたんだ? 問いかけると間宮はかぶりを振って笑みを作る。


「ううん。やっぱり政信も玉藻御前の末裔だなって思っただけさ」

「ははは。何だマミッチ。俺の話を聞いてビビっちまったか?」

「そんな訳あるかい。しかし、ヤコちゃんも中々可愛らしいよな。ありゃあ結構そそるぜ」

「ああいうちょっと生意気でワガママなやつの方が、教育し甲斐があるからな」


 俺たちは笑い合い、何も知らぬヤコが戻って来るのを待っていた。

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